★不明地名「川原町」と「曽見村」の訂正2018年03月02日 21:32:49

球磨村大瀬沢見
★不明地名「川原町」と「曽見村」の訂正
▲「川原町」の地名は以下の資料にある。すでに訂正済み。
●夫より十二三日(3.26・27)頃菊地川原町へ進軍本道へ番兵五人宛繰廻しを以相詰たるに※菊地(菊池キクチ、菊池市隈府ワイフ、国道325・387・443・県道18・23・133・203・菊池川・迫間川)※川原町(下河原シモカワハル、菊池市下河原、県道23・201・河原川、河原郵便局・河原小学校)【11301918】:(1)
◎平凡社辞典で「川原」、「かわはら」で検索できない筈である。それは「下河原」、「しもかわはる」だった。その発見のきっかけはネット情報で菊池市「下河原」に「河原小学校」があるとわかったことである。Googleマップではさらに「河原郵便局」が確認できた。改めて「平凡社辞典」で「下河原」を確認すると、「下川原村」、「川原村」、「河原村」との文字が見える。当然「上河原」があると思ったが、それはここにはないようである。
▲「曽見村」の地名は以下の資料にある。すでに訂正済み。
●同廿八日立、曾見村と云ふ処へ着す、即刻より当所番兵一週間位守居※曽見村(沢見サワミ、球磨村大瀬、日の元神社)【10101204】:(1)
◎実はこの訂正はいささかこじつけではないかとの反省がある。この筆記人は薩摩からの二次出兵組である。当初の一番大隊から七番大隊までの兵士損耗により補充された者達で、彼は3月26日人吉に着いた。そしてこの日(28日)に「曽見村」に進軍した。彼等に先立って球磨川を下った辺見・別府の部隊を追っていると考えて、球磨川周辺に「曽見」を探す。全く手掛かりがない。しかし地理院地図に「沢見(サワミ)」がある。私は筆記人は「サワミ」を「ソウミ」と聞いて、「曽見」の文字を充てたのだと考えた。こじつけであるとも思うが。ここ「沢見(サワミ)」は5月の球磨川方面の戦でも登場する。
※画像はGoogleマップのストリートビューで作成した「沢見」集落。よくぞその地に行ってくれたと感謝しつつ、多分国道219から林道大瀬線(?)を登ったのであろうと私も後を辿る。途中画像が動かないのでペクマン人形を何回か道へ下ろす。そして「沢見展望所」案内がある所に着いたが、Google車はそこには行かなかったようだ。残念。