★ミスの訂正&研究作業から2018年09月10日 06:25:48

Googleマップで作成:10号仙厳園
▲研究作業中に次の字句が目に入った。「僅に拾名」とあった。これはおかしい。当時の人はこういう表現はしない。これはきっと「僅二拾名」ではないか。すぐ原本と照合する。やはりそうであった。原因はスキャナーがカタカナの「ニ」と漢数字の「二」とをよく間違うことにある。そして私が気付かないのは、字体が気に入って「MSゴシック」を使うことによる。これでは見分けは難しい。このミスをこれまでどれだけ多数修正してきたか数えられない。称して「二やミス」。
今回もこのミスのため、10ファイルを並べて修正した。言いたいセリフ、AIスピーカーに向かって、「Google、ミスを全て訂正して!!」。
▲鹿児島戦1877年5月23日。
①午後1時川村参軍浪花艦を以て桜島周圍を巡視す、各旅団将校皆随ふ、楽隊(海軍)終始楽を奏す、沿岸の賊は塁を離れて観る、而して敢て狙撃する者なし【30038033●巻38鹿児島戦記】
▲この記事の前に、以下の記録がある。
②23日第四旅団は磯山を取ん事を議し曾我少将は川村参軍と共に汽船に駕し、地形賊を偵察せしに賊頗る備あるを以て果さず【30038032●巻38鹿児島戦記】
◎つまり両記事から見えるのは、①「各旅団将校」は②「磯山」奪回作戦検討のために錦江湾から観察・検討していた。海軍音楽隊の演奏はそのカムフラージュだったのだろうか。聴き入っていた西郷軍兵士の感想は?
※磯山(仙巌園後方の山、鹿児島市吉野町磯)