★松平健氏、わが加治木町に来る2016年09月15日 01:55:22

加治木駅前の武者一行

▲その数日前町中を自転車で通行中、なにやら看板を電柱にくくり付けている人達がいた。そこでその看板を見ると、「武者行列」とある。はてこんな祭りは聞いたことがないなと思った。よく見ると「松平健氏」が来るとある。そしてその日11日(日曜日)、午前10時前に出発点の護国神社前に行くと人並みが出来ていた。神社境内には既に武者姿の人達と見物人で混んでいた。少し撮影した後、私は神社から出て来る一行を撮ろうと裁判所前で構えていた。松平健氏の登場で一瞬客がどよめく。そして彼の発声で掛け声と太鼓で行列が動き始めた。行列は先触れの後に先ずは松平氏(徳川家康に擬す)と、姶良市長(島津義弘に擬す)が並んで歩く。後に大人、子供の甲冑姿、最後に加治木工業高校生徒の足軽隊が続く。総勢50名か。少々曇って陰りもあるが、なお夏の太陽の元で始まった。松平氏は沿道にいる人に手を挙げて満面の笑顔で会釈しながらゆったり歩を進める。沿道の客の多くが一行に合わせて沿道を進む。これでは撮影は難しい。そこで一行の先々で待ち受けて撮影することにした。裏道から裏道へ自転車で走る。一行は加治木駅前で相当時間休憩。そして終点の精矛(クワシボコ)神社(義弘を守る)へ行進が始まった。少し撮影して今度は神社へ先回りする。神社前は多くの観客がいた。一行は全員で参拝した後、境内脇での儀式に臨んだ。松平氏は姶良市長と儀式の間鎧姿で床几に腰かけていたが、暑熱の下では本当に気の毒であった。私は途中で家に帰った。誰も天蓋とか準備しなかったのか。
▲研究作業中にある一文に気が付いた。そこには西南の役後に懲役人となった兵士の記録の成立のいきさつが分る文章が要点を押さえて書いてある。少し分り易く変えた。
●今般鹿児島逆徒征討始末編輯に付その事情及び戦地の形状等詳悉致す者は上申仕るべき旨御達の趣奉拝承わり、左に筆記仕る、昨十年二月上旬中原尚雄等暗殺を謀らんとの儀発覚し、次いで陸軍大将西郷隆盛・陸軍少将桐野利秋・同篠原國幹へ旧兵隊等随従、政府へ尋問の為め東上の際、図らずも途中熊本県下において台兵に支えられ、ついに戦争に及ぶの段、追々報知の趣承わり居る折柄、4月29日福山本営伊東昌吉より戸長貴島政勝へ募兵すべき旨相達す【11201201】:(28)
※この人物は三次出兵組であろう。この3日前の4月26日11時官軍が鹿児島へ着、翌日までに城山ほかを占拠し、県庁も政府側が握る。

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