★「西南記伝」研究作業から2021年01月20日 10:46:59

▲画像はやり直し作業中の一画面である。
①作業は「西南記伝」をできるだけ正確にフォローする。今やっている部分はそうなっていなかったので。だから「やり直し作業中」なのである。
②上記①に相当する出典資料を見つけ出す。主なものは官軍側資料で、それもほとんどは「征西戦記稿」である。時々薩軍側の資料が出てくるが、これは「西南之役懲役人筆記」(「鹿児島県史料西南戦争第二巻・第四巻」)がよく出てくる。画像には加治木常樹の「薩南血涙史」と推測した(実はコロナのせいで図書館に行けない、だから見ていない)の一文と同人の「西南之役懲役人筆記」の一部分がある、番号数字の最初が「12」は西南之役懲役人筆記者が東京での懲役人であることを示す。場所は防衛省のところだ。残念ながら「田中賢道の戦記」については何の知識も持ち合わせない、人物名は初見である。
③作業は私の「●不明地名調査用191007」のファイルの1シート上で行っている。下に見えるファイル名のうち更新日時が最新のものは、「西南記伝」のお蔭て、私の「征西戦記稿」記述部分にミスがあったことで訂正を加えたことを示す。さすがに年末以降は数行ものモレがあることなどはなく、最新は人名の姓でなく名の部分のミスの訂正である。ここ数日は逆に「西南記伝」のミスと判定したケースがある。
▲画像の部分の研究上のポイントは、「西南記伝」編集者が、薩軍が2月何日に山鹿に着いたのか明確には知らなかったことだ。資料を挙て2月24日か、25日かと論じている。私は「西南之役懲役人筆記」の多数の記事から25日と思っている。この書が作られた明治40年代に、特定するのでなく「推定」と思われる記事があるのは意外だ。当時の編集者にとっては「あれから30年」という思いであったのだろう。
▲作業中、私がホッとするのは人物名の下の「現陸軍大将、伯爵」の文字を見る時だ。「現」ではなく「当時」なら、今昔含めて該当するのでは。悲しいのは官軍兵士で薩軍と戦い、「之(戦場)に死する」とある時だ。一般兵士の記事ではなく、多くは士官、それも中尉・少尉・少尉補(「征西戦記稿」では少尉試補)・見習士官が多い。私が一番同情したのは、乃木少佐の官軍初戦で戦死した吉松少佐の死だ。最強の薩軍の攻撃を受けて戦死した。高知県の人である。「征西戦記稿」は実に丁寧にそれを記す。ほかにそのような記事はない。なお上官乃木少佐は軍旗を失い、取返すために薩軍に返戦せんとしたが、「村松曹長・櫟木軍曹泣て少佐を擁止して曰く、此れ閣下の死所に非す、閣下にして而して死せは後事測る可らさるなり」と説得されて思い留まった。

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