★新装アサブロ始め2015年02月13日 19:59:42

▲事情があって新装出直しになりました。
昨年7月以来の前のアサブロは廃止となり、今日から新しく始めました。私自身の心が変った訳ではないので、中身の向上は期待薄です。
出だしの画像はお気に入りの写真です。
鹿児島県姶良市加治木町の龍門滝。撮影時期不明。

★14日の研究余録:「飫肥隊」の動き2015年02月14日 18:53:10

細島の資料館、元は高鍋藩主の宿「高鍋屋」
▲昨日からの続きで混乱・修正の極みの今日だった。原因は資料に付けた日付設定にある。それは資料の当該筆記人の日付を信じるか、別人のそれを正しいと考えるか、その当否の判断にあった。
①1877(明治10)年5月18日現在、飫肥隊は奇兵十八番中隊、同十九番中隊、同二十番中隊と3隊で構成されていた。この日二十番に美々津(日向市)の守衛を委せ、十九番は北方日向市の細島守衛へ向かった。十九番の中心人物はそう記している。ところがこれを別人(複数)は19日に行ったと記す。私はこっちが正しいと判断した。細かな判断理由は略すが、この方が自然だと考えた。そこで修正作業に入る。ワード・エクセルの7ファイルを修正する。
②その二十番は美々津を高鍋隊へ譲り、23日、日向市細島へ向かう。そして細島にあった十九番は今度はさらにその北の延岡に向かい、翌24日命令通りの箇所に守衛に就く。
③ところで十八番は宮崎で本営守衛をしていたが、26日細島へ到着、翌27日・31日と官軍軍艦との戦いに参加した。この部分に関しても27日を23日と日付した資料があったので修正する、また7ファイルを。
▲結局、今日は修正作業で研究が終了した。また明日も同じ作業があるだろう。今日の作業の実りある成果は、この間に部屋のストーブの上で出来上がった燒芋6個。それは家人に任せて私は汗をかきに自転車で出た。

★備忘録:音を楽しむために2015年02月16日 00:03:12

エクセルからコピー・貼り付けで作成
▲音楽を聴き流しながらパソコンでの作業が多い。夜も音楽を聴きながら眠る。
①Windows media playerに昨年買ったCD10枚セットをパソコンに取り込むことにした。ところが、10枚のうち3枚と1枚の半分だけが曲名をタイトルにしてあり、残りは「番号」と「トラック」で表記されている。そこで、CD表面に印刷されている曲名を自分で入れ込むことにした。
(ア)「編集」が出来るように機能を変えた。
(イ)「アルバム情報なし」となっているので、共通の名前と「Disc1」から10までの名前を付けた。
(ウ)あらかじめ、タイトル名をエクセルの表にして、それを一つずつコピーして、media player画面にある「トラック」をクリック、ペースト。
 この作業は10枚の中からCD1枚に抽出する曲名を選ぶために必要な作業であった。途中では「管理者権限がないのでそれはできません」の画面が出てきたが、それって私ではないのか。
②夜、眠る時は主にネットラジオを聞きながらだが、時にはユーチューブの音楽を聴く。最近知ったのが、以下のテクニック。
歌手名「シナトラ」を指名すると、短い1曲が出る。クリックして聴き始める。そこでその画面にマウスを載せると「すべて再生」とあるのでクリック。すると単発の曲が全て繋がり、切れ目なく曲が続く。ただ、時々コマーシャルが入る時がイヤだが、まあいいか。今まではシナトラの1ステージものを聴いていたのだから。
▲リーダイ「笑いは百薬の長」より
●軍曹が外人部隊の志願者一人一人を大尉に紹介していた。
「これがボルフガング。密輸、放火、牛どろぼうの前歴があります」
「更生可能だろう。入隊させろ」と大尉は言った。
「次がマルコ。えーと、スバイ行為、密猟、詐欺の前歴ありです」
「更生可能だ。入隊」と大尉。
「次がバローズ。元いかさまとばく師、金庫破り、宝石泥棒です」
「更生可能、入隊だ。」
「最後がコナーズ。もと政治家です。」
大尉は即座に、「ま、四人のうち三人合格なら悪くはあるまい」

★数年振りにマラソン応援2015年02月18日 18:49:46

トップは我が姶良チームだった
▲3日振りに自転車で出た。風があるようなので風をさけるため、山裾を廻って別府川へ出る。それから対岸のある施設に用があったので行く。帰りにやたら道に人が多い。手に応援小旗を手にしている。今日は県下県下一周マラソン最終日だった。帰るついでに応援をと、10号旧道へ向かうと近くの幼稚園の園児が早くも大声援中。避けて反対側を進む。やがて広報車が来たので、自転車を止めて待つこと5分。先頭の選手が来た。今日に限っていつものデジカメを忘れたので携帯カメラでパチリ。後が続かないので少し移動し始めたら来た。集団で。どうやら遅れたので残り全チーム一斉スタートさせたようだ。策がないなあ、せめて少しづつずらして走らせたらどうなんだろう。

★備忘録:地名物語2題2015年02月20日 19:31:55

萩峰入口から石坂、県境方面を望む
▲研究上必要な地図ソフトは長年某社の道路地図を愛用している。発行年は熊本・鹿児島県版は1998年、宮崎県版は2004年、大分県版は2009年である。色々書き込みがあり、買い替える気持ちはない。
さる日、熊本県の某町の地名についてネットで調べていた。町の地名にあるはずの地名「上古場」がない。今度はネットに国土地理院から得た地図で見ると、「上小場」となっている。実は私の扱っている資料には西郷軍・政府軍共に出ている地名は「上木場」である。私はご丁寧にもその地名が出る度に「(上古場)」と得意気に訂正していた。1998年の熊本県版道路地図の内容を信じて。さぁて本当はどうか、もし違ったら全て訂正しなければならないが。ここはグーグルの出番である。その某町名の次に「上」と打ち込んだら、検索例の中に、「上木場」を冠した施設名が出て来た。そこへ急行する。その位置は道路地図と国土地理院地図ともほぼ一致する。改めて再度町役場の情報にアクセスする。するとたまたま小字一覧があった。これは有難いとすぐダウンロード。こういうのは研究者から見たら垂涎ものだ。そしてそこに確かに「上木場」があった。
 かくしてその日の研究は、関係ファイルの修正作業に替り、研究作業はストップした。考えてみると、「木場(こば)」はこの一帯では常識なのに。
▲また別の日、グーグルで偶然、気になっていた地名「萩峰」が見つかった。道路地図にはなく、地理院地図にもなかったので困っていた。これは2回見直しするくらいの発見と驚きであった。何故この地名を入れたか、グーグル社に聞いてみたいくらいだ。早速ストリートビューで訪問する。ここは主要道から小さな集落に入った道の突き当りに位置していた。ここの山に水俣の別働第三旅団と対峙した邊見十郎太や熊本隊の臨時本営が1877年5月19日前後にあったと考えるから、どうしても場所を知りたかった。当時、西郷軍は水俣辺まで押し込んだが、逆に押し返されてこの辺まで退いている状況にあった。
早速「萩峰」関係写真を数枚、グーグルとPrintScreenを利用して作成した。