★研究作業を悩ますものは2021年04月03日 10:20:01

▲「西南記傳」には感謝、感謝すべきだが、名文の打ち込み作業は疲れる。
①表現を巧みに変えて確かに名文になるが、たまたまダウンロードしたPDFの印字が微妙で、難字続きにはついて行けないことも。以下の文に出ている「驀」は、「莫」の字の下に「馬」がついて、読みは「ばく」。用法は「戦車が驀進する」など。
●1877年2月22日、乃木隊は熊本城へ急ぐが、薩軍と衝突することになる。
其進み而木葉に至るや、適ま堀軍吏副(忠次)の熊本城にに入らんとし、開戦に際し目的を遂げずして空しく退き来るに会せり、未だ幾ならずして遠近熊本県二等属(武則)来り、薩軍数百(村田三介)既に植木に在るを告げたり。
乃木少佐乃ち櫟木軍曹をして兵卒10有餘名を率い、駄馬に騎して前駆せしめ、自ら残餘の部隊を率い、驀地(バクチ、まっしぐら)植木に向ひ前進しに、偶ま木葉駅外に於て第三大隊第四中隊の来り会するを見る。
◎この「驀地」は今まで2回登場、他は「驀進」、「驀然」各1回ある。
②何と言ってもキツイのは、「西南記傳」様に資料冒頭に付けた「日付」の変更を迫られた時だ。
●時々「西南之役懲役人筆記」を用いてあるのは、私の研究方向と同じで誇らしいのではあるが。以下はそれを用いてある1877年7月8日の一文。
同八日百引進撃の議決す、振武一番より六番中隊を以て先鋒とし、餘隊は応援とす、夜を待て出発し、同九日(葢し八日の誤)午前八時頃百引に達す。此に於て、六中隊を三手に分ち、一軍は麓の本道より、一軍は高熊街道より、一軍は我三番中隊及び四番中隊は高隈街道より左に山を越え、官軍の塁下に至り、一弾も発せず、抜刀して切込み、忽ちに三塁を取る。官軍逃走す。我兵尾撃して麓の後なる上林に出で目下に雨注す。麓屯集の官兵大に狼狽して走る。
◎この文を作業している中で、
(1)私の資料では「同八日」に始まる一文は「7月7日」、「同九日」でで始まる一文は「7月9日」となっていた。なるほど「同九日」は「八日の誤」である。当然最初の「同八日」も「葢し七日の誤」とあるべきだが。
日付変更の作業はしたくないのが本音だ。今ある日付の位置から抜く、それを正しい日付の正しい位置へ入れ込む。各連続した位置番号がズレるのでその作業は慎重さが求められる。先ず必ずワード内で作業する。そして、次にエクセル、また次の、次のエクセル・・・・と疲れる。
(2)ところがこの資料には別なミスが2ヶ所見つかった。それの作業が待っていた。
(ア)文中にある「及び四番中隊」が重複並んでいたので、1つは削除。
(イ)文中にはないが、続きの文に「砲を備へに弾発す」と。これは「砲を備へ二弾発す」が正しい。言い訳だが、これは明らかにスキャナー・OCRソフトの連繋ミス。よくあるミスの例である。「士族」が「土族」となったミスよりましか。
▲画像は網掛川堤防道に植栽されたブラジルの国花イペー。

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