★篠原國幹戦死地の桜の写真を見て2018年03月18日 09:01:07

▲写真は偶然ネットで見つけた。思えば私は2014年4月訪れていた。福岡に向かう途中での寄り道だった。ただ私の写真には桜の木は緑に輝いていた。たしか私は県道113から地域道へ下って彼の碑に行き着いた記憶があった。しかしどのような道を通ったかまったく記憶はない。そのわずかな記憶を頼りにGoogleマップでの訪問を試みた。さらにネット情報で散々探して先ず大体の位置を知ろうと試みることなどで費やした時間は2時間半。何の成果もなかった。結局最後は玉東町の「西南戦争遺跡マップ」に頼ることになった。それに用いられているのは「Googleマップ」であった。マップ上の近地点の道筋にペクマン人形をそっと下ろす。そして道を上がって行く。すぐに辿り着いた。通り過ぎてから振り返って見ると、私の記憶にある、下って辿り着いた風景と合致した。たしか左カーブの所にあったと。次に改めて地理院地図を並べて見る。すると地図記号の記念碑がある(画像青の〇)。私が知りたかったのはその地の正確な地名だが、今はまだ「玉東町大字原倉」までしか分らない。記念碑付近は北緯32度52分33.21秒東経 130度37分48.91秒。
▲関連資料2つ。いずれも「征西戦記稿」から。
①是日(3月4日)野津大佐は本月1日区画する所の部署に従ひ、兵2大隊半を率て右翼吉次越を経、小窪に赴き正面軍と会し更に部署定めて熊本に入らんとす、兵を進て吉次越に至り劇戦すること終日終夜遂に賊の一将篠原國幹を殪す※小窪(大窪、熊本市北区大窪、国道3・県道303・387)※吉次越(キチジゴエ244m、吉次峠、旧植木町木留キドメ、玉東ギョクトウ町との境界、原倉村道)◎野津大佐は鹿児島出身。
②賊将篠原國幹挺進其衆を指揮す、江田少佐之を識る、善射を擇び狙撃せしむ、音に応じて斃る、一賊負て遁る◎江田少佐は鹿児島出身。