★備忘録:地名物語2題2015年02月20日 19:31:55

萩峰入口から石坂、県境方面を望む
▲研究上必要な地図ソフトは長年某社の道路地図を愛用している。発行年は熊本・鹿児島県版は1998年、宮崎県版は2004年、大分県版は2009年である。色々書き込みがあり、買い替える気持ちはない。
さる日、熊本県の某町の地名についてネットで調べていた。町の地名にあるはずの地名「上古場」がない。今度はネットに国土地理院から得た地図で見ると、「上小場」となっている。実は私の扱っている資料には西郷軍・政府軍共に出ている地名は「上木場」である。私はご丁寧にもその地名が出る度に「(上古場)」と得意気に訂正していた。1998年の熊本県版道路地図の内容を信じて。さぁて本当はどうか、もし違ったら全て訂正しなければならないが。ここはグーグルの出番である。その某町名の次に「上」と打ち込んだら、検索例の中に、「上木場」を冠した施設名が出て来た。そこへ急行する。その位置は道路地図と国土地理院地図ともほぼ一致する。改めて再度町役場の情報にアクセスする。するとたまたま小字一覧があった。これは有難いとすぐダウンロード。こういうのは研究者から見たら垂涎ものだ。そしてそこに確かに「上木場」があった。
 かくしてその日の研究は、関係ファイルの修正作業に替り、研究作業はストップした。考えてみると、「木場(こば)」はこの一帯では常識なのに。
▲また別の日、グーグルで偶然、気になっていた地名「萩峰」が見つかった。道路地図にはなく、地理院地図にもなかったので困っていた。これは2回見直しするくらいの発見と驚きであった。何故この地名を入れたか、グーグル社に聞いてみたいくらいだ。早速ストリートビューで訪問する。ここは主要道から小さな集落に入った道の突き当りに位置していた。ここの山に水俣の別働第三旅団と対峙した邊見十郎太や熊本隊の臨時本営が1877年5月19日前後にあったと考えるから、どうしても場所を知りたかった。当時、西郷軍は水俣辺まで押し込んだが、逆に押し返されてこの辺まで退いている状況にあった。
早速「萩峰」関係写真を数枚、グーグルとPrintScreenを利用して作成した。

コメント

トラックバック