★川尻の本陣は2つある2020年03月20日 21:25:56

▲ネット情報を集めるため、「川尻本陣」と打ち込んで検索したら、1877年の西南の役当時の西郷軍の川尻本営についての記事が出た。これは島津氏の利用したであろう本来の「川尻本陣」とは別である。前者は現在の熊本市南区川尻4丁目9にある「川尻薩軍本営跡」で、「明治十年戦役南洲翁本営跡」の石柱がある。後者は同4丁目7に木製の標柱があり、「本陣跡(小路町の待賓館跡)」とある。
昔の中心道路薩摩街道は、「田町すじ」から「新町すじ」へと続き、加勢川に架かる新町橋を渡り南下する。旧国道3号である。この両「すじ」と交叉するのが「横町すじ」、「見世町筋」、「本町筋」、「下シモ町すじ」で、現県道50号である。「小路ショウジ町すじ」は「本町筋」から北へ向かう。そこに「川尻本陣」があり、西郷軍の川尻本営は「下町」にあった。町は西へ向かう加勢カセ川に沿っており、肥後の物資の出入りする水運の拠点であった。
 「横町」には延寿寺がある。ここには西南の役で戦死・病死した薩軍兵士の墓がある。その墓碑銘資料にあるのは829名。その資料の最後に「以下姓名不詳ノ点アルニ依リテ省略ス」とある。
▲私は川尻の町のある1つの町の名「本町」を調べるために作業していた。地名一覧には「本町(不明、熊本市南区川尻)」としていた。今回いろいろ情報があったので、次のように訂正した。「本町(川尻本町、熊本市南区川尻4丁目6・10、県道50・加勢川、瑞鷹酒造)」。
●原本例
①丑三月廿五日晴十一日今朝六番病院へ柳田庄左衛門差越され、只今柳田勇次郎死去(中略)、私中途より引列、戦死取扱所へ差越、刀一本・鉄砲壱挺・胴乱一ツ・風呂敷包一ツ右取扱頼置候也、墓石三重一ばん相頼、代銭二円四十銭にて立方迄相渡、勇之助所よりひきり銭二十五銭相払、花立一銭五厘、勇之助五時比に川尻へ差、直に庄左衛門・勇之助・拙者同道にて墓参りいたし、今晩は私所へ留置候也、(以下略)※本町(川尻本町、熊本市南区川尻4丁目6・10、県道50・加勢川、瑞鷹酒造)【20035047】:(1)
▲画像は、絵地図は拡大してもはっきりしないので、代りにストリートビューで作成した川尻本陣にした。

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