★12月は毎年クリスマスソングを聴く2016年12月24日 10:46:33

江代のモミジ
▲毎年12月に入ると、テープから起こした古いCDの出番である。聴きあきるとネットでクリスマスソングを見つけて聴く。研究作業中は音楽がいつも癒してくれる。それにしても一年の過ぎるのが早すぎる。
2014年秋に始めた今の研究作業は2年間も同じ作業の繰り返しである。予定では2017年春には終るはずである。その後に私の「西南の役の旅」が始まるはずである。果たしてその体力があるのか、なければグーグルストリートビュー上で旅するしかないが。実は2014年秋に有志の企画で熊本県水上村に旅した。人吉から水上村向かう途中に道路工事があり回り道を余儀なくされた。私の指示で右へ左へと細い田舎道を廻り巡って元の道へ戻った。私は実際には初めて通った道であったが、その道たまたま私がグーグル地図上で行ったり来たりした道だったのだった。後で有志一同は何故そんなに詳しいのかと訝る有様だった。そしてその時見た水上村江代のモミジの紅葉の素晴らしさは忘れられない。江代は西郷軍が熊本県矢部から退却して目指した地であった。球磨川の最上流地点でもある。もっともその当時の江代はダム下にある。それは1877年4月24日以降の話である。
▲1877年3月19日、官軍はついに新しい戦線を開く。熊本県八代市に高島大佐(鹿児島出身)率いる別働第一旅団が同市日奈久に上陸し、北進し始める。官軍はこれを「衝背軍(ショウハイグン)」と呼ぶ。翌20日にはこの方面指揮官として黒田清隆(鹿児島出身)が上陸する。私はこれを「南方戦」と名付けた。これに対し今まで中心となっていた田原坂・植木方面を「北方戦」、熊本城攻囲線を「熊本城戦」とする。以下の記録は新しい「南方戦」に向かった薩軍諸隊を記した記録(「西南之役懲役人筆記」)である。
●十九日日慥ならず午後六時頃官軍鹿児島を引上け八代に上陸の報至る、即三番大隊一番中隊(邊見十郎太隊、此とき邊見鹿児島に在り、右小隊長山本盛政之を指揮す)・二番中隊(汾陽五郎右衛門隊なり)・五番大隊十番中隊(児玉八之進隊なり)・狙撃二番隊(岩見半兵衛隊なり)・大砲一隊(田代五郎隊)を繰出す、尋て一番大隊九番中隊(堀與八郎隊)進発す、時に夜已に半なり【12105015】:(1)
▲江代のモミジの画像が見つからないので、グーグルストリートビューからコピー。画像中心の濃い赤色のモミジが私の推奨木。撮影データには「2013年11月」とある。

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