★ワードにエクセルデータをコピーする時・・・・・2016年07月04日 23:33:34

▲ワードの研究資料文末に「:(1)」から始まる順番を付けている。
例文
①19日半天、今日休日に付、瀬原(催馬楽)へ休足のこと:(3)
▲これを、以下のようにすることにした。
①19日半天、今日休日に付、瀬原(催馬楽)へ休足のこと【20023094】:(3)
ポイントは「【20023094】」。これは文章毎のマイナンバーであるのでエクセル資料でその番号を用いて検索することができる。何故資料作成時に入れるのを忘れていたのか、反省あるのみ。
 そこでエクセル資料上で「【20023094】:(3)」のように作って、これを一個ずつコピー・ペーストする、何とも疲れる単純作業が続くことになる。
ところがいきなり問題発生。エクセルのセルをコピーしてワードにペーストすると、何故かワードの文体が壊れる。
壊さないようにするには、「貼り付け」のオプションから「テキスト保持」の選択をしなければならない。ただこの少々の手数が意外と面倒である。単純にパッと貼り付けたい。
 そこでワードの「詳細設定」を工夫した。「テキストのみ保持」だけではうまく行かず、このポイントは「コンテンツを貼り付けるときに[貼り付けオプション]ボタンを表示する」にチェックを入れることだった。そのボタンが目障りだが、無視すればよい。次の作業が始まると消える。
 ところでこの設定変更がほかのコピー・ペースト作業にどのような支障をもたらすかは分らない。

★平成10年人吉から八代まで歩いた2016年07月12日 00:23:55

ペイントで作成
▲今日の地名並べ作業の中で「祝小路」とあった。これは多分読みは「イワイショウジ」、そして「一勝地」(イッショウチ)と推定した。熊本県球磨村大字一勝地。また「石小路」(イシショウジ)もあった。これも同じであろう。一勝地は球磨川左岸にあり、JR一勝地駅がある。
▲10数年前の年末、私は人吉から八代まで球磨川沿いを歩いた。西郷隆盛の一行の足跡を追ってである。以下その記録から。
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西郷の第5日目:明治10年2月21日(火)……私は平成10年12月29日(火)
●1877年2月21日は晴,出発時間不明。一般兵士は歩き,西郷らと砲隊は船で8時出発。兵士は早朝出発か。ルートは球磨川左岸が中心。到着は16時、経過時間は8時間。八代の宿舎は牧武次郎宅。
●私が歩いたのは年の暮れ,12月末でした。朝,高速を下りて人吉城へ。車を城前駐車場に置きました。球磨川を渡るとすぐに「西郷宿舎跡」と大書された建物前に出ました。まっすぐ突き当たる所が土手町交差点,左折してしばらく歩いて国道219号線に出ます。右折して219号線を八代へ。初めは今日は半分だけでも歩こうかとの軽い気持ちでした。球磨川下りの船は4月~10月ですので今の時期にはない。球磨村の城山跨線橋を過ぎて間もなく渡駅,船下りの駅を見下ろしながら少し上る。歩道がなくなる。ロードパーク馬場は簡単な休憩施設。すぐ横の釣り宿が売店。ここからすぐの一勝地(いっしょうち)からは左岸へ移る。阿蘇神社付近は西南の役(戦争)薩軍陣地。進行方向の山には官軍の砲台があったという。今歩くこの道は県道15号線,JR肥薩線と並走する。かっては人吉相良侯の参勤交替の道。地名は「淋」(うるう),ここの「柴立姫神社」は陽根を祭る。改めて自信を失って歩く。球泉洞駅,キャンプ場を過ぎてまもなく鎌瀬,ここが球磨川下りの船の終点。吉尾温泉口,瀬戸石発電所,瀬戸石駅へ。駅を過ぎて道路幅が2m弱となり,ついには一人やっと歩けるぐらいの幅に。向こうから婦人が歩いてくる。あいさつしてすれ違う。鎌瀬橋で右岸へと考えたが,車が多く,車線も狭く,とても渡れる状況ではない。坂本村に至って葉木(はき)橋を渡ってやっと右岸へ。車の姿が消えた。暗いので坂本駅前で懐中電灯を買おうとしたが,店が閉じていた。人吉城前を出て,50.5km,今,5時40分。時々車が来るのでその光を頼りに,中谷橋へ。暗いので車が多いけど明るい左岸の国道へ。西部(せいぶ)大橋からは再び右岸へ。暗い中を歩く。八代の明かりを見えて来て元気づき急ぐ。雨も少し落ちてきた。道は暗い。車は1台も来ない。高速道下を通るとまもなく国道3号線へ出た。終点の八代駅についた時は正直ホッとした。
経過時間は13時間52分,休憩は30分弱。当初の23kmを船で下れば4時間は節約出来る。当時はもっと下流まで船が利用されていたのだろうか。
※事前に計画した経路は国道219号線,JR線路沿いの利用は事前調査不足であった。
※当初,半分歩くつもりでライトは準備していなかった。途中で買おうにも店がない。
※私は当初距離を54kmと考えていた。経路を変えたことも原因だが,結果は63km。初めから知っていたら歩かなかったかとも思う。
▲文章は少しイジリましたが、「※」のコメント部分まで当時の文。カメラで写真を撮った覚えはない。画像はその記録。

★その花の名は?2016年07月20日 22:11:51

モミジアオイ
▲梅雨が明けて庭の草木も彩りが出て来た。まだアジサイも色変化しながらがんばっている。今日昨日は縁側から見ると背を向けてさいていた花がしぼみ、今日はこちらに面を向けて咲いていた。久しぶりにニコンを向ける。家人に問うと、初めは「布袋葵」と言う。ネットで調べて私が「違う」と言うので、他の名を挙げるが、ネット情報と合わない。検索窓に「ハイビスカス似の五弁の花」と入れて見た。ヒットした。正解は「モミジアオイ」。家人に報告したら、「そうそう、思い出した」と言う。
 しかし、昼過ぎからの大雨と風で、花弁はすぼみ、無惨な姿に。家人が「一日だけの花だから」と付け加えた通りになった。
▲研究作業では地名の追加と修正が続く。この地名記入作業で使っているのが、ネット情報だが、先ずは最近から会員として使うようになった「平凡社歴史地名大系」、次に国土地理院の「電子地図」、最後に「ヤフー地図情報」。そして一番頼りになるのは過去に調べ上げた全地名情報の宝庫であるエクセル資料「地名検査一覧表」。その中に「征西戦記稿」の「地名箋」も入れ込んである。これらを駆使して地名を作成した後、同一地名を一斉変換して数個以上をいっぺんに変えると「ヤッター」と満足する。逆だと疲れが出る。一番厄介なのは「山」。その名称は地域の古老しか今は知らないのではないか。いずれにしろ、分らない、明確でない時は「○○(不明、○○村か)」等の表記にせざるを得ない。今特に気を付けているのは、その「読み」である。
●熊本県「上木場」:ウワコバ、筆記人の中に「ヲワコバ」と記した例も。
●熊本県「沢見」:ソウミ、本当は「沢水」が正しい。
●熊本県「湯治」:トウヂ、本当は「頭地」が正しい・
●熊本県「神瀬」:コウノセ、多いのは「神ノ瀬」。
●宮崎県「虫鹿」:ムシカ、本当は「無鹿」が正しい・
●鹿児島県「八重山」:ヤエヤマは公称、地元ではハイヤマ、それを聞いた官軍側は「生山」と表記している。

★五ヶ瀬町観光協会に感謝する2016年07月30日 00:00:38

初めて居ついた鳩
▲西南戦争各地の地名を位置まで特定する作業中である。私の作成した資料では5月24日に私の名付けた「宮崎西部戦」は現在の五ヶ瀬町の地名が多数出て来る。つまり、その前後に官軍と西郷軍が戦ったということだ。
●資料から、西郷軍正義六番中隊員の記録。文は易しくしてある。
①同4・5日を経て男坂並びに廣木野両所へ官軍攻撃、男坂の守兵中津隊には右翼の高岳より官軍烈しく襲来、銃丸雨の如し、我右小隊の内半隊を割いて赴援し、険を越え奮戦し、官軍ようやく退き旧塁を復して守兵す※男坂(オトコザカ、五ヶ瀬町三ヶ所サンカショ、国道503・三ヶ所川)※広木野(五ヶ瀬町三ヶ所サンカショ、国道503・五ヶ瀬川)【12161016】:(2)
②4・5日を経て坂本村の内男坂の守りへ官軍大勢を率いて攻撃す、我隊奮戦して遂に官軍を追散す、即時兵を集めて旧守に付く※坂本村(五ヶ瀬町三ヶ所、国道503・三ヶ所川)
 観光協会に感謝したのは「男坂」の部分。毎月2,160円払う平凡社地名大系で探しても出てこない。もちろん電子地図にも見えない。たまたまネット情報を求めていたら、「ごかせ観光協会」のホームページに出会った。余計なことをと思いながらも、質問としてお願いしたら、直ぐに丁寧な返事が来た。それが「※男坂(オトコザカ、五ヶ瀬町三ヶ所サンカショ、国道503・三ヶ所川)」という部分である。実は「男坂」探しは延べ数時間掛けて探していた情報であった。もしご協力がなければ、私は「※男坂(不明、五ヶ瀬町)」としていたことであろう。
 私は折り返し礼状を送った。
▲写真撮影は最近連続、特急「隼人の風」撮影に失敗している。今日はシャッターを押したつもりが、指先が余計な箇所にかかっていたらしく、見事失敗。今日の画像は我が家の借家人、いや借家鳥の鳩。少し離れて望遠で撮影した。