★研究作業報告2020年07月25日 02:51:02

▲最近始めた新しい方法がある。私の「不明地名調査用」エクセルファイルにはその地名が何という市町村に属するかの欄がある。今まで頭から順番に修正作業をしていたが、これを変更した。例えばA県のB町の不明地名を扱う。次にC県のD町のそれを扱う。その度に平凡社地名辞典も地理院地図も変えねばならない。今まではそれは当然と受け止めていた。
 そこで大転換である。県名・市町村単位にまとめて作業を始めることにした。気がついたのは実は不明地名には「兄弟姉妹」がいたのだ。「花園」と「花園村」は同じで、同じように「杉ノ本」と「杉之本」は「杉元」と同じ地名なのだ。かくして極めて効率よい作業になった。それでは成果もと思うが、これは相変わらず、うまくは行かない。
①「花園」と「花園村」の例。「花園」を例挙とする。
●同30日柏田守塁破るるを以て、全軍道を異にして佐土原・廣瀬等に退き、保北川を夾みて守る、我隊は上流竹渕を守る、此時、守線は上み米良口より祇園・花園・竹渕・佐土原・廣瀬等を経て下も海岸に至る、此際全軍弾鉛に乏しく、錫・銅を以て之を補ふ、錫・銅も亦尽く、鍋・釜の鉄を鋳し之を支ふに至る、又海岸の農民を募集し、木砲を造らしめ以て預め備えをなす※柏田(宮崎市瓜生野ウリュウノ、県道9・26・大淀川)※広瀬(旧佐土原町下田島シモタジマ、国道10・県道14・326・石崎川)※保北川(穂北川・一ツ瀬川、西都市穂北)※竹渕(新富町新田ニュウタ、県道18・一ツ瀬川)※米良口(西都市三納ミノウの尾泊、米良街道)※祇園(西都市右松、国道218・一ツ瀬川・祇園渡ワタシ)※花園(不明、西都市穂北)【20040121】:(4)
◎※花園(ハナゾノ、新富町新田ニュウタ字花園、県道312)。これはこの資料から「花園」が「祇園」と「竹渕」の間にあると分かったことだ。そしてネット情報から「花園」が「新田」の小字と分かった。ここはある遺跡だった。
②「杉ノ本」は懲役人の資料、「杉之本」は官軍資料(「征西戦記稿」)、「杉元」は土地勘のある人物の日誌の資料である。
●同第一方面は田中少佐2中隊半を以て越野尾村に整列し、午前4時一は小原一は碝石を捜索し、連絡を両村に取り守線を張らんとす、進む事1里余越野尾峠に至て賊に会し相戦ふ1時間許、長谷川操少尉試補1小隊半を以て右に迂廻し、賊の側面を撃つ、正面の兵之に応じて進み、賊を破り北るを追ふて之を杉之本に蹙む※越野尾村(コシノオ、西米良村越野尾、国道219・一ツ瀬ダム)※小原(児原コバル、西米良村越野尾、一ツ瀬ダム)※礇石(サレ、西米良村越野尾)※越野尾峠(不明、西米良村越野尾)※杉之本(不明、西都市か)
◎※杉之本(杉元・杉ノ本、西米良村越野尾、児原コバルと礇石サレの間、一ツ瀬ダム)。これは官軍資料(「征西戦記稿」)である。3つの地名は同じ地名である。どれが正解か分からないので併記した。地図上の位置は分からない。ただ「小原(児原)」と「礇石」の間にあると推測できる。地理院地図に共にある。ストリートビューで確認できなかった。多分一ツ瀬ダムに沈んでいるのかも。
▲画像はモンシロチョウ。