★七つ星in重富2016年01月14日 23:17:13

ここでは乗客は錦江湾と桜島を望める
▲今日の研究作業が一段落したのは午後1時。出かける準備している内に行き先を決めた。久しぶりに七つ星撮影に重富へ行こうと。我が家からは車で15分強、自転車では45分だが、往復90分は今の私にはきつい。特に寒気が強いと背中の汗が冷えて来て困る。今日は昨日より暖と考えたので愛車(自転車)で出る。
時間帯から「隼人の風」が鹿児島から来るので、別府川橋上で待つ。来た、ただし、2両編成の1両目が黒い本来の車体で、2両目は普通の列車だった。どうやら、前にも見たから、土日祝日のみが本来の車体か。思川の橋を行く時、いつも七つ星を歓迎をする方々が堤防上で準備中だった。私の狙いはすぐ先の陸橋。ここからは望遠で撮れるし、すぐ切り替えてまだ1・2枚は撮影できる。何故なら七つ星は歓迎に合せて鉄橋上でスピードを落とすから。撮影後私は今度は最後のポイントへ急ぐ。七つ星が重富駅で列車待ちをしているからだ。ポイントへ着いて大分待ったころ鹿児島からの特急が来た。そしてしばらくして七つ星が来た。
▲撮影が終って帰る準備をしていると、お仲間らしい方が来られ、しばし談義。どうやら七つ星追っかけ組の方らしい。昨日は霧島の大窪で撮影したとか。そしていつも思うが、よいカメラを持っておられるなあと。
▲研究作業は1877年8月14日の項だった。この日の記事にもあったが、第一旅団・第二旅団・第三旅団・第四旅団・別働第二旅団・新撰旅団が今や延岡に集中する。そして旅団同士の競り合いが微妙な軋轢を生む。心配症の山縣参軍は調整に懸命となる。
●資料より(一部読み易く変えた)
山縣参軍誡めて曰く「今や敗賊熊田に麕集し、他方豊後口の兵北よりこれを蹙す、卿等また南よりこれを衝かば賊ますます窘縮し窮鼠反噬のこと必ずあらん、卿等宜く意をここに注ぎ、躁進蹉跌するなかれ、攻むべくんばすなわち攻めよ、不可なればまた敢えてするなかれ」と 
しかし官軍はもう勝利は目前、そのためか川村参軍・西郷中将(西郷隆盛の弟)もやって来る。いよいよその決戦8月15日の項に取り掛かる。
 この研究作業は官軍情報のみの作業で、8月17日の項まで進んだら、また7月26日の項に戻って、西郷軍側資料を入れ込んで行く。悩みは資料に出て来る地名である。特に山の名は地元でも今や分からないのではと思う。昨日は延岡の戦の中心となった「百間橋」がついに特定出来なかった。ネットでは「○○橋(昔日の百間橋)」という情報は見当たらなかった。