★地名の実数確認2017年09月16日 10:38:59

待ち構えて撮った蝶(我が家)
▲資料から抜き出した地名の総数は30726個となった。当初の表中にあった数字からミスの2500余を除外した結果の数字である。ここでいう地名には山名・川名・橋名等も含まれる。この中からその重複する地名を整理して出てきた地名の実数は9723個。そのうち「地名(不明、……)」となっているもの1247個。つまり12.82%が不明なのである。
▲実は直後に不明地名は1246個に。1個解明できたのである。その地名「内木場」は文章上では「翌26日、永吉郷の内木場村へ転じ、この所にて隊を解きたり」となっていた。一番のミスは私が「永吉郷の内」の「木場村」と解釈したことにある。これを「永吉郷の」「内木場村」と今回考えた。お世話になったのは角川の地名辞典である。「小字一覧」を見ることにした。そこで先ず「吹上町」(現日置市)を探す。というのは小字一覧に市町村名の目次ページがない。一枚一枚めくりながら町名を探す。繰り返し探し続けてやっと町名にたどりついた。今度はその中の「大字」毎にある「小字」を目をこらして探す。そして偶然「内木場」が目に入った。「旧吹上町大字与倉字内木場」となる。地理院地図に見えるいくつかの付近の地名も「小字」として見える。かくして一つ解明できた。しかしこれは私の当初のミスがなければ最初からこうなっていた筈だ、反省。
▲この記録者は1877年6月24日の官軍の鹿児島総攻撃で、鹿児島市の「涙橋の戦」で敗れた。恐らくそこから背面の岡である「紫原ムラサキバル」へ登ったのだろう。そしてさらに西の旧松元町春山へ着いたのが25日。翌26日その一行は南下して伊作(イザク)へ出ることにした。そして着いたのが「内木場村」だった。ここで彼等一行は隊を解く。この記録者はこの後故郷枕崎を目指してさらに南下する。