★地名説明改訂作業報告2020年08月07日 17:27:35

▲未解明地名は1407から少し増減していたが、最終的には「1404」となった。今回の作業で、「ほぼ完成」グループ140、「なお検討が必要」グループ174、「不明地名」グループ1090となった。
①地名はその字句のみ必要なのではなく、その現位置が分からなければ完全とは言えない。だから角川の辞典の後に並ぶ「小字」一覧も完全な参考資料ではない。鹿児島市のように字絵図があれば何とか見当が付く場合があるのだが。
②今回の私の孤独な作業の中で何回も挫折させられたのは「征西戦記稿」という官軍資料に出ている地名である。どこの「大字」・「小字」でもない地名が実に多い。山の名など確かめもせずに地名に「山」と付け足したレベルだ。この本には「地名箋」という参考資料も含まれているが、悪いが役に立たない、それに採録されてすらいない例が多い。何のための資料かとガックリさせられた。
③九州はダム王国(?)ではないだろうか。今のところそのダム下に消えた集落名、大字・小字名など記した資料にアクセスできていない。残念である。
▲作業事例を以下に記す。
◎1877年7月29日
然る処同所綾の雨ガ台の吾か塁官兵に攻破せられ、官兵既に我背に廻るに付同所を退く、其節本営は日向国佐土原に転営、我隊同所河渕に番兵致居候処※綾(綾町北俣麓、県道26・40・360・綾北川・綾南川・本庄川)※雨ガ台(不明、綾町か)【10605412】:(2)
●雨ガ台(天ヶ谷アマガタニ、旧野尻町東麓、国道268)
※「谷」は私の発音では「タイ」。これがヒントとなった。田舎の名も無き小川を「谷川(タイゴ)」と読んでいた。
◎1877年7月29日」
其後高岡郷(鹿児島県下)桑畑村の原にて戦敗れ(日不覚)、綾郷の(同県)川向へ陣を取る(爰にて戦なし)※桑畑村(不明、綾町入野上畑か)【11402617】:(3)
●桑畑村(上畑ウワバタ、綾町入野字上畑、県道26・本庄川)
※これは聞き間違いによると考えた。かかる1字違いは解明作業のヒントになる。
◎1877年8月2日
8月2日、已に黎明忽ち喇叭の声前岸松林の中に起る、我軍之を乱射す、此時官兵已に後林に伏し、吶喊斉く起て我軍を夾撃す、相距る僅に三二十歩、皆謂「別軍誤て我を撃つ」と、疾呼之を制す、而して銃撃益急なり、乃官軍の伏兵たる事を知り、松樹に拠て暫く之を防ぐ、且戦且退く、衆皆守、而して遂保たず事機迫る、濱田泰理来て兵を退かん事を告ぐ、濱砂某戦死す、衆皆塁を棄て四散す、(中略)乃荊棘の中に伏して丸を避けんと欲す、而して銃声耳辺に迫る、又起て畦畝を過ぎ一溝を得(溝底沮洳)、匍匐してゆく、弾丸無数前後を夾み、飛泥面に被る、左折して一松林に入らんとす、官軍亦之に屯す、乃転じて右し荒野を行く事凡五六丁許にして、忽ち一村に出づ(後之を聞けば乃向井原村是也)(下略)※向井原(不明、新富町か)【20036105】:(2)
●向井原(向原ムコウバル、新富町新田ニュウタ、藤山川、向原第1遺跡)
※偶然高速道関係の発掘作業報告書にアクセスできた。ほぼ地図上で確認できたので解明できたとした。
▲画像は蝶。