★パソコンの変調に悩まされて2021年02月25日 11:49:51

▲この夜も「西南記傳」の打ち込みを再開した。いきなり「エッ」となった。私は「殉」という文字を出すために、「じゅん」と打ち、変換の為にいつものようにスペースキーを押す。先ず「准」が出た。当然またスペースキーを押す、すると今度は「順」が出た。三度目のスペースキーを押す。ところが今度はもう出て来ない。2回で終りである。こんな経験はしたことがない。早速ネット情報で探る。あまりピッタリとくる答えがない。その中で、一番納得したのが「再起動」のお勧めであった。これには合点がいった。そして実行したら正解だった。キーボードよ疑って御免な。
▲不調はまだある。エクセルのAのファイルのあるセルをコピーする。それを今度はBファイルのセルに貼り付ける。ところがそれができない。セルの中の文字を全てコピーしての作業なら、可能なのに。またAファイル内でのコピー・貼り付けは可能である。問題はこの不調は気まぐれで大抵はいつものように作業できる。何故か時々起きる現象である。これも再起動で乗り切ったことがあったが、私は数箇のエクセルファイルを同時に動かしているので、その全ていったん保存して再度起動してやり直しが面倒なので、この現象は迷惑千万である。
▲ある時、作業中に、何がエクセルの怒りに触れたのか、セルに打ち込んであった全文が消えた。何故か元に戻す機能が働かず、結局負けた。やり直しである。えてしてこういう時に限って、細目に保存することを怠っている。私の目の前のディスプレイには「保存して次の作業へ」と貼り紙もあるのに。こんな仕打ちを受けると、昔の漫才師の得意文句で愚痴りたくなる。「責任者、出て来い!!」
▲「西南起傳」は、1877年4月26・27日の官軍の鹿児島上陸を記している。その元の資料は「西南征討志」。以下その部分。
●26日、天未だ明けず、春日艦・高雄丸各々小島を発し、テーボル船も亦次出づ、航次雨至り、水靄海を没す、皆大に苦む、春日艦夜11時を過ぐる此ひ鹿児島に達して錨を下す、高雄丸も亦継て至る、是に於て春日艦悉く端舟を卸して高雄丸に遣り先ず巡査若干人をして上陸せしむ、時にテーボル船も亦港口に至り気力を減じて他船の来るを待つ、
●27日、筑波艦・精輝艦・テーボル船・龍驤艦相前後して鹿児島に入り、尋て黄龍・太平・敦賀・蓬莱・隅田・九州・玄海の7船も亦至る、
●因て諸艦の端舟を以て先ず海陸兵及び巡査を上陸せしめ、而して後川村参軍、陸海軍将校を伴ひ上陸して本営を設く、仁禮大佐参謀の事務を執り、有馬中秘史会計を監し、他の佐尉官及び秘書・主計官等各営務を分掌す、
●尋て鹿児島県の警部・巡査を廃するの令を伝ふ、是れ其警部・巡査は皆賊に與し、威を張り民を乱せばなり、又警視官をして県吏の賊に與する者を捕へ、龍驤艦内の檻倉に拘留し、新任県官をして庁務を執らしむ、
◎私は「西南征討志」はエクセル資料は作ったが、研究はしていないので説明は抜く。ただ「7船」は全て三菱会社所有船。
▲画像は梅の木に来たヒヨドリ。ガラス越しの写真。

★「sendto」と打ち込んだら2021年02月19日 21:23:50

▲いつも作業が終ると、保存したファイルを「送る」機能を使って、送り出す。
①悩みの1つはいつの間にか、送り先画面から「Dropbox」が消えたことだった。ただそれはDELL機の話で、mouse機ではできる。
そこでネット情報を元にしてDELL機にそれを復活させようと考えた。
●エクスプローラーの画面にある「クイックアクセス」をクリックして、打ち消すように、「sendto」と打ち込んだ。
●すると「AppData>Roaming>Microsoft>Windows>sendto」となった。今の「sendto」画面が出ている。
●デスクトップにある「Dropbox」のショートカットキーを、「Ctrl」と「Shift」キーを2つ押しながら、「sendto」画面へ入れ込む。
何だと思うような簡単さだった。ただ以前の時はもっと難しい方法だったような思いがある。
▲この日は災難であった。私の「征西戦記稿」資料のミスの発見と修正が続いた。以下は1877年5月27日の人吉攻略を目指す官軍の戦い、「西南記傳」に合せたもの。
①佐敷道に在りては、27日、高島少佐大坂間附近に進出すべきの命を受けしも、該地の形勢、山脉縦横、頗る兵を布くに便ならず、且つ一勝地の薩軍と相距る僅に里許なるを以て、高島少佐少将に具申し、哨線を一勝地附近に換へたり、
②一勝地は本道第一の要害にして、球摩川の水滔滔其前を流れ、落山(オトシヤマ)・三浦(㊟三ヶ浦サンガウラ)越・馬越の諸峻峰、犬牙錯綜、其後に乱立す、薩軍拠て之に居る、少佐乃ち1小隊を率いて漆河内を発し、鏡山の麓脚より間道を繞り、松船・吐合を経て、密に一勝地に接近し、眸を放ちて前面を望むに、球摩川東岸の薩軍は田頭山に在りて防守し、西岸の薩軍は八貫坂より野之原山に至り、堅塁一連、星羅碁布、逸を以て勢を待つものに似たり
③少佐、更に進みて、一勝地に入らんとす、賊の斥候2人之を見て走り匿る、既にして薩軍其兵を3分し、一は大明神山に、一は本道に、一は球摩川を隔て田頭山の麓に出で、一斉射撃を加へしかば、官軍支へずして退却せり
◎反省:②の「野之原山」を私は「野之山」としていた。③の「大明神山」を「大明神岡」としていた。

★久し振り大ミス発見&パソコン2021年02月11日 00:40:25

▲画像の今編集中の「西南記傳」資料の右側の大きい赤字部分がその大ミスである。私の「征西戦記稿」打ち込みでモレていた部分だ。いつもの言い訳だが、誰かが来た、電話が来た、トイレに行ったのいずれかがあったのであろうと。
 記事は1877年5月10日のものである。5月に入り戦いの舞台は球磨川両岸に展開する。両方とも「球摩川」と記す。この時点では官軍は別働第二旅団(山田少将)と別働第四旅団(黒川大佐)が戦いを主導していた。数日後に合併して別働第二旅団となる。
以下は関係地名を記す。「地名箋」とあるのは、解明できずにそれに頼っていることを示す。
※竹迫越(「地名箋」竹迫越タケザコゴエ、肥後芦北郡吉尾村吉尾市居原村より屋敷野山嶺を越え箙瀬に通ずる樵路を竹迫越とす)
※吉尾(ヨシオ、芦北町吉尾、県道272・球磨川・吉尾川)
※屋敷野越(芦北町吉尾ヨシオ~芦北町白木シラキ屋敷野)
※箙瀬(エビラセ、芦北町箙瀬、県道272・球磨川)。
◎過日は「征西戦記稿」に小ミスがあった。「14日」が「14日日」となっていた。このような事例はよくある。それもこれも今の作業をしているからであり、「西南記傳」に感謝している。
▲パソコンのこと
①作業はセルの文字を改訂する形で行なう。これが問題で、「Enter」キーを押すと確定するのはいいのだが、ウッカリよそ見して打つと、確定した全文が消えて、今打った文字が・・・・・。慌てて元に戻す。つまり直後なら戻るが、他の2・3の作業があったりすると永久に戻らない。画像ほどの分量ではないが、終る直前に全て消えたことは2・3回ではない。対策はこまめに保存することなのだが。
②昼は居間で、DELL機で作業する。終ると必ずUSB2個・SDカードそして時々外付けハードディスクに保存する。今月初めから不思議な現象が起きている。USBに保存した、確かに、しかしmouse機を起動してそのUSBからコピーしようとすると、保存されていないのだ。対策として今は、ワザと抜き差しする。すると回復したことがあった。確か不具合を示す警告がでるが、意味が分からないのでそのまま使用し続けている。

★「西南記傳」珍しく連続ミスあり2021年02月01日 02:07:42

▲画像の文章の赤線部分がそれである。私はミスを当然として受け取る。当時の状況ではムリで、元になる「征西戦記稿」も同様はミスがあるが、私の資料も同じで、多くを書き並べると当然の帰結である。
さて、今回のミスは当然私を2回ドキリとさせたのだ。「また、自分の打鍵ミスだったか」と。珍しくそれではなかった。それでもエクセル資料からハイパーリンクさせて「征西戦記稿」の原本を再度見る作業はしなければならなかった。
▲画像の右側はストリートビューから作成したものだが、この車はこの時は湯舟(ユブネ)の集落へ向かっており(集落のロードミラーの写り込んでいた)、画像は360度回転する車の屋根のカメラで撮影されたものだ。ただこの車が湯舟入口バス停方面から来たのか、それとも交叉する菊池グリーンロードから曲がって来たのかは分からなかった。
▲画像の文章は1877年4月16日の大津の戦である。気になった一文を再録する。
●西南之役懲役人筆記から、その最後の部分
於是乎全軍斉く追撃、大捷を得、午後旧線に復す、本日我軍予備弾薬・針打銃二百発・ミニール千発のみなりしが、分捕るところ巨多なるを以て幸に乏しからざるを得たり
●「西南記傳」はそれを以下のように記す
是に於て官軍漸く其勢を復して追撃に移り、大勝を得て各旧線に復せり、此日薩軍の鹵獲する所、針打銃弾薬200発、「ミニヘール」1000発ありき
◎「征西戦記稿」は「賊大兵を擁して能く拒き、遂に我中央戦線を衝く、我軍苦戦死傷45人あり、午後5時乃ち兵を収めて旧線に復す」とする。で、どっちが勝った?

★「西南記伝」の作業は中巻二へ2021年01月30日 19:39:34

▲中巻一の書き直し作業は終った。記事に相当する「征西戦記稿」と「西南之役懲役人筆記」を照合させる作業はほぼ一ケ月を要した。それぞれのファイルに「西南記伝」の字句を入れて検索する。私の資料では「4語」同時に検索できるようになっている。敢えてそれ以上に増やさないようにした。ピタリと当てればヒット、当らねばアウト、再度また再度当るまで語句を選んで挑戦する。それでも検索出来なければ「出典不明」と記す。
当たれば、その一文を「西南記伝」の欄にコピーして、それを基にして「西南記伝」のPDFに合せて修正して行く。
▲1877年4月20日、御船をめぐる戦で薩軍と熊本隊などが大敗をした。これが同日の熊本城外の東方面の健軍・保田窪・長嶺等の戦いにも影響し、熊本方面の全面退却になって行く。
●「西南記伝」
①是より先に、少将は諸隊の進撃に先ちて御船川の北岸を渡り、水島中尉の狙撃隊をして矢部街道の近傍に埋伏し、以て退敵を猛射せしめしかば、薩軍為に退路を失し、倉皇河を泳ぎて遁るるあり、水に溺れて死するあり、官軍岸に立ちて之を狙撃する、宛も浮鴨を射るが如く、死屍数十、波面紅を潮するに至る
②薩軍終に飯田山、木山、西倉、木村に退却せり
③少将は午前10時御船に入り、尋で諸軍四面より御船に会せり
◎上記の文面は以下の2文が基になっていると推測した
●別働第二旅団(P11)「征西戦記稿」30025017
①初め山田少将は御船原の戦尚ほ酣なる時御船川を渡り其北岸を進み、水島中尉に命じ狙撃隊を矢部道の傍に伏せ、賊を待たしむ、賊果して此道より走る、狙撃隊起て之を撃つ、賊大に驚き復た戦ふに及ばず、弾に応じて殪るる者200余人、午前10時少将御船に入り、諸隊を集合し暫く休憩せしむ、
②(略)
●「西南之役懲役人筆記」12188028
28.同十八日官軍大挙三面より斉しく御船を攻撃す、勢い甚熾んにして諸塁悉く苦戦ならさるはなく、薩及我軍防戦二時間可り、遂に支る能はす、諸塁一時に敗れ潰ゆ、我九番小隊尤も困却、悉く河を游て遁る、官軍岸上より之を瞰射す、恰も浮鴨を射るか如く、河水為めに赤し、我軍輜重・軍実道路に遺棄し先を争ふて走る
▲画像は今年も春を告げる日木山(ひきやま)川沿いの菜の花。