★研究作業でのこと2016年01月24日 01:33:57

▲慌てた。「陣ノ尾」と資料に出て来た。1877年7月26日付けの日記の一節にその単語があった。私の記憶には「陣野尾」としてあったので、地名用ファイルに打ち込むと「陣野尾、日南市酒谷甲、国道222・酒谷川」とある。ところが地理院電子地図に出ていない、そんな筈はない。ではと今度はネットで探す、出て来ない、・・・・・・。どうやって確認して作成したのだろう。三五15分して、ハッと思い当たった。愛用の道路地図宮崎県版だと。開くと該当ページに「陣野尾」とあった。それは地名ではなくバス停名称として。私の県版地図は1998年版だからバス停が記されているが、多分新版にはない筈だ。グーグルストリートビューで該当箇所に行ったが見当たらなかった。
 原則として地名は地理院電子地図で探すのだが、時にこのような古い道路地図が助けてくれる。
▲画像は「陣野尾」で、電子地図とグーグルストリートビュー画面を、プリントスクリーンそしてペイントで作成した。

★鹿児島では豪雪です2016年01月26日 23:42:55

ペイントとエクセルで作成
▲24日の雪は想像以上だった。鹿児島の平地に雪が降るとテレビ等が伝えても誰も信用しない。だからもちろん準備もしない。24日の朝4時辺では雪はなかったと思う。やはりと思って寝て、明けてから起きたら家人ともども大騒ぎ。しかも大雪・小雪の降り続けることしきり。家人の庭園は完全に雪に覆い隠された。家人が雪だるまを大きく作れないと言うので小生の出番。研究作業を中断してそっちの作業へ。記念に写真を撮ったが、何か工夫をと思い、布を着せ、帽子も被せた。家人の言うまま目鼻口を付けたら私にそっくりになったかも。
 ところでこの「豪雪」は我人生の何度目かな、記憶は某大臣並に曖昧。
▲25日、家人のサークルは中止になり、鉄道・バスも全休が続く、好天になって融け始めたのでやっと出かけたのは午後からだった。家の雪はまだまだ残雪となり頑張っている。雪をコップに入れてジュースを入れて食べた。結構美味しかった。

★本年初見の開聞岳2016年01月29日 22:24:36

2ヶ月振りの開聞岳
▲毎日のように写真会のための写真撮りに駆け回る。一月のある日、少し遠方の山がよく見えるので、寒風を押し切り、別府川河口の土手へ出かけた。この日は薄くともはっきり見えた。これは2か月前以来ではないか。その話を会の仲間で話したら、PM2.5が来なかったからだろうと言われた。
▲研究資料に以下のようにあった。
「7月27日、官兵牛之峠・南平の両道より来り撃つ、 ここにおいて賊兵凡そ800人余官軍に降る」
 牛之峠は「牛の峠」(三股町樺山・日南市酒谷甲の境界)。さて「南平」は見当たらないので地理院電子地図の検索欄に打ち込む。「宮崎県日南市」と出た。それをクリックすると地図上の飛ぶ。ところがその場所に「南平」の文字がない。道路地図の相当場所にもない。念の為めネット情報を求めて打ち込むと、宮崎県資料PDFが出た。それを参考にして再度電子地図上アタック。今度は「日南市大字星倉南平」が出た。しかしこれでは文意に沿わない。再びネットで探すとまた宮崎県資料PDFが出た。そこに日南市関係として「大字大久保」とあり、さらにその小字と思われる地名の中に「南平」があった。すぐに電子地図で確認した。改めて私の道路地図を見ると「南平」の地名とバス停があり、グーグルストリートビューでも確認した。そして「ミナミビラ、日南市大窪、県道3志布志街道・鹿宮県境」と私の作成中の「本文編」に打ち込んだ。
ところで宮崎県資料PDFの「大久保」は地理院電子地図では「大窪」、県が正しいのか、地理院が正しいのか、それが問題なのだが。