★その後のワ-ドについて&作業報告2017年05月25日 23:43:00

我が家のバラ
▲私の悪ードは相変わらずである。「坂」と出すためにローマ字入力で「さか」、すると「(3)」に先ず変換される。これは「かさ」(カッコの3の意味)で登録してあるのに。ほとんどあきらめの境地である。ところで「かさ」と打ち込んで変換すると先ず「(3)」が、次に「笠」が出る。以上は4月段階。
今「さか」としたら「坂」が、「(3)」は出ない。よくなったのかな。一先ず「悪ード」の表現は止めようか。
▲ワード2013以降であろうか、現在の2016ワードも画面左に「文書の検索」窓があり、ここに文字を入れると即その単語が文書中に幾つあるか教えてくれる。
研究作業に使う本文編には説明用に「※○○」の地名が並んでいる。地名は本文編各1日単位の文章に、官軍側・薩軍・熊本軍・宮崎軍などごとにあるので、「※田原坂」などは毎日重複して登場する。これを一斉に文書内で置換する、さらには全日付に渡って、つまり文書全体で一斉に置換する。しかし同一地名が一つなら一斉置換する必要がない。手間が一つ減る。ただ古いデスクトップのFRONTIER機のワードは2013以前のワードでその機能がなく、不便である。
▲今は研究作業上で「置換」をさせる際に、単語末に段落記号「^p」を付して用いることが多い。今まではいちいち「オプション」→「特殊文字」→「段落記号」として選択する作業が必要だった。この一連の作業がいささか面倒くさい。そこで思いついて、段落記号「^p」を「だ」という読みで登録した。これは最近にないヒットである。登録に際しては2文字を避けて1文字とした。我がワードでは2文字はいまだに禁句である。
▲今の作業は1877年3月21日から4月15日までの資料を扱っている。後数日分になって、順調に進み始めている。それは一斉「置換」で地名を埋め込む作業量が減っているからである。
●4月8日の作業から。熊本城内官軍はこの日奇襲を試み、南方から迫りくる官軍(衝背軍)に向けて奥少佐の一軍を送り出した。奥少佐は後の奥大将である。
▲①8日突圍兵の部署左の如し●突圍隊:司令官(奥少佐)○歩兵第十三連隊第一大隊第一中隊・第二中隊・第三中隊・第四中隊○従属者:参謀官大迫大尉・白井少尉・河原伍長、軍医以下及び定則の看病人、卒傷者運搬役夫10名毎に取締2名を附し、弾薬運搬役夫(一名負に六百発)15名毎に下士1名を附す●侵襲隊(甲)○歩兵第十四連隊第一大隊第三中隊(小川又次大尉)○警視五番組1小隊(染川警部)●侵襲隊(乙)○歩兵第十三連隊第二大隊第二中隊(飯倉大尉)●予備隊○歩兵第十三連隊第二大隊第三中隊(隈岡大尉)○歩兵第十三連隊第二大隊第四中隊(不破中尉)●方略○突圍隊は安巳橋より圍を衝て川尻に援軍に合すべし○侵襲隊の甲は安巳橋を襲ひ、乙は明午橋を襲ふべし○突圍隊の服装は晴雨を論ぜず外套を携へず、弾薬は各自150発及び混和水(城中にて製する所の焼酎を用ゆ)を水筒に盛らしむ※安巳橋(ヤスミバシ、安政橋、熊本市中央区安政町~同九品寺クホンジ、白川)※川尻(熊本市南区川尻、県道50・加勢川)※明午橋(メイゴ、熊本市中央区南千反畑町~熊本市中央区新屋敷2丁目、白川)
▲②斯くて将校以下悉く繃帯「リント」を懐にし、草鞋を穿ち、餅4個・団飯1個・馬肉大約50目を粮食に充つ、且つ給養軍曹・炊事伍長は突貫の進路に於ては別に職務なきを以て分隊缺員の軍曹或は軍曹代に補し、準備已に全く整頓し、去留の人共に相訣別す、其感慨の情、惻然として自ら人を動かせり【30021144●巻21熊本城戦記】

★研究作業から2017年05月29日 23:02:55

▲「木留」という地名と「木留本営」は同じと見なし、共に「木留」として地名を記述していた。しかしそれでは不正確であると考えるようになった。きっかけは「川尻本営」がどこにあったのか偶然知った。それをストリート・ビューで確かめた。そして私の地名入れ込み作業の甘さを知った。すぐ「二本木本営」を調べ、さらに今は以下のように「木留本営」を確定するに至った。
以下はある日記から、1877年3月26日の記事。
●廿六日●仝廿六日午後に至り、官兵木留の我か塁に巨砲を発して戦を挑む、我兵敢て退かす、大小砲を連発し、星を見て戦ひ止ます●此日相良、村田に云、「惣本営は三軍の根源也、故に護兵なくんはある可らす、護兵無き時は衆心安からす、故に各隊より精兵二名つゝを選抜し、一隊を編制し、之れを以て護兵に置ん」と、村田曰く「極めて可なり、請ふ、相良自ら熊本本営に至り、桐野・池ノ上等に議せよ」と、因て相良直ちに木留の本営を発し熊本本営に到り、桐野・池ノ上に議するに、両将大に感喜し、然る後西郷に謁し、木留・植木の戦状及ひ兵気益々熾なるを告く、西郷大に喜ひ莞爾として曰く「君の戎衣弊垢隊長とは見へす、夫卒に似たり」と、即ち着用の軍服を脱して相良に授く、予答て曰く「浩恩実に身に余り謝する処を知らす、之を服して大敵を破り君に報ん」と、厚謝して速に木留に帰営し斯くと告く、村田大に喜ひ、各隊の精兵百余名を選抜して惣本営に向け派遣せり、是を二番遊撃隊と号す※熊本本営(薩軍二本木本営ニホンギ、熊本市西区二本木3-3-5、二本木神社・商人築地氏方)※植木(旧植木町植木、国道3・県道30・329)※木留の本営(薩軍木留出張本営跡、旧植木町木留キドメ笹尾ササオ、笹尾公民館近く)※熊本本営(熊本隊木留本営跡、旧植木町木留キドメ笹尾ササオ、笹尾公民館前)【20049027】:(2)
※画像はきれいに見えた開聞岳。カメラが古く出ていない。赤〇の中にはっきりと見えたのだが。