★「征西戦記稿」修正2020年06月17日 09:13:20

▲「征西戦記稿」は国会図書館から1回につき10コマずつダウンロードして、その本文全65巻を、印刷し、それを見ながら1字ずつ丁寧にワード化し、最後はエクセルで仕上げたものである。私が見ながら打ち込む作業だから、ミスも当然起きる。今までもいろいろ見つかり修正した。一部意図的に文字化しなかった部分もある。研究上不要と判断したからだ。作業中には、即断して、「○○の戦」などの題を設定したりして編集しながら進めたから、書き直したとも言える。ただ文字は原文の当時のままの表現を変えることはなかった。私が書き加えた編集部分を含めた全文字数は100万4923語。エクセルのセル数3874。
 そして今回も久しぶりにミスを見つけた。不明地名の並ぶエクセルセル1400余の1つにそれはあった。恐らくこのようなミスはまだあるかも知れないが見直す作業をする余力はない。結果、ほかにエクセル3ファイル、ワード1ファイルを修正し、おまけに不明地名が1個増える結果となった。
●訂正された文章。
第二旅団第十連隊第二大隊は半高山攻撃の左翼と為り、木留口諸隊の連絡を保ち、其第二中隊(石黒少尉)は進て前面の賊塁を抜き、火を生野分村に放て尚ほ進て吉次越の岐路を扼し、其第一中隊(稲葉正輝中尉)は賊を内平山に攻む、賊堅守動かず※生野分村(不明、旧植木町)※内平山(不明、旧植木町)
◎追加した部分
①進て前面の賊塁を抜き、火を生野分村に放て尚ほ進て吉次越の岐路を扼し、其第一中隊(稲葉正輝中尉)
②※生野分村(不明、旧植木町)
▲「征西戦記稿」3874セルの3872番目の文。
◎3872
●西郷軍(1)
▲賊兵は初め二千人を以て一大隊と為し、六大隊を以て熊本に向ふ、熊本縣下の士民之に應する者三千許、其第一(桐野利秋)・第二(篠原國幹)・第三(村田新八)大隊は正面に出、第六大隊は(別府晉介)は専ら熊本を攻撃し、第四(永山彌市)・第五大隊(池上四郎)は其中若干を分て衝背軍に當り、其餘は盡く正面に向ひ、又少しく後れて至りし一大隊(貴嶋清)は田原坂に進み、又賊将邊見十郎太等か中ころ鹿児島に返り新たに募りし千五百人は八代に向ふ、其後阪田諸潔等利秋の命を奉し、薩隅日三州の人民十七より四十に至る者を募て兵と為し、凡そ一萬人を増加す、而して日向地方の士族始より賊に應せし者延岡・高鍋・佐土原・飫肥等無慮数千人、中津の賊の之に投する者百五十人、竹田の賊若干、此他賊中脱逃する者・來降する者凡そ一萬の上に上れり、之を要するに其総数四萬に下らす(画像)