★電動アシスト自転車へストレス掛けた2018年08月06日 02:45:08

▲電池メーターは40である。今日はどうしてもこの坂を上って溝辺台地に上りたかった。それは県道55であるが、小山田地区までは別道を取った。自宅から龍門温泉前を通って龍門司坂前から林道を上る。そこには傾斜11度のマークがあった。すぐ強力なオートマチックに切り替えて上って行く。通常は車も少ない広い林道であるが、何故かこの日は多い。途中2回休みを取る。メーターは30を示している。上り切って少し下ると大きな公園がある。陶夢(とむ)ランドである。それに沿って平坦な道を進む。屋内体育施設前には車が多数並んでいた。少し下ると県道55に出る。ここに龍門司燒がある。ここからが今日のメインである。県道55もまた車がやけに多い。途中1回休み、第一関門のゴルフ場入口前でメーターが18と表示された。ここからの上がりはやや楽と考えて進む。するとほぼ約1分毎に電池メーターが「1」ずつ下がっている。ゴルフ練習場入口ではついに「10」に、そして点滅を始めた。それでも進むとメーターはすぐに「9」を示した。もう限界である。残り数百メートルの目標地点「二里塚」バス停までは無理だと考えた。引き返す。後ろから来る車に気を付けながら下る。再び龍門司燒前に来て、陶夢(とむ)ランドへ上る。ここともう一ヶ所の短い坂、そして自宅前の坂までを「9」の点滅のままで乗り切って帰り着いた。
▲研究作業から、1877年5月1日の西郷軍側記録。
●5月1日未明我行進一大隊江代を発し人吉に到着、直に各隊長と共に本営に会議す、此時官軍大口に突き出しとの偵報により我行進十一番中隊を大口に向け、其余の各隊は鹿児島に向け進軍す、中隊長日置吉左衞門、宮原孫右衞門両人は大斥候として衆に先立て発す、既にして官兵鹿児島に到着の報ありて振武一大隊、行進砲一座進発せり、然る後応援兵を乞ふの急報あるに依て神速行進一大隊繰出すへき令西郷の人吉本営より達す(相良は直に人吉本営に至り軍議して帰営す)
※4月26日以降鹿児島には官軍が続々上陸した。人吉方面の西郷軍の「振武」と「行進」の2大部隊がその対応のため鹿児島へ急行する。結果は城山と鹿児島市街地(甲突川東)を占拠した官軍を西郷軍が包囲する形となる。
▲画像はセミ。何故かわざわざ姿を見せに来て鳴く。