★研究状況と「七つ星」2015年03月05日 00:00:13

▲某社のPDFを加工してエクセルやワードにしてくれるソフトを使った。確かにエクセルの表は取り込んでくれた。しかし、その表内の字句は何とも異様な言葉で埋め尽くされた。あきらめてPDFから直接テキストに出来たのでそれを元にエクセル表に作り替えることにした。表の語句が縦に取り込んであればいいのだが、横に取り込んであるものが縦に並んでいる状態である。8語句づつ横に並べる作業である。エクセルの機能を駆使してもこれは簡単ではない。要領よく出来るように工夫したので一安心して自転車行へ。
▲水曜日は「七つ星」は鹿児島へ空列車で行き、木曜迎えに隼人駅へ戻る。今度は乗客を乗せてまた鹿児島へ、そして夜に鹿児島から隼人経由で肥薩線へとなっている。私にはシャッターチャンスは4回ある。今日はその空列車の「七つ星」を撮影した。撮影地はたまたま家に帰る途中の適当な場所でと考えていたので、来る時間に合わせてある陸橋上で待った。

★私のNikonと「七つ星」2015年03月07日 22:26:15

▲私は「撮り鉄」ではない。ましてや「乗り鉄」でもない。強いて言えば「金欠鉄」である。ただ「七つ星」の列車は初運行時に隼人駅で間近に見た時から写真に撮るのが趣味になった。姶良市近辺の撮影ポイントに行くと、私の見たことのないカメラが並び、その撮影者の服装と合わせ、圧倒されて、一番割の悪い所でこっそり、2003年型デジカメで撮影していた。そこで昨年念願のカメラを手にした。Nikonのcoolpixである。見栄を張った。
▲ところが説明書だけでは使い方は勿論、その凄さ(?)もよく分からない。いつも「オート」のままで、わずかに望遠を使うくらいで、旅行に出る時も置いて行く有様である。何とか地元の同好の士の援助を受けて使いこなしたいと思っている。
▲画像は過日の「七つ星」撮影時に望遠で撮ったもの。画像に、手を振る下校中の小学生の姿があった。ただし、この日は乗務員のみで客は乗っていない。翌日の客が乗っている「七つ星」が通過する時は下校時前である。

★ホームページ記事作成のつもりが2015年03月12日 23:26:30

表の一部は見えてません
▲今月はまだホームページの西南の役関係記事が出来ていない。そこで1877年5月25・26を中心とした矢筈岳(出水市・水俣市境)をめぐる戦いを載せようと考えた。
先ずは、エクセル資料に「矢筈嶽」「矢筈岳」「矢筈山」「矢筈」と4語を並べてフイルターする。実は「矢筈山」の名称は別の場所だが一応ここに置いた。出て来た60余の資料を分析して行くなかで、私の付けた日付が間違っていることに気が付いた。8個ものミスである。明日はこの修正に追われることになる。
 ホームページに載せるにはまだまだ時間が掛りそうだ。
▲画像はそのエクセル画面。赤く塗ってある部分が要訂正のコメント。

★講演会に行った2015年03月15日 20:28:45

見付けた初運行時の写真
▲過日高校同期のK氏より誘いがあり、案内のパンフが送られて来た。幸い多少の風邪気味も消えたようなので出かけることにした。バスかJRか、迷ってバスにした。理由はバスは乗客が少なく、座席に座れる確率100%、しかも相席にならないのも同100%。ただバスは例によって遅れ、今日は15分もの遅れであった。土日は道がすいているはずだが。
▲講演者は作家早瀬利之氏、演題は「石原莞爾と大東亜戦争」。講演はある程度歴史を知る私には極めて示唆的で面白いものであった。また冒頭に話された「マッサン」原作者としてのエピソードは氏の講演出会者へのサービスであったのであろう。
 お話の中で石原莞爾の、良識派、弁舌家、硬骨漢等の側面を話され、実に楽しい講演であった。近現代史に関心がある私には、十分納得できる石原莞爾像であった。また講演後の質疑応答で丁寧に答えておられた姿にも感銘を受けた。
▲以下は自分のメモから。
①話の中で1944年に「東條暗殺計画」があったとパンフにあり、初めて知った。ヒットラー暗殺計画を連想させる。
②面白かったのはあの戦争に関与した軍人達は多くが東日本出身であったとの話であった。そのネタばらしもあって愉快であった。
③質問者の戦争責任が軍人にあるとの意見に答える形で、アメリカは真珠湾攻撃を受けた後委員会を作り、その責任の所在を問うたと話された。

★西南の役研究作業、つれづれのままに2015年03月24日 17:54:50

背景は国道10号線と桜島
▲現在は明治10年5月21日にまとめた資料を読み解き中である。私は基本的に資料をまとめてそれを次代の研究者に使ってもらうことを使命と考えている。従って今やっている作業は本来次世代研究者に託すべき仕事なのだと思う。では何故したくない作業を敢えてやっているか。それはこの作業が完結しないと次世代の方に無用な労苦を掛けるからだ。実は折角資料を完成したと思ったら、何とミスがまだまだあったのである。これを可能な限り修正しなければ不良品を託すことになる。
▲入力ミスは勿論あるが、これは完璧は期し難い。然し資料に設定した日付のミスは可能な限り完璧を求めて行く。このミスは以下の2通りに分類される。
①資料にある日付を鵜呑みにしてそのまま設定した。
②日付を設定したいので、他事例を参考にして設定した。
①のミスは当初知識の乏しかった私には筆記人の日付は正当と思うしかなかったので止むを得ない結果である。ところが②は、資料にある短い字句を参考に他筆記人のそれと照合・比較して日付を設定したが、やはり多少強引に設定したことが原因である。ただ、そのようにした理由は、資料に日付を設定してこそ私の研究作業は完結するからである。その無理(?)がたたって、昨今は設定した日付を止むなく再び「不明」として扱うことになっている。その場合は日付欄は「●」となる。残念である。
▲私の資料は3種である。第一は鹿児島県公刊史料「西南戦争」第2巻と4巻の「西南之役懲役人筆記」から作成した資料で、エクセル22500行以上。第二は西南の役に関する日誌・日記類で、エクセル5400行以上。これには先程の西南戦争第3巻からも抜き出してある。第三は陸軍が戦役後まとめた「征西戦記稿」で、エクセル3800行以上。その合計数は31800行以上。その85.12%には日付が付されている。しかし、22500余行の「西南戦争」第2巻と4巻(「西南之役懲役人筆記」)に関しては80.50%である。
▲私の3資料はエクセル表に日付単位で並べられており、今、私はそれをさらに戦闘地別に並べ直している。こうすれば、一兵士たちの日々の戦いを再現できるのではと考えている。ちなみに私の曾祖父も一兵士として一時参戦、幸い命を保ち得た。御蔭で私はこの世にある。
今回、エクセル31800行余から「西郷隆盛」という4文字をフィルターした。すると「632」ヒットした。これには「西郷陸軍大将」とか、「隆盛」等の語句は含まれない。ヒットしたのはいいが、このフィルターを元に戻すには数分掛かる。そういう時はイライラせずに諦めて、撮りためたビデオを見ながら、エクセルの「応答なし」が消えるまで待つこともある。
※画像は今日3時間掛って撮影した桜のうち満開の桜は一つ。姶良市思川土手の桜。