★Altキーを2回押すが不要になったが?2016年12月01日 11:13:08

皇帝ダリアの朝露
▲新購入のマウスコンピュータにある2016版ワードで出ていた現象が消えた。あれほど私をイライラさせた現象が何故か無くなった。MSが更新してくれたのか。
 代わって久しぶりにワードの「保存」ボタンが動かなくなって、仕方なく正式に保存する破目に。ところがそれもダメ。そこでファイル名の最後に「(臨時)」と仮の名前を付けて保存。作業が終ってから「(臨時)」を外して元の名に戻した。この現象は「保存」ボタンを使い過ぎた時に起きる。
▲ここまで書いて、何か「資料編」から転載しようとしたら、2ファイルに大きなミスが見つかった。
 各個々の資料の最後には「【番号:人名、部隊名、出身地】」となっているはずが、「【番号:人名、部隊名、出身地◎部隊名数字】」となっている。「◎部隊名数字」は消さなければならない。そこで、ワードの「置換」を利用した。
①「ワイルドカードを使用する」にチェックを入れる
②「検索する文字列」に「 ◎*】 」を入れる
③「置換後の文字列」に「 】 」を入れる
④「すべて置換」をクリックする
1ファイルの方なのだが、3110の変換が行われた。
そのミスの元になったエクセルファイルはVlookup関数の式を書き換えることとなった。
▲我が家の庭の主役は皇帝ダリア。私が皇帝ダリアがほぼ同一線上に競っているので、名付けたトランプ、プーチン、習近平、ドゥテルテ、エルドアンは今日は少し、落ち目になっている。

★「資料編」から「本文編」を作成し始めた2016年12月09日 01:38:18

開聞岳
▲「資料編」はワード版だが表形式である。元々はエクセルで作成したもの。「本文編」はこれの「表」を外して作成する。さらに「置換」を工夫して作業効率を上げた。
▲以下はその「2月22日~28日」編の中から。筆記人は薩軍一番大隊九番小隊に属している。文末の数字が「2」で始まるのは日記・日誌である。今はほぼ原文のままにしてある。初戦熊本城攻防戦が語られている。
▲⑩廿二日晴旧十日●午前五時各大隊(我隊出発後発するもの悉く程を兼て達す)攻口を部署し川尻を発し(頭注▲「後発隊出泉(出水)米ノ津より舸に乗し松橋に着し直に熊本に入る」)、熊基(従川尻二里)に向ひ疾走大呼する声海嶽を震動して須臾も間断あるなく、兵川尻より熊基(熊本)に相踵て雲霞の如し●而して我大隊は八幡山より攻撃の部署に当り、二品木街(二本木)より西に折し坪井川を渡り北向して花岡山(故祇園山と云)の半服(腹)を経廻し、其西北の支嶺に登り熊城に対し(距離五町許)小銃を連発す、城兵敵を四方に受け城上城下堡塁の銃眼より大小炮を斉発する音万雷よりも烈く、乾坤を震動し弾丸飛鳴し来ること大雨の注か如く、或は破裂弾四迸し屋宇石壁に触れ之を薤紛する音炮発の声と相和し、或は土藏を穿ち藏内に於て破裂し、火起て瞬時之ら蕩燼(尽)するあり、是際に当て城中を瞻望すれば、満城黒烟蔽塞して一物を弁たす、唯煙中より発射する数千の孔火雷閃するを視るのみ、時に午前六時三十分過なり【20050020】:(10)
※文中の当人の「注」にある「後発隊」は五番大隊と考える。

★研究作業の究極の省力化2016年12月13日 01:05:49

関数式の画像
▲今の研究作業は以下のようにする。
①先ず「資料編」をそのまま「本文編」とする。「資料編」は表形式なので「表削除」する
②「本文編」には以下のような文章が並ぶ
★一番大隊一番小隊
(1)5.同廿九日敵軍より襲撃す、夕方に至り敵軍退き一里程追撃す、同日右同所へ守兵す、【10216805:筆記人氏名、一番大隊一番小隊、鹿児島】
③これを次のように変えて完成形となる
1.一番大隊一番小隊
▲①同廿九日敵軍より襲撃す、夕方に至り敵軍退き一里程追撃す、同日右同所へ守兵す【10216805】:(1)
※「1.」は……「49.」「50.」と増える
※「▲①」は「▲②」…「▲⑩」ぐらいまで増える
※「(1)」は上の▲①、▲②…▲⑩に相応して増える
▲そこで元になるエクセルファイルの上でこの完成形を自動作成する関数式を作った。
●関数式
=IF(P196=1,W196&"."&Q196&"●●"&Y196&MID(F196,FIND(".",F196)+1,2000)&"【"&C196&"】"&":("&X196&")",Y196&MID(F196,FIND(".",F196)+1,2000)&"【"&C196&"】"&":("&X196&")")
●完成形
5.飫肥隊二番小隊左小隊三番分隊●●▲①且又示令を受け山鹿に繰込み、同所吉田村(山鹿市)にて番兵凡二三昼夜也、【10501905】:(1)
※「●●」は段落記号に置換するためのもの
▲この関数式を最初から作っておけば2015年半ばには作業は終わっていたはず。無念である。今からこれを駆使して作業が終るのは2017年春かな。

★ワードの表と下の見出し2の間に行を入れる2016年12月16日 01:00:43

姶良市加治木町の師走市
▲表題の内容をネットにぶっつけて見た。思うような結果が出なかった。
私の今の研究作業では西郷軍を「▼鹿児島関係」・「▼熊本関係」・「▼宮崎関係」としてある。「資料編」はそれぞれに1表となっている。当初表の下には1行段落を設けなかったので、「▼鹿児島関係」は「▼官軍」表のすぐ下の行にあり、「見出し2」スタイルである。通常なら「▼」の頭にカーソルを置き、「Enter」でいいが、それでは「見出し2」が残る。表との間に1行あると色々な追加作業もし易いので何とか簡単に作れないかと考えた。
◎結局そのアイディアは、以下の方法で実現した。
①「▼鹿児島関係」を「●●▼鹿児島関係」と置換する、以下「熊本関係」・「宮崎関係」も同じ。
②「●●」を「特殊文字」の「段落記号」に置換する。
③すると、「▼鹿児島関係」の「見出し2」とすぐ上の表との間に一行の空きが生まれる。
▲官軍記録「征西戦記稿」1877年3月9日記事から、以下の記事を紹介する。この前日8日に官軍熊本鎮台は北方から迫る官軍第一旅団・第二旅団との合流を考えての「進撃軍」を模索し始めていた。記事はその条の全部および一部を略してある。
●是日進撃軍の輜重・糧食及び厨器支給法を設くる左の如し
一糧米は予備として人員に応じ現品を以て3日支ふべきものを給す(略)
一梅干は一日一人に5勺を給す
一塩は1中隊1日に1斗を容る者1苞を給す
一炊事は各隊自ら弁じて足れりとするときは精米6合と金6銭とを以て渡すとす、若し土地の便宜に因り民舎に在て其支給を受くるときは金12銭を限として償ふべし
一各人に三角繃帯1個を給す
一各人に「ビスケット」6個を給し以て臨時の糧に充てしむ
一隊馬の麰麦は3日を支ふべきものを給し、蒭秣は其地方に就き之を購求す
一兵食炊爨の為め坪釜2個・平釜2個を1中隊に給す
一茶鐺及び「ブリッキ」盛水器各4個を1中隊に給す
一「ランタール」は毎1中隊に各2個を給す
一草鞋は6足即ち3日を支ふべきものを給す、而して足袋は1足を以てす
一1中隊行李の量は弾薬を除くの外535貫目とし、其半大約275貫目は駄馬11頭を要す(此地方駄馬多くは牝馬を用ゆ、故に二十五貫目を以て一頭の量とす)、余す所の265貫目は役夫37人を要す(毎一人に量七貫目)、而して別に馬夫11名を附す、役夫通計48人
【30021064●巻21熊本城戦記】

★12月は毎年クリスマスソングを聴く2016年12月24日 10:46:33

江代のモミジ
▲毎年12月に入ると、テープから起こした古いCDの出番である。聴きあきるとネットでクリスマスソングを見つけて聴く。研究作業中は音楽がいつも癒してくれる。それにしても一年の過ぎるのが早すぎる。
2014年秋に始めた今の研究作業は2年間も同じ作業の繰り返しである。予定では2017年春には終るはずである。その後に私の「西南の役の旅」が始まるはずである。果たしてその体力があるのか、なければグーグルストリートビュー上で旅するしかないが。実は2014年秋に有志の企画で熊本県水上村に旅した。人吉から水上村向かう途中に道路工事があり回り道を余儀なくされた。私の指示で右へ左へと細い田舎道を廻り巡って元の道へ戻った。私は実際には初めて通った道であったが、その道たまたま私がグーグル地図上で行ったり来たりした道だったのだった。後で有志一同は何故そんなに詳しいのかと訝る有様だった。そしてその時見た水上村江代のモミジの紅葉の素晴らしさは忘れられない。江代は西郷軍が熊本県矢部から退却して目指した地であった。球磨川の最上流地点でもある。もっともその当時の江代はダム下にある。それは1877年4月24日以降の話である。
▲1877年3月19日、官軍はついに新しい戦線を開く。熊本県八代市に高島大佐(鹿児島出身)率いる別働第一旅団が同市日奈久に上陸し、北進し始める。官軍はこれを「衝背軍(ショウハイグン)」と呼ぶ。翌20日にはこの方面指揮官として黒田清隆(鹿児島出身)が上陸する。私はこれを「南方戦」と名付けた。これに対し今まで中心となっていた田原坂・植木方面を「北方戦」、熊本城攻囲線を「熊本城戦」とする。以下の記録は新しい「南方戦」に向かった薩軍諸隊を記した記録(「西南之役懲役人筆記」)である。
●十九日日慥ならず午後六時頃官軍鹿児島を引上け八代に上陸の報至る、即三番大隊一番中隊(邊見十郎太隊、此とき邊見鹿児島に在り、右小隊長山本盛政之を指揮す)・二番中隊(汾陽五郎右衛門隊なり)・五番大隊十番中隊(児玉八之進隊なり)・狙撃二番隊(岩見半兵衛隊なり)・大砲一隊(田代五郎隊)を繰出す、尋て一番大隊九番中隊(堀與八郎隊)進発す、時に夜已に半なり【12105015】:(1)
▲江代のモミジの画像が見つからないので、グーグルストリートビューからコピー。画像中心の濃い赤色のモミジが私の推奨木。撮影データには「2013年11月」とある。