★研究作業何とか終る2018年06月29日 20:45:43

椋鳩十文学館横を走る七つ星(2016)
▲参覲交替論稿の再刊に備えての見直し作業も大きなヤマは越えた。最後の難関はいきなり終った。
参覲交替が終った後のことではあるが鹿児島から京都まで、そして江戸まで往復を重ねた人物がいる。島津斉彬の弟久光である。彼は最後の藩主島津忠義(茂久)の実父であり、幕末政治史に名を残した。私の用いた「追録八」や「忠義公史料」では彼の動きを明確に出来なかった。
▲そこで困った時のネット情報頼みをして見た。そこには明確に動きが記されているではないか。この情報何から得た情報かと考えた。私が2史料から得て記した一応の出発日とは違う例がある、京都到着日も違う、中には私の史料にはない発着日さえある。さてはと思いついたのが「鹿児島県史」である。その第三巻は幕末の政情と薩摩藩内の動きを記しているもので、「県史」の域を超えた価値を持つ。先ずは開く。そこで分った。ネット情報の出どころは全てこの「鹿児島県史」であると。ネット情報だけでは訂正は出来ないと悩んでいた私は、この「鹿児島県史」の記事にある文言のうち、久光の鹿児島・京都・江戸の発着日を全て正しいものとして書き替えることにした。今までの資料との矛盾点は残したままである。
▲「鹿児島県史」の記事のさらにその元の出典資料があると分かったので、確認のため鹿児島県立図書館に行った。しかしドジな一日だったような。
●午後加治木駅へ自転車で向かった。高校生が一斉に下校している。歩道は彼らであふれていた。駅は入れないような状態、「ははあ、期末テストが始まったな」と。電車の座席争いでは負けるので必ず座れるバスを目指した。ところがほぼ1時間の待ち時間がある。再び駅へ向うと駅舎はガラ空き。安心して電車に乗ったらエライ勘違い。国分・隼人駅からの高校生で座る席なし。幸い一駅目で空きが出来たのでやっと座れた。高校生は重富駅でいなくなった。ただ向いのホームの国分行きの電車は彼らで満杯だった。
●図書館ではパソコンと資料を取り出して、ロッカーにリュックを入れる。右手でパソコン、左手で資料を掴んで2階のパソコン専用コーナーへ。先客は1人。その資料はすぐ係員が運んで来た。「アッ、ペンがない」。ポケットのペンもない。もう一度ロッカーへ行き、ペンケースを持って来るか。否である。パソコンを開いて、打ち込む作業を始めた。終って机上を整理している時気づいた。ポケットにあったはずのペンがイス下に転がり込んでいた。先客はまだお仕事中である。
●ツキがあったのは、バス停に着いた時である。時刻的にはもうここにはいないはずのバスが来たではないか。バスの乗客10余名。加治木本町バス停で私が降りた後は女性客1人が残った。