★14日の研究余録:「飫肥隊」の動き2015年02月14日 18:53:10

細島の資料館、元は高鍋藩主の宿「高鍋屋」
▲昨日からの続きで混乱・修正の極みの今日だった。原因は資料に付けた日付設定にある。それは資料の当該筆記人の日付を信じるか、別人のそれを正しいと考えるか、その当否の判断にあった。
①1877(明治10)年5月18日現在、飫肥隊は奇兵十八番中隊、同十九番中隊、同二十番中隊と3隊で構成されていた。この日二十番に美々津(日向市)の守衛を委せ、十九番は北方日向市の細島守衛へ向かった。十九番の中心人物はそう記している。ところがこれを別人(複数)は19日に行ったと記す。私はこっちが正しいと判断した。細かな判断理由は略すが、この方が自然だと考えた。そこで修正作業に入る。ワード・エクセルの7ファイルを修正する。
②その二十番は美々津を高鍋隊へ譲り、23日、日向市細島へ向かう。そして細島にあった十九番は今度はさらにその北の延岡に向かい、翌24日命令通りの箇所に守衛に就く。
③ところで十八番は宮崎で本営守衛をしていたが、26日細島へ到着、翌27日・31日と官軍軍艦との戦いに参加した。この部分に関しても27日を23日と日付した資料があったので修正する、また7ファイルを。
▲結局、今日は修正作業で研究が終了した。また明日も同じ作業があるだろう。今日の作業の実りある成果は、この間に部屋のストーブの上で出来上がった燒芋6個。それは家人に任せて私は汗をかきに自転車で出た。