★年末・年始は福岡で過ごした2016年01月01日 22:27:55

▲31日朝8時の列車は割合空いていた。いつもなら、「しまった」一便早い特急で行くべきだったと後悔するところだ。中央駅で朝食用弁当を買い込む。しかし今日は新幹線待合合間の「うどん」は遠慮した。博多駅からは先ずホテルへ。天神方面バスは混雑しそうだったので、次のバスに乗ったが意外と混んでなかった。柳橋バス停で降りると、道路向かいの賑わいの目を奪われ、本年末最後の撮影の開始、ここは名の知れた、「柳橋商店街」。賑わいに誘われ、様子眺めに入り口近くの店へ。家人の話では料金は「正月料金」とか。ホテルに着くと自動ピアノが迎えてくれた。
▲年末最後の研究作業は、1877年8月3日の項である。7月31日宮崎・佐土原から追われた西郷軍は防戦体制の構築が遅れ、遂に官軍に追われて美々津の対岸へ、大河耳川を頼りに防禦した。官軍は耳川上流の渡河による日向細島奪回を優先する。結果的にはこれが後に耳川北岸の西郷軍の撤退を生む。
●「征西戦記稿」8月2日より
概説:取美々津細島:(23)
①高鍋の賊既に敗れたりといえどももわずかに10丁余を退きしのみにて小丸川を隔て塁を築いて防戦せんとす、我防禦線は別働第二旅団高城街道より、第四旅団都濃(都農)街道より、各海岸に至り、中央は第二旅団・第三旅団が当れり、
②ここにおいてさらに美々津・細島攻撃の兵を部署する左の如し
別働第二旅団は尾鈴山の東北面及び南西面の二路より尾鈴山を越え、水清谷を占拠し、鬼神野官道の中間に突出し、神門及び鬼神野を攻撃し、尾崎の兵と相応じ、直ちに方向を転じ、細島本道に向い、急撃突入し、その上渡川・銀鏡谷・横平谷等の兵は丸山に向う
※尾鈴山(1405.2m 、都農町川北)
※水清谷(ミズシダニ、旧南郷村水清谷、国道388・水清谷川)
※鬼神野(キジノ、旧南郷村鬼神野、国道388・小丸川)
※神門(ミカド、旧南郷村神門、国道388・小丸川)
※尾崎(椎葉村大河内、国道388・小丸川)
※細島(日向市細島、県道23・細島港)
※上渡川(カミドガワ、旧南郷村上渡川、県道39・渡川)
※銀鏡谷(銀鏡シロミ、西都市銀鏡、県道39・銀鏡川)
※横平谷(横平、西都市上揚、県道39・横平川)
※丸山(「地名箋」向丸山ムカイマルヤマ、日向東臼杵郡上渡川村)