★今年初めて蝶を完全撮影2016年09月01日 23:21:37

ひまわりと蝶
▲昨日辺りから蝶が飛来して花にゆっくり止まる様子が数回あった。そして今日ついに撮影に成功した。実は朝方別の蝶が来たので、チャンスと急いで網戸を開けたら、音に驚いて逃げて行った。そこで今回は少し離れて望遠を駆使して撮影した。ちゃんと三脚に載せて撮るべきだったが、準備していなかった。それで手ブレが多く、見るに耐えるのは2枚程度。今日の画像はその1枚。
▲研究作業では今日「5月11日」(1877年)相当部分の作業が終った。その作業資料。
●翌十一日嶺崎隊(十一番)・清水隊(十三番)・吉村隊(十番)・重久隊(二番)尋て発す、宮崎は日州の心腹たるを以て佐藤三次・小倉處平・重久雄七・伊東直記等発向し、石川駿隊(十八番)之に付属す、美々津は米良隊(一穂即十九番)・守永隊(二十番)出張し河崎新五郎之を指揮す、山口隊(五番)・水間隊(七番)・本田隊(十七番)を止めて冨高及細島を守らしめ、伊東隊(十二番)・市来隊(十五番)・米良隊(一之助即一番)を延岡に進めて本営を設く、巡邏一小隊・斥候一小隊も亦属す、又一小隊を発し土々呂・尾前を守る、於是弾薬製造所を設け大に鉛・銅・鉄を購求す(爾后鉛尽き銅鉄を以て丸となす、銅鉄亦尽き梵鐘・仏具及鍋筆・火鉢、・鏡等日常の器具に及ふと云ふ)●資料(2)「大分戦」5月11日奇兵十一番中隊
◎これは諸隊の大分への派遣と宮崎各地への派遣を記している。この諸隊は「奇兵○番中隊」と称していた。実は前日10日に大分へ向かって既に先発隊が発していた。
●乃進んて冨高新町に投し直に兵を分て三と為し、一は新町を守り、其二は細島・美々津の両港に備ふ、後軍亦尋て至る、此挙や隠然兵を進め敵未た備へさるに及んて直ちに侵入せんとの胸算なるにより、野村延岡に馳せ荒巻に命して士族を募り、各道に配布し以て間諜を譏察す、又豊後に探偵を出して新町に帰る、小倉處平亦飫肥及ひ宮崎地方を警して来会す、於是乎軍議を決し即時先鋒大迫隊(九番)・鎌田隊(四番)・石束隊(八番)・佐藤隊(三番)四中隊を発遣す、時に五月十日なり
◎「石束隊」は「石塚隊」が正しい。

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