★地名探し「大月原」2020年03月17日 14:28:42

▲資料(「征西戦記稿」)は以下の通り。
●日付:3月25日※すでに田原坂は20日以降官軍の支配下になっていた。戦いは植木の各地で展開されていた。
大月原の守兵三浦俊三少尉(第十一連隊第三大隊第三中隊)・徳本中尉の両部下(第十一連隊第二大隊第四中隊)は第二線の塁に、原古閑の守兵横井中尉の部下(第十一連隊第二大隊第三中隊)は円台寺村の高阜に、円台寺村の守兵山田貫徹中尉の部下(第十連隊第二大隊第四中隊)及び大久保大尉の部下(第十連隊第二大隊第三中隊)は那智に皆敗績して退く※大月原(不明、旧植木町)※原古閑(ハルコガ、旧植木町円台寺エンダイジ、県道113)※円台寺村(エンダイジ、旧植木町円台寺、県道31・113・円台寺川、廃寺天台宗円台寺)※那智(那知ナチ、旧植木町那知、県道31)
①「大月原」で検索したら私の資料では10回登場する。説明は「※大月原(不明、旧植木町)」とある。
②別資料によると、円台寺から左へ緩やかに曲がって、大月原・生野(グミノ)となるとする。2地名共に現在の熊本市北区植木町円台寺に属すると考える。だが「大月原」はどの地図上にも出ていない。平凡社地名大系にもない。
③ここで「征西戦記稿」の「地名箋」が役立つべきである。10回も登場するのだから。しかしその地名は記載されていない。
◎結論:「地名箋」は何に基ずいて編集されたのかと疑う。同様事例は数多くある。逆に「征西戦記稿」に地名として出てこない地名が掲載されている。「地名箋」総数6295語、うち「征西戦記稿」にあるもの3540語、ないもの2755語である。
▲画像は今年最初の姶良の桜。姶良市立重富中学校グランド。1km先から聳え立つ鹿児島市吉野に繋がる市境の山には、多くの山桜が点在している。

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