★地名不明解明作業へ2017年09月18日 20:07:14

開聞岳
▲実は地名実数調査に取り掛かった時には想像以上のミステイクが見つかり、我ながら唖然とし、落ち込んだ。ただその過程で幾つか地名解明に繋がったことがわずかに救いとなった。不明地名解明の作業は今度は地名実数調査に用いたファイルを使って新たに取り組み始めた。早速大改訂をしなければならなくなった。
▲それは「▲①7月10日晴天、同所にて大場合戦に及ぶ」という(日記・日誌)記録を見た時だった。散見する「大場」は全て「大場(不明、……)」とか文末の「※意味不明」となっていた。記録者は時に「大場」の文字を「延岡大場」とか「伊勢大場」と記している。やっと思いついた。「大場」は「台場(ダイバ)」だと。台場は戦いの基地・起点・砦を意味する。
▲次に「▲①7月8日晴天、高中の向美々津の釘山にて合戦に及ぶ」とういう記録である。「美々津」といえば今は日向市美々津であり耳川の終着点であり、古来交易の盛んな港町・宿場町であった。そして前後の「高中」も「釘山」も不明のままである。何かヒントはないかと、地理院地図上をあちこち見る。そして目に付いたのが今は延岡市となっている旧北方町に「美々地」があった。「美々津」がそれを誤記したと考えると全てが理解できるようになる。五ヶ瀬川・綱の瀬川沿いの地は高千穂町方面から攻めて来た官軍第一旅団と西郷軍の激戦が続いていたから、その筋書きに沿う記録となる。そして「美々地」の西にあるのが「槙峰銅山」である。私は先に記した「釘山」は実は「銅山」であると結論付けた。この銅山は三菱会社所有で近年まで維持されていた。そして記録者は「銅山大場」とも記している。かくしてこの記録者の記した「大場」は全て書き直しとなった。ワード1、エクセル3のファイルの修正作業に夜分3時間半費やした。
 前日作成した新DVD配布版は改めて修正することになった。できたら「高中」がどこなのか分れば100%だったのだが。
※画像は久しぶりに撮影できた。別府川河口から見た開聞岳。家人が言った「台風一過」の言葉がヒントになった。

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