★パソコン状況&研究作業報告2019年01月31日 22:14:00

▲最近のパソコン状況。
全くデスクトップ機は使わない。また広縁に置いてあるディスプレイとノートパソコンを繋いでの利用もしなくなった。理由は寒さだ。2月一杯は自分の部屋で使う形になるだろう。そしてパソコンは使った後電源を「スリープ」にする。そうすると作業状態が常時継続されていることになる。結局面倒を避けただけである。起動の度に作業開始まで5ファイルの作業位置をディスプレイ上でする手間がなくなった。
①エクセルでは数字セルからコピーして「数式バー」に置くと、何故か8桁の最初の数字(最左)が隠れる。ここ2週間ぐらい前からその現象がある。
②ワード2ファイルで同じ「置換」作業をするのに、それぞれにその作業窓の作成をしなければならない。実に面倒である。エクセルは同じ窓で3ファイルでも、いくらでも応用できる。
③過日、久しぶりにワードを怒らせた。作業始めた段階でよかった。もちろんワードの再起動提案は拒否して、もう一度自分の保存したものを再度起動させた。
▲1877年8月15日、西郷軍は延岡奪回を目指して大戦争を仕掛けた。
①西郷軍側資料(簡略化してある)
●此に於て西郷は事の已になすべからざるを察し、一決戰をなし一方を打敗り、勝ち万一に取らんと欲するや、尽く豊后口の兵を揚げ鋒さきを一にして直ちに延岡を衝く、西郷、桐野、村田等皆出でて兵を指揮す、兵氣為に奮ふ、熊本隊も亦頗る奮戰、山崎定平奮然自ら進んで衆を指揮し、忽ち弾丸に当つて重瘡を負ふ、邊見等亦鞠躬尽力則ち退ぞき走る者を斬つて衆に示す、衆大ひに奮ひ進み戰ふ、時に午牌遂に左翼より敗れ、全軍退ひて長井村に拠る、此の時に当りて纔かに我守る処一里方に過ぎず
●此時、西郷・桐野等始めて来たり、銃丸を冒して兵を指揮
●此戦や桐野・村田の両氏は正面和田峠に在陣ありしか、勢既に危窮するに及て麾下の將士之を勧めて退かしむ、然りと雖も両氏は肯せす自若且晒て、曰く「事既に此に至る、生又何そせん、且我輩去らは諸軍又隨て動揺せん、此坐決て動くへからす」と、遂に坐を変せは之を百端強起するに至て徐やく退営す
②政府軍側資料(簡略化してある)
●本日の戦、参謀長品川中佐、参謀平岡・坂元両少佐及び諸大隊長・砲兵長悉く與からざるなし、賊軍は則ち西郷・桐野・村田・別府・邊見等皆無鹿・長尾の間に在て其隊を指揮し、兵員又3000に下らずと云ふ
●我兵に賊将邊見十郎太を識る者あり、其名を呼び進て之を獲んとす、十郎太止まり短銃を放て去る
▲画像は研究作業でその地名の「読み」を確定するのに苦労した「下渡」。※下渡(シモワタシ、旧北方町蔵田、県道237・五ヶ瀬川、下渡バス停)。正面橋は国道218天馬橋。

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