★不明地名解明に名案と迷案2018年01月31日 18:32:16

▲名案の例は以下の資料から。
●同廿二日熊本県下へ達し即ち本営を護衛す、本隊は即日山鹿え繰出し志宿村を守る※志宿村(志々岐シジキ、山鹿市志々岐、県道16・菊池川・岩原川)【12060003】:(10)
◎この「志宿村」は「不明」としていたが、私は見た瞬間にピンと来た。「志々岐」だと。何で不明としたのか分らない。鹿児島市に「宇宿」があり、今は「ウスキ」だが「ウシク」とも言った。筆記人は鹿児島市の「田上タガミ」の人であり、南方に当る「宇宿」を念頭に、この文字を選択したのであろう。
▲迷案の例は以下の資料から。
●十年二月廿二日肥後川尻駅に於て双方斥候出会、鎮台方の兵は方角を取失ひ候欤(ソウロウカ)狼狽、敵味方不分切捨、壱人は迯去を捕縛いたし候処伍長の由、鎮台方の手配等糺方の上絵図迄も為認候上切捨に相成候由、其形勢熊本に押寄城郭を取巻、未大砲不相打内、此方より小銃を城中え打込み、城内には破烈(裂)等打出戦争に相成、此方破烈にて手負七拾人位、内即死両三名之由、名前不相分、手負之由に三白村医に承候処、死命には拘る程之儀は無之との見留候由※三白村(不明、宇土市三城か)【20047093】:(5)
◎最後の部分にある「三白村医」を私は「三白村」の「医師」と解釈し、宇土市「三城」としたが、ここは「サンジョウ」と読むので間違いである。ここから「迷案」が浮かぶ。それは医師の名前ではないか、杉田「玄白」がいるではないかと。そこで「三白村医(三白サンパクという村医者)」と解明したのだが、まだ自信がないので、資料上での訂正は保留中である。ところでこの記録は筆記人は伝聞を元に記している。そのため初めにある「二月廿二日肥後川尻駅に於て双方斥候出会」は本当は「2月20日」深夜に起きている。
私の「三白」の解釈は川尻付近にその名を持つ医者がいたと確認できれば、解明作業上では「名案」となるのだろうが。
※画像は西郷軍の川尻本営跡地とされる家。たまたまここは地震被害の様子が見えないので利用させてもらった(Googleマップで作成)。