★梅雨は去ったのか&1877年の雨2019年07月05日 00:14:10

4日の龍門滝と開聞岳
▲実に長い長い雨であった。時に小降りとなり、また止むが、すぐにまた降り始める。その間何回か自転車で出ようと試みたが、20分間そこそののお出かけも最後は濡れる始末。パソコンで雨情報を見ると最悪の状況が続いている。
今日やっと晴れ間がのぞいた。そこで、テレビで繰り返し出て来た我が町の誇りの龍門滝の様子を見に出かけた。テレビでは濁った水がいかにも怖そうに映されていたが、今日はやや白色の、しかし水量は変わらぬように見えた。水しずくがイヤなので写真は遠景。撮影地は龍門滝温泉(改築につき営業中止)の駐車場。同じようにスマホで写真を撮る女性がいた。聞くと遠くにいる娘が写真を送れと言ってきたのでと。
方向を西へ、姶良市中心部へ向かう。時に走る崖下の里道は避けて国道10号を進む。10号は一部不通なのか車は少し少ないような感じ。思い付いていつもの地点に行く。開聞岳がいつもより大きく見えた。残念なことにニコンを持ってくるのを忘れていた。今日の画像はキャノンのデジカメ。開聞岳の右下(中腹か)に雲が少し掛かっていた。私の記憶ではこのような景観はないように思う。
空は雲が多いが、なかでも飛行雲がこんなに膨らむのかと思うぐらい目立った。
▲1877年6月28・29日の記録から、雨の記事。
①28日別働第二旅団
28日霖雨始めて止み、球摩川の水5尺を減じ以て航すべきなり、山縣参軍佐敷より電報する左の如し、「第一旅団25日を以て宮水に進み、七山に拠り且つ胡麻山を警備す、延岡口の賊は頃日威焔猛烈にして重岡・佐伯等に襲来し猶ほ再襲の勢あり、其旅団左翼五箇庄方面如きも亦一層の警備を加へざる可らず」と
②28日高鍋鎌攘隊
時に大雨頻りにして河水漲り運輸便ならさるを以て、昼夜兼行して柚ヶ内に退き、小原越を守る※柚ヶ内(ユウガウチ、旧北川町川内名、矢ヶ内川)※小原越(大原越オオハルゴエ、佐伯市宇目大平・旧北川町川内名)【10415008】:(1)
③29日第三旅団
第三旅団は連日の強雨川流暴漲の為め曾木・本城・湯尾の賊を攻撃せんと欲するも、百計殆んど盡き濟川の術を得ず※曽木(旧大口市曽木、国道267・川内川・針持川、曽木の滝)※本城(旧菱刈町南浦、県道425・川間川)※湯尾(湯之尾、旧菱刈町川北、国道268・川内川)

★地名説明を訂正する2019年07月12日 03:14:26

龍門滝
▲私の西南の役関係資料に出ている地名は総数11621。うち先ほど1地名説明を訂正したので「不明」地名は現在は1422である。ところでいつも弁解するが、ここでは「地名」は山・川・海の名称、時に人の邸宅名など多岐にわたる。
▲不明となった地名は以下の文にあった。地名は既に修復済み。文章は一部略してある。原文は1877年2月7日種子島から出発した某の日記。
●七日旧二十五日(略)午後四時に垂んとする頃現和村(西之表市)より飛報至て曰く、即今田之脇浦に着艦すと、乃伊勢宮遙拝場の庭に於て人員を糺合し行伍を整列し、発するに臨て祝抔を酌み滂沱を冒して現和村に向ふ、時既に暮夜闇黒咫尺を弁ずる能はす、(略)小牧阪以東人馬往行繁きに依り道路大に淤濘となり、深き脛に及ひ歩々速に挙る能はす、余草属を泥中に脱遺し韈のみを着し寸進尺退、蹣跚恰も大酔人の如く転倒する数回、笑ふべく亦愍むへし、田代川に到れは現和村男女老幼出て橋頭に篝火を設け水樽を置て渇を助く、此より田之脇浦に至るの間、該村人路傍に聯絡し炬を照して明を助く、余謂らく、村人の懇志甚た至れり、余輩之に報する将に何をか以てせんと、駿鼻感涙を濺き田之脇浦に着する既に十一時なり、平素は僅に三四時間にして往復するの路程、今多く時間を費す、以て其艱苦を知るへし※現和村(ゲンナムラ、西之表市現和、県道75・湊川)※田之脇浦(田之脇港、西之表市現和田之脇、県道75)※伊勢宮遙拝場(伊勢神社、西之表市上西大花里オオケリ)※小牧阪(小牧坂、西之表市西之表、県道75)※田代川(田代川タシロカワ橋、西之表市現和川氏カワウジ、湊川の橋)【20050002】:(1)
◎私は「田代川」を川の名として考えて、「不明」と説明していた。原文をさらに読むと「橋頭に篝火を設け水樽を置て渇を助く」と。「橋」だったと考えることもできるのに。これは実際はネットで探し当てた。西之表の文化財でもある石橋(大正年間)の名が「田代川橋」で、川の名は「湊川」、集落名は「川氏カワウジ」。ともかくも正しく訂正できた。私の記憶では数ヶ月ぶりに出たヒットである。残りの1422は有志の協力を得て少しでも訂正できればと念願している。
▲画像は私の自慢の龍門滝の写真。2005年8月21日撮影。同様写真が過日某テレビ局でチラと見た。

★久し振りのOCR2019年07月17日 06:23:58

▲Canonプリンターの主メニューを出す、そして
①OCRクリック、
②画面が出たらスキャンをクリック(その前に保存先、ファイル名等考えて整えておく)、
③スキャンが終る、
④入力範囲クリック、
⑤認識クリック、
⑥編集クリック、
⑦すべてをクリック、
⑧CTRL+Cでコピー、
⑨ワードにコピー(自動的に縦書きが横書きになる)
ここからが私の本番、認識率は95%?ぐらい正確であるが、残り5%の誤認識を見付けて訂正する。見付けたら一斉置換をして訂正する。120以上の訂正をした例があった。何という文字かはもう記憶していない。不思議だったのは、正解「日、種子島」がいつも「日一種子島」となっていたことだ。OCR君は何を思ってそうしたのか、いやCanon君が悪いのか。
※今、Shift+Oと押すべきをCtrl+Oとしたので突如画面が「ファイル」を押した状態になった。覚えておこう。
▲その資料はワードからエクセルへコピー。そしてそこにある和暦年月日には西暦年月日曜が自動的に計算されている。私の「和暦西暦」シートを用いた。画像はその1つ。

★新装なった2資料2019年07月29日 22:04:34

▲エクセル資料ファイル名①「★改訂全地名検査190302」と同じく②「★地名実数(提供用)190303」を新装した。7月17日から29日まで掛かった。
①には考えられないミスがあり、何とか修正が終った。完璧とは言えないが今は最善の作とする。
②は古い資料が基に作られていたので、①に合せてこの際作り直した。
▲画像右が①、左が②。
①「★改訂全地名検査190302」の官軍資料の最初(1月28日)
▲①山縣陸軍卿の谷少将并に大山陸軍少輔に下命せしは、皆一月廿八日に在り、谷少将は直に此命を以て小倉営所第十四連隊(少佐乃木希典)に傳へたり※小倉営所(熊本鎮台小倉営所、北九州市小倉北区城内、国道3・県道63・紫川、小倉城跡・小倉城庭園)【30001020●巻1征討発端】
①「★改訂全地名検査190302」の官軍資料の最後(9月30日):新撰旅団
▲①30日第三大隊鹿児島に達し、監査隊は日向富高新町に転ず※富高新町(日向市本町、国道10・327・県道226・塩見川)【30064225●巻64城山戦記】

★庭に自動で散水させるほか2019年07月31日 21:56:33

セミ2匹
▲過日ほぼ2ケ月振りに庭の草取りをした。薮蚊防止のネット帽子を付けて1時間弱の作業だが疲れた。次の日は折角きれいになったので家人の園芸作業の水撒きの手助けをさせるために、ホースを繋いで2個のスプリンクラーを設置した。庭土に埋め込んで固定するので安心である。撒くのは家の元々池のための井戸ポンプからの水である。室内のスイッチ1つで水がクルクル回って散水される。今日はさらにAZに行って細いホース10mものを買った。1400円台である。これは普通の水道栓に繋いだ。そして初散水。コックに「ミスト」とあったので実験。何と見事な虹が出ていた。テレビ等でミストを見るが、虹が付いていた記憶はない。
▲庭は今はセミ全盛期を迎えた。朝から鳴く音が耳をつんざく勢いだか、何故かうるさいとは思わない。庭木をよく観察すると葉陰に姿が見える。家人は特定の木に多くくっ付いているという。庭に出ると邪魔する気もないのに一斉に飛び立つ。蝶も来るのでカメラを側に置いて観察する。花に付いた瞬間を狙っている。花に来たと思って、カメラを構えようとすると、すぐ飛び立つ。ただたまにはゆっくり撮影させてくれるのもいる。その少ないチャンスが生きた時は幸せである。
▲研究作業は再び「地名実数」資料の不明地名の解明作業に戻っている。
◎1877年2月22日、西郷軍四番大隊四番小隊の記録(記録①~⑦)
▲④翌廿二日未明小川駅を繰出し、御船街道を経て夜十二時頃川尻駅に着す、即夜同所を繰出す※御船街道(不明、宇城市小川~県道32~御船~国道445・県道50~川尻か)【12052003】:(4)
▲⑦同廿二日熊本開戦の報を得、我か半大隊間道より御船を過き川尻に着す【12235003】:(7)
◎これとは違う別資料によると、御船に置かれた臨時県庁は西郷軍が来ると聞き、慌てて移動したという。④と⑦はまさにそれを裏付ける資料である。⑦は「半大隊」としており、一部が御船へ向かったのである。問題はそのルートである。④は「未明小川駅を繰出し、御船街道を経て」とする。そこで昨日までは「※御船街道(不明、御船国道445~県道50川尻か)」としていた。これを今日は以上のように改めた。本当は「不明」の2字を取りたいのだが。