★今の作業は人名不明解明2018年04月08日 20:17:48

▲霧島市の2図書館で得たコピーのうち、「川尻町史」のある薩軍関係戦死者名簿をOCR化し、またPDF化も完成した。そこで以前作成した南洲神社の戦死者名簿と照合する作業を始めた。その名簿は出身地・氏名のみで、私の欲しい戦死月日・地名の情報はない。
▲4名単位で確認作業を始めた。4名は私のエクセルでのフィルター検索の基準である。ヒットすると一番上部のcountif関数が「1」と出る。同名が2人なら「2」、まったく該当しないなら「0」である。4名同時に「1」が出ると作業は早い。それは10回に2回あるかないかである。
▲かくして現在まで「川尻町史」にある氏名829名中の261名まで済んだ。そのうち46名は何故か南洲神社名簿には該当者が見当たらない。この46名には「一郎左衛門」と「市郎左衛門」、「嘉右衛門」と「喜右衛門」のように微妙に違う例は合致したと解釈したので含まれない。こんな例もあった。名は「彦助」、ところがA氏の作成された戦死者名簿に、「彦介」別名「照方」とあった。そして南洲神社名簿にその「照方」の名前があった。おそらく「46名」にもこのような事情があるのであろうと想像する。わずかな手掛かりを元に特定して行く作業は不明地名の時と同じである。
※画像は4名ではなく1名の姓「馬濱」(赤カッコ)を探る画面(南洲神社名簿)。文字を替えても「0」。「馬」1字では128個ヒット。圧倒的に多いのは「馬場」姓。肝心の「馬濱」はその間違いなのではと思うが。
なお「馬濱」は「三月廿三日植木ニテ戦死」とある。田原坂陥落は3月20日。このころ戦は植木を中心に展開していた。