★今の作業は明日には終るか2020年03月02日 01:23:54

▲作業はエクセルに並べた「旅地図(山陽道)2」である。私の旅の記録の東海道部分から遡っての修正作業である。私の作業は大体最後に近づくといいアイデアができて非常に気に入った状態に仕上がる。従って最初のころの作業とは雲泥の差とは大げさだが、自分ではそう思っている。つまりは最後から最初の方へ遡って、最終的な最善の作業方法で改訂作業をする破目になる。
①地図画像を先ずは無用な部分を削って整形、保存する。
これは今現にエクセルにある画像を一定範囲を決めてコピーする。画像はエクセルのセルで指定した範囲だけ切り取られる、それを「図として貼り付け」ボタンをクリックして保存。元の画像は消す。
②同じ作業を「ペイント」で行なう。
うかつなことではあるが、初めて知った。今まではペイントで作業した後は、点線の四角部分を押して、マウスで大きく範囲として選び、切り取り保存していた。何も考えることなく。
ところがある時に、点線の四角部分の下に小さな下向きの三角(▼)に気づき、クリックした。そこには「すべて選択」という項目があった。積年の悩み、「パソコン上の画面サイズ以上の画像切り取りができない」が解消した。大体マウスで大きな枠を作って囲むことも何回失敗したことか。マウスが机からはみ出すのだ。今や画面に入りきらない大きさも範囲として全て指定できるわけである。
③整形作業中の最重要作業は地図上の私が歩行する道を赤く、或いは青く、塗り替えることである。そもそもその作業は、私がピンクのマジックで道をなぞっていたから、PDFにした段階で消えていたことが原因だ。それを今はマウスで作業するが、手がブレて上下左右に揺れ動く。結局、直線の棒を細目に繋げて作成する方が楽だった。
▲画像はペイントで作業したが、ゴチャゴチャになった。赤いワク部分は次に並ぶ拡大図との関係を示す。黄色は元々あった赤線を黄色のブラシでなぞった部分。「阪神高速3号神戸線」と「高速下は国道43号」はエクセルで書いて「図として貼り付け」した。地図は地理院地図で2006年。この日の旅は西宮神社門前で終えた。

★久しぶりに西南の役研究へ2020年03月07日 08:54:43

▲画像はやっと探し出したファイル。このファイルは私の研究の一番の基礎と言える。残念ながら配布はしていない。○○権侵害と言われる方々がありそうで。つまり原本そのままに打ち込んであるので。
①画面AとBは同一ファイルの2画面である。
②画面Bに「馬ノ背」と打ち込んである。これは私が解決できない鹿児島市の地名の1つである。画面Bは3万行を超える資料から10行を抽出したところだ。
 画面は抽出した資料を十分に見れる大きさのセルではない。それに画面Bは、例えば{F4}セルにマウスを置くと「=IF(ISERROR(VLOOKUP($A4,懲役人誌記征西全141017!$B$5:$W$32003,7,FALSE)),"",VLOOKUP($A4,懲役人誌記征西全141017!$B$5:$W$32003,7,FALSE))」
という関数式が出て来るだけである、
③そこで画面AではBに合わせて、同時に原文を抽出できるようにしてある(フィルター機能)。これを見れば各セルの文字情報がマウスを置けば確認できる。
④この画面A・B2つを抽出するのは時間はそうかからないが、これの解除が時間がかかる。今A画面の解除を始めた。2分近くかかった。8スレッドのDELL機で。
⑤この資料には私が日付を特定できない資料も含まれる。今回は1つだけ含まれた。日付欄は「●」としてある。3万1997の資料の84.43%は何とか日付を特定している。ところで資料の「分類」の「1」は「西南之役懲役人筆記」(県史料)2万2557件、「2」は「日記・日誌」(市町村・民間史料)で5566件、「3」は出ていないが「征西戦記稿」(国会図書館)3874件である。
▲我が鹿児島県はまだ新型コロナが入って来ていない。私は疑っているが。すでにマスクは売り切れに、学校もいよいよ休校に、高校入試だけは無事に終わったようだ。とにかく出かけないことが一番だが。

★1877年3月4日の戦い2020年03月12日 00:40:20

▲以下は画像に合わせて、私の「3★全地名検査(3訂)(提供用)200310」エクセルファイルから、「永野原・鍋田・平野・腹切坂」の4語で検索してその内の2語を含む資料を抽出した文章が官軍側2文、西郷軍側4文。そこから選んだ。画像は左側官軍資料を元に作成。●官軍下記(1)に同じ。
互いに棒線の先端位置付近から「300m」ほどの間隔で応戦したと推測した。両者の間には岩村川がある。
画像の右端の87の文字位置付近に「西南の役古戦場跡」標示がある。そこは旧三加和町(現・和水ナゴミ町)大字(おおあざ)岩字(あざ)永野原である。広い台地の畑の中を豊前街道が菊池市へと向かう。
●官軍
(1)賊又兵を集め死力を尽して正面に迫り、腹切坂より我背後を射撃するが為めに、左翼の兵川堤に位置するを得ず、平野山頂に攀ちて前山の賊と谷を隔て戦ふ※腹切坂(豊前街道腹切坂、旧三加和町岩イワ下岩シモイワ、下岩官軍墓地)※平野山(不明、旧三加和町平野か)
(2)夫れ是の口の賊勢は亦頗る猖獗(賊将桐野利秋等常に山鹿の本陣に在りと云ふ)にして一時は長野原より腹切坂の上にまで来襲せしが、是の両日(三四)の戦は全く撃ち退け、正面は防禦線を腹切坂上の台に定め、僅々の兵を以て之を守り左右は未だ十分に守線を確定せず※山鹿(山鹿市山鹿、国道3・325・443・県道16・200・301・菊池川)※長野原(永野原ナガノハル、旧三加和町岩、豊前街道、国道443梅迫バス停入る)
●西郷軍
(1)四日暁天木ノ葉口の諸軍敗走し、乞援の報あるに依り永野原の応援隊を引揚け応援すべきの令を伝へしに、報知誤伝して全軍山鹿町に繰引す、官軍是隙に乗し追躡して至る、桐野徒らに退軍するを憤り叱咜返戦、我隊取て返し是を防く、又三小隊を分ち志々岐村に押出し、鍋田原に線を取り塁を築き防禦す【12342011】:(2)
(2)翌日(3.04)本道腹切坂へ突出、又本の山鹿へ引揚け滞陣、鍋田村へ守を附け官軍より度々進撃に相成「賊」勝利【11301915】:(3)
▲結局、誤った情報伝達で(「報知誤伝して全軍山鹿町に繰引す」)西郷軍側の失敗であった。別資料には、この後桐野は熊本本営へ戻るとする。
※自らを「賊」と呼ぶのは資料が西南之役懲役人筆記故の忖度か。
▲この一文は私の資料を駆使しての研究の1例文である。言い訳けすれば、これは研究不足である。

★地名探し「大月原」2020年03月17日 14:28:42

▲資料(「征西戦記稿」)は以下の通り。
●日付:3月25日※すでに田原坂は20日以降官軍の支配下になっていた。戦いは植木の各地で展開されていた。
大月原の守兵三浦俊三少尉(第十一連隊第三大隊第三中隊)・徳本中尉の両部下(第十一連隊第二大隊第四中隊)は第二線の塁に、原古閑の守兵横井中尉の部下(第十一連隊第二大隊第三中隊)は円台寺村の高阜に、円台寺村の守兵山田貫徹中尉の部下(第十連隊第二大隊第四中隊)及び大久保大尉の部下(第十連隊第二大隊第三中隊)は那智に皆敗績して退く※大月原(不明、旧植木町)※原古閑(ハルコガ、旧植木町円台寺エンダイジ、県道113)※円台寺村(エンダイジ、旧植木町円台寺、県道31・113・円台寺川、廃寺天台宗円台寺)※那智(那知ナチ、旧植木町那知、県道31)
①「大月原」で検索したら私の資料では10回登場する。説明は「※大月原(不明、旧植木町)」とある。
②別資料によると、円台寺から左へ緩やかに曲がって、大月原・生野(グミノ)となるとする。2地名共に現在の熊本市北区植木町円台寺に属すると考える。だが「大月原」はどの地図上にも出ていない。平凡社地名大系にもない。
③ここで「征西戦記稿」の「地名箋」が役立つべきである。10回も登場するのだから。しかしその地名は記載されていない。
◎結論:「地名箋」は何に基ずいて編集されたのかと疑う。同様事例は数多くある。逆に「征西戦記稿」に地名として出てこない地名が掲載されている。「地名箋」総数6295語、うち「征西戦記稿」にあるもの3540語、ないもの2755語である。
▲画像は今年最初の姶良の桜。姶良市立重富中学校グランド。1km先から聳え立つ鹿児島市吉野に繋がる市境の山には、多くの山桜が点在している。

★川尻の本陣は2つある2020年03月20日 21:25:56

▲ネット情報を集めるため、「川尻本陣」と打ち込んで検索したら、1877年の西南の役当時の西郷軍の川尻本営についての記事が出た。これは島津氏の利用したであろう本来の「川尻本陣」とは別である。前者は現在の熊本市南区川尻4丁目9にある「川尻薩軍本営跡」で、「明治十年戦役南洲翁本営跡」の石柱がある。後者は同4丁目7に木製の標柱があり、「本陣跡(小路町の待賓館跡)」とある。
昔の中心道路薩摩街道は、「田町すじ」から「新町すじ」へと続き、加勢川に架かる新町橋を渡り南下する。旧国道3号である。この両「すじ」と交叉するのが「横町すじ」、「見世町筋」、「本町筋」、「下シモ町すじ」で、現県道50号である。「小路ショウジ町すじ」は「本町筋」から北へ向かう。そこに「川尻本陣」があり、西郷軍の川尻本営は「下町」にあった。町は西へ向かう加勢カセ川に沿っており、肥後の物資の出入りする水運の拠点であった。
 「横町」には延寿寺がある。ここには西南の役で戦死・病死した薩軍兵士の墓がある。その墓碑銘資料にあるのは829名。その資料の最後に「以下姓名不詳ノ点アルニ依リテ省略ス」とある。
▲私は川尻の町のある1つの町の名「本町」を調べるために作業していた。地名一覧には「本町(不明、熊本市南区川尻)」としていた。今回いろいろ情報があったので、次のように訂正した。「本町(川尻本町、熊本市南区川尻4丁目6・10、県道50・加勢川、瑞鷹酒造)」。
●原本例
①丑三月廿五日晴十一日今朝六番病院へ柳田庄左衛門差越され、只今柳田勇次郎死去(中略)、私中途より引列、戦死取扱所へ差越、刀一本・鉄砲壱挺・胴乱一ツ・風呂敷包一ツ右取扱頼置候也、墓石三重一ばん相頼、代銭二円四十銭にて立方迄相渡、勇之助所よりひきり銭二十五銭相払、花立一銭五厘、勇之助五時比に川尻へ差、直に庄左衛門・勇之助・拙者同道にて墓参りいたし、今晩は私所へ留置候也、(以下略)※本町(川尻本町、熊本市南区川尻4丁目6・10、県道50・加勢川、瑞鷹酒造)【20035047】:(1)
▲画像は、絵地図は拡大してもはっきりしないので、代りにストリートビューで作成した川尻本陣にした。