★平成10年人吉から八代まで歩いた2016年07月12日 00:23:55

ペイントで作成
▲今日の地名並べ作業の中で「祝小路」とあった。これは多分読みは「イワイショウジ」、そして「一勝地」(イッショウチ)と推定した。熊本県球磨村大字一勝地。また「石小路」(イシショウジ)もあった。これも同じであろう。一勝地は球磨川左岸にあり、JR一勝地駅がある。
▲10数年前の年末、私は人吉から八代まで球磨川沿いを歩いた。西郷隆盛の一行の足跡を追ってである。以下その記録から。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
西郷の第5日目:明治10年2月21日(火)……私は平成10年12月29日(火)
●1877年2月21日は晴,出発時間不明。一般兵士は歩き,西郷らと砲隊は船で8時出発。兵士は早朝出発か。ルートは球磨川左岸が中心。到着は16時、経過時間は8時間。八代の宿舎は牧武次郎宅。
●私が歩いたのは年の暮れ,12月末でした。朝,高速を下りて人吉城へ。車を城前駐車場に置きました。球磨川を渡るとすぐに「西郷宿舎跡」と大書された建物前に出ました。まっすぐ突き当たる所が土手町交差点,左折してしばらく歩いて国道219号線に出ます。右折して219号線を八代へ。初めは今日は半分だけでも歩こうかとの軽い気持ちでした。球磨川下りの船は4月~10月ですので今の時期にはない。球磨村の城山跨線橋を過ぎて間もなく渡駅,船下りの駅を見下ろしながら少し上る。歩道がなくなる。ロードパーク馬場は簡単な休憩施設。すぐ横の釣り宿が売店。ここからすぐの一勝地(いっしょうち)からは左岸へ移る。阿蘇神社付近は西南の役(戦争)薩軍陣地。進行方向の山には官軍の砲台があったという。今歩くこの道は県道15号線,JR肥薩線と並走する。かっては人吉相良侯の参勤交替の道。地名は「淋」(うるう),ここの「柴立姫神社」は陽根を祭る。改めて自信を失って歩く。球泉洞駅,キャンプ場を過ぎてまもなく鎌瀬,ここが球磨川下りの船の終点。吉尾温泉口,瀬戸石発電所,瀬戸石駅へ。駅を過ぎて道路幅が2m弱となり,ついには一人やっと歩けるぐらいの幅に。向こうから婦人が歩いてくる。あいさつしてすれ違う。鎌瀬橋で右岸へと考えたが,車が多く,車線も狭く,とても渡れる状況ではない。坂本村に至って葉木(はき)橋を渡ってやっと右岸へ。車の姿が消えた。暗いので坂本駅前で懐中電灯を買おうとしたが,店が閉じていた。人吉城前を出て,50.5km,今,5時40分。時々車が来るのでその光を頼りに,中谷橋へ。暗いので車が多いけど明るい左岸の国道へ。西部(せいぶ)大橋からは再び右岸へ。暗い中を歩く。八代の明かりを見えて来て元気づき急ぐ。雨も少し落ちてきた。道は暗い。車は1台も来ない。高速道下を通るとまもなく国道3号線へ出た。終点の八代駅についた時は正直ホッとした。
経過時間は13時間52分,休憩は30分弱。当初の23kmを船で下れば4時間は節約出来る。当時はもっと下流まで船が利用されていたのだろうか。
※事前に計画した経路は国道219号線,JR線路沿いの利用は事前調査不足であった。
※当初,半分歩くつもりでライトは準備していなかった。途中で買おうにも店がない。
※私は当初距離を54kmと考えていた。経路を変えたことも原因だが,結果は63km。初めから知っていたら歩かなかったかとも思う。
▲文章は少しイジリましたが、「※」のコメント部分まで当時の文。カメラで写真を撮った覚えはない。画像はその記録。