★研究作業から2016年03月30日 00:42:17

▲以下の資料は「征西戦記稿」から抜き出したもの。少し読み易く書き替えてある。
●18日の戦に賊に陥りし軍夫1名この日(22日)脱し帰る、その供告する所左の如し、「賊当日の襲来、兵概て600~700名と云う、銃を携える者100名に出でず、負傷者20名余、その3名は歩すること出来ず、弾薬は各嚢(袋)負するの外、掠奪品6~7函あり、賊中輿に乗る者2名、その1名は齢五旬許肥大多髯、その一行兵員凡そ100名、皆樵逕を通ぜざるの地を跋渉し、粮食の儲(蓄え)なく数日食せざる者ありと云う、20日午後5時始めて祝子川村に達し、間を得て脱帰せり、官軍とここに戦う者わずかに40名に出でず、賊は思うにその本営を鹿川に置かんと欲す、故に相記して必ず該地に達せんと欲せり、またその共に相語るを聞くに、遂に人吉に出んと欲せり」※祝子川村(ホウリガワ、旧北川町川内名上・下祝子、県道207・祝子川)【30062149●巻62脱賊追撃記】
※「齢五旬許肥大多髯」は西郷隆盛なのであろうか。この情報で官軍は人吉方面の防備を強化する。ここを西郷軍に再度奪回されたら困るとの恐怖心が先ずあったので、鹿児島へ向かうとは全然考えが及ばなかったのであろう。同時に官軍は熊本方面、大分方面も油断することなく構えていた。 この記事の属する22日の他の記事には、竹田、馬見原、濱町、高森などの地名がある。西郷軍先鋒(前軍)はこの日坂本村(現五ヶ瀬町三ヶ所坂本)に出る。
▲今日(3月29日)は曇っており、相変わらず寒気がきつい。桜は三分咲きくらい。コラボしたかった菜の花は待ちくたびれてしまった。今度の土日には我加治木の網掛川公園では焼肉の煙で桜が見えなくなるであろう。写真は咲掛けの精矛(くわしぼこ)神社参道桜と特急霧島。