★西南記伝&36+3撮影2020年12月05日 10:40:12

▲西南記伝はパソコンが文字を覚えていて打ち込み易くなり助かっている。ただ簡単な変換ができない時、「?」である。辞書に並べてある自分の読みかたで作成した字句もその読みを忘れていたが、少しづつカンが戻り始めた。
●「盡く・悉く」は本来は「ことごとく」だが私の辞書では「じんく」・「しつく」
●「勝敗を決するに至らず」の常用字句は「しょうはい」である。
●「第十四連隊」は「じゅうし」、これはつい「じゅうよん」と打ち込んで失敗する。
●人名は姓ではなく、名で打ち込む。これは昔のNECのパソコンの「一太郎」以来の原則だ。姓と名が出るようにしてある。
▲西南記伝(今、「せいなん」でこの文字が出た)より(算用数字化、一部略あり)
十 横平山・五郎山・田原・二俣の戦闘
①9日、第一旅団は黎旦より開戦し、午後6時1大隊を右翼より迂回させ、薩軍背後に出でしめ、前後夾撃、横平山の堡塁3座を占領せり、横平山は官軍牙営の側面に聳峙し頗る要害の地と為す
②此日、両軍屢ば之を争ひ、一取一奪、戦ますます激し、第九連隊の1中隊(二大二中)は右翼に向ひ、山上の1塁を陥ると雖も援兵なく、遂に薩軍に圍む所と為り、死傷殊に多かりき
③第八連隊の1中隊(二大二中)高瀬より至り、直に二俣に赴き、五郎山の敵塁を攻め、銃撃夜に及び未だ已まず、弾薬全く竭くるに至るも遂に抜くことを得ざりき
④此戦、官軍、彦坂大尉・永田大尉以下15名死し、富田少尉・神保少尉及び吉田少尉補以下75名傷けり
◎3月9日、3日以来1週間、高瀬で勝ったと思う官軍は装備に勝るのでいさかか図に乗っている(私の思い)。この日も有能な士官を失った。薩軍に比べても。私が気にしたのは「③」だ。新着の不慣れな激戦地にいきなり廻された。私に言わせれば新米いじめである。と言うのはこの後にだが、たしか山縣参軍がそれを戒めている一文もある。続くこれ以上の私見は略す。
▲やっと自慢の(?)ニコンでJR九州の「36+3」を撮影することができた。直近の踏切には「39」という自家製の旗を振る女性がいた。ここで撮影した理由は以下の行動のためだ。すぐ私は加治木駅に向かった。そして4分後、駅脇から停まっている列車を撮影できた。今回の画像は4分前のもの。