★福岡県立図書館に行った2015年07月25日 00:54:51

JR博多駅屋上より写す
▲以前から福岡に来る度に行きたいと思っていた。この日は家人の許可を得て、独り行動日。そこで念願を果たすことにした。行くべき理由は西南戦争関係資料を探ることだ。
▲宿泊先のホテルで聞いた通り、市営地下鉄天神駅へ向かう。行きつ戻りつして、やっと改札口へ。電車に乗って気が付いたら終点福岡空港駅。引き返して中洲川端駅で乗換えて箱崎宮前駅へ。駅を出たらそこは箱崎宮参道。道路隔てて隣に県立図書館があり、その向いには箱崎小学校がある。案内に従い図書館3階の郷土資料室へ。ここで探し始めて1時間。当った。
▲1877年3月28日蜂起した福岡県士族は4月1日には早くも潰える。その中心人物の一人の子孫の方の自費出版本に求めるものがあった。それによると、「福岡党」(福岡ではこの事件を「福岡党の変」もしくは「福岡党の乱」と呼ぶらしい)は「川越庸太郎」と「吉田真太郎」を西郷軍へ派遣、両人はそのまま参戦した。そして川越は城山で戦死、吉田は城山への途中行で逮捕されたと。私は「川越」の名に注目していた。それは山形県懲役人の記録の原著者が福岡県の「川越余代」であるからだ。それを突き止めるには自費本の示唆を受けて「西南記伝」に当る必要があった。図書館1階に下りる。資料請求票にプリントして申し込む。すると同書下巻に両人についての記載があった。分ったことは2点、吉田は山形県で懲役に付いたこと、また川越家の養子として家を継ぎ「川越余代」と名乗ったこと。「余代」のその後の実業家としての事蹟は別な資料で既に知ってはいたが、今全てが明らかになった。
▲山形県懲役人であった和田用一の「鎭西戦闘鄙言」(鹿児島県立図書館蔵)の最後は次のような一文で終る。
「十一年ニ到リシカハ太政大臣三条公ノ布達ヲ以テ戦闘中ノ履歴ヲ陳述セサラシム仍テ同囚福岡ナル鼎洲川越君衆ニ代テ一篇ヲ編輯ス之ヲ題シテ鎭西戦闘鄙言ト云而テ余此戦記ヲ秘藏セント君ニ直寫ヲ乞ヒシニ君又余ノ衷情ヲ洞察シ身勞ヲ厭苦トセス直ニ従事シテ以テ竣功ヲ報セリ實ニ誠意ノ厚情毫端ノ尽スヘキニアラス乃之ヲ子々孫々ニ續キ併テ自己他日ノ備忘ニ供シ以テ無窮ニ傳ト云于時明治十二年二月中澣日獄窓簫條ノ下ニ識ス 海洲和田用一橘正雄秘藏」