★研究作業より:「絹土村」とは?2015年09月18日 20:38:26

絹土村=木入道
▲「征西戦記稿」より(一部加筆修正あり)
1. 別働第一旅団★絹土村・菱田川の戦:(18)
①先鋒独立第一大隊(上野少佐)は午前3時30分串良(旧串良町岡崎、国道220・県道73・519・串良川)を発し、志布志(志布志市)に進軍す
②途中に賊に絹土村(□□□、大崎町永吉、国道220・県道520)に遇い、これと戦い、1中隊(第三中隊、渡邊中尉)を分ち、その右側を衝かしめ、前面諸隊は機に乗じ剣を装し揮霍(きかく)突進、接戦すること凡そ1時間、賊遂に支えること出来ず、守を棄て散乱す
③乃ち兵を収め前進し、菱田川(旧有明町野井倉、国道220・菱田橋)に至りまた賊に会う、撃ちて30余賊を殪し、勝に乗じ逃るを逐って川を越え、遂に志布志に入る
④賊守ること出来ざるを知り、民家に火して奔鼠(ほんさん)す、ここにおいて兵を収め、哨を布き、防禦を固くしこれを守る【30051005●巻51都城戦記】
▲これは私の研究作業1877年7月1日の箇所の1文である。□□□部には「絹土村」の現在の地名が書かれている。地図(電子地図)から見つけた。まさかこんな文字がそうであったとは。
※その地名が画像の中にあります