★エクセルの不調は何が原因なのか2020年08月26日 22:20:50

雨に打たれる蝶
▲常時エクセルファイルを4つ以上起動させて研究作業をする。ワードは1つだけである。エクセルの悩みはその「氷結」だ。それは常時発生する。全ファイルでと言いたいが、主に私の旅記録の3504行・22列のファイルでよく発生する。
●突如、セルの字句の編集ができなくなる。クリックしても動じない。矢印キーの上下左右も動かない、セルのクリックはできるが。
対策:ほかのファイル2つか3つを連続クリック(別に何の作業もしない)、そして元のファイルに戻る。ご機嫌回復である。
●入力中に何か文字を入れる(数字も)と突如、求めてもいないほかのファイルが立ち上がり、入力画面となる。
対策:なし。黙って元のファイルに返る。心配なのは私が打ち込んだ文字や数字は空中に消えたのか。そうではなく、もし立ち上がったファイルのどこかに打ち込まれていたら資料が破壊されることもありうる。
●これは関係ないが、DELL機がうるさい。熱も高い。電磁型コロナか。まさかDELL機は武漢で製造しているのでは。
対策:熱さましシートでも貼るか。
▲今日は大雨の中、庭を眺めていたら1匹の蝶が雨に打たれながらも花に噛り付いていた。他方あれほどうるさかったセミはただの一度も鳴き声を聞かなかった。家人とは「セミは終わりか?」と話している。画像は雨に打たれる蝶。

★続また画像が&私の最古のポータブルHDD(画像)2020年08月21日 23:17:59

▲旅の記録の整理作業は、11日目神戸三宮まで終えた。地名・建物・会社・道路・川と橋の再確認を繰り返している。頼りとなる旅写真にはこの日も振り回された。画像の名前を変えたと思っていたのにそうなっていなかったのだ。前回ブログに書いたあの作業をする破目になった。経験が生きてか割合早く済んだ。今回は画像は日付4ケタの後に4ケタの数字が順序よく並ぶようにした。ミスは下4ケタが「0005-1」とかの形があったことだった。これが「0005」と関係ある画像であれば分かる。実際はこれは確か「0039」と変えることになった。その原因は不明、究明もしない。
▲HDDは37.2GB、現在24GBの空きがある。最新は2018年6月のファイル。2年近く部屋の隅にぶら下がっていた。製品仕様は株式会社バッファローで、MADE IN JAPAN・消費電力2.5W(平均)・DC5V・「注意:ACアダプタは、「AC-DC5」を使用下さい。」となっている。そして「Windows98/98Second Editionをお使いの方へ」とあり、ドライバのインストールが詳しく書かれている。何故か有難いことに全ての字句がきれいに保たれている。当然過去数台のパソコンに繋がれたが、「ドライバのインストール」など以後は一度もなく、無傷・無故障である。それに引き替え外付けHDDは何台壊したか覚えていない。ただの一度の転倒で終わった短命の物もある。だから彼らは今も机にガムテープでくくられている。
これを久しぶりに活用する、先ずは今入っているファイル・フォルダーを先ず「2020年8月18日以前」というフォルダーを作って入れ込んだ。そして最新3ファイルと1フォルダーを入れ込んだ。無事終了。ただご老体のせいかいささか呼吸が荒いようだが。
特徴は電源用のUSBコードが付いていることだ。何故か何年も使用した覚えはないのだが、当初は必ずUSBに繋いだものだ。

★研究作業報告2020年07月25日 02:51:02

▲最近始めた新しい方法がある。私の「不明地名調査用」エクセルファイルにはその地名が何という市町村に属するかの欄がある。今まで頭から順番に修正作業をしていたが、これを変更した。例えばA県のB町の不明地名を扱う。次にC県のD町のそれを扱う。その度に平凡社地名辞典も地理院地図も変えねばならない。今まではそれは当然と受け止めていた。
 そこで大転換である。県名・市町村単位にまとめて作業を始めることにした。気がついたのは実は不明地名には「兄弟姉妹」がいたのだ。「花園」と「花園村」は同じで、同じように「杉ノ本」と「杉之本」は「杉元」と同じ地名なのだ。かくして極めて効率よい作業になった。それでは成果もと思うが、これは相変わらず、うまくは行かない。
①「花園」と「花園村」の例。「花園」を例挙とする。
●同30日柏田守塁破るるを以て、全軍道を異にして佐土原・廣瀬等に退き、保北川を夾みて守る、我隊は上流竹渕を守る、此時、守線は上み米良口より祇園・花園・竹渕・佐土原・廣瀬等を経て下も海岸に至る、此際全軍弾鉛に乏しく、錫・銅を以て之を補ふ、錫・銅も亦尽く、鍋・釜の鉄を鋳し之を支ふに至る、又海岸の農民を募集し、木砲を造らしめ以て預め備えをなす※柏田(宮崎市瓜生野ウリュウノ、県道9・26・大淀川)※広瀬(旧佐土原町下田島シモタジマ、国道10・県道14・326・石崎川)※保北川(穂北川・一ツ瀬川、西都市穂北)※竹渕(新富町新田ニュウタ、県道18・一ツ瀬川)※米良口(西都市三納ミノウの尾泊、米良街道)※祇園(西都市右松、国道218・一ツ瀬川・祇園渡ワタシ)※花園(不明、西都市穂北)【20040121】:(4)
◎※花園(ハナゾノ、新富町新田ニュウタ字花園、県道312)。これはこの資料から「花園」が「祇園」と「竹渕」の間にあると分かったことだ。そしてネット情報から「花園」が「新田」の小字と分かった。ここはある遺跡だった。
②「杉ノ本」は懲役人の資料、「杉之本」は官軍資料(「征西戦記稿」)、「杉元」は土地勘のある人物の日誌の資料である。
●同第一方面は田中少佐2中隊半を以て越野尾村に整列し、午前4時一は小原一は碝石を捜索し、連絡を両村に取り守線を張らんとす、進む事1里余越野尾峠に至て賊に会し相戦ふ1時間許、長谷川操少尉試補1小隊半を以て右に迂廻し、賊の側面を撃つ、正面の兵之に応じて進み、賊を破り北るを追ふて之を杉之本に蹙む※越野尾村(コシノオ、西米良村越野尾、国道219・一ツ瀬ダム)※小原(児原コバル、西米良村越野尾、一ツ瀬ダム)※礇石(サレ、西米良村越野尾)※越野尾峠(不明、西米良村越野尾)※杉之本(不明、西都市か)
◎※杉之本(杉元・杉ノ本、西米良村越野尾、児原コバルと礇石サレの間、一ツ瀬ダム)。これは官軍資料(「征西戦記稿」)である。3つの地名は同じ地名である。どれが正解か分からないので併記した。地図上の位置は分からない。ただ「小原(児原)」と「礇石」の間にあると推測できる。地理院地図に共にある。ストリートビューで確認できなかった。多分一ツ瀬ダムに沈んでいるのかも。
▲画像はモンシロチョウ。

★研究作業報告2020年07月20日 22:54:26

▲画像は国土地理院地図に見つけたミス。「奥球磨」が「奥球麿」になっている。
▲研究作業では相変わらず、成果は少ない。もう何回も解明を試みているから至極当然と割り切っている。手を付けようがないので、多くは「2020/7/181:28」などのその年月日と時間を文字で表し、お手挙げを示すのみ。少しでもと市町村の大字小字の情報を集めている。角川各県の地名辞典にはその一覧表があるが、今時ネットでアクセスできない資料はアウト。私も書いた一人なのだが。1400以上の不明地名解明作業はまだ半分にも行かない。それもほとんどは解明不明のまま。その中で以下の作業事例を1つ。
以下原文。
①同20日晴●一午前7時比中屋敷村守付兼に付、3合程引拂、吉花村江着泊す、其夜3合程上山に臺場を築相詰居候処、翌21日午前3時比猶引拂之段報知有之、所々に迫り小河内村江引拂、午後7時過に着泊※中屋敷村(水俣市宝川内ホウガワチ、宝川内川)※吉花村(不明、水俣市宝川内か)※小河内村(小川内コガワウチ、旧大口市小川内、小川内川)【20042087】:(3)
◎「2」で始まる番号は日記・日誌の資料である。
「吉花村」が「不明」であった。平凡社辞典、国土地理院地図ほかでも検索できない。最後に、ネットに「芦北町 吉花」で検索を試みた。期待に反してヒットした。「吉花」バス停があると出た。そこから始めてネットを駆使してついに解明できた。
※吉花村(ヨシハナ、水俣市宝川内ホウガワチ本屋敷、吉花バス停・吉花観音堂)
ここの大字は「宝川内」、小字は「本屋敷」、では「吉花」は何?。現地に行かねば分からないのだろうか。

★4つの不明地名一挙解決2020年07月14日 23:00:44

▲その4つとは熊本県五木村の地名である。関係ある「西南之役懲役人筆記」の原文を示す。
①同三日(5月15日)より梶原・頭地口・ユス尾四(三)ヶ所番兵
②同三日(5月15日)より梶原并頭地より東に当り、ゆす之尾両所へ番兵
③同(5月)17日頃前軍敗走の趣坂田權重郎申来に付、一と先ユヅノヲ迄退き候処
④翌十九日(5月31日)人吉へ繰込、当夜常山隊右三番隊長迫田權五郎ゆすノ尾にて手負いたし、平野正助より中隊長原田彌兵衞指令にて跡可相勤旨承り
◎地名①「ユス尾」、②「ゆす之尾」、③「ユヅノヲ」、④「ゆすノ尾」が全て同一であることは分かる。地図やネット情報で探し回ることほぼ1日。私の「長考」は続いた。もっとも時間の制限はない。ヒントは③の「坂田權重郎」、④の「迫田權五郎」である。この両名は同一人で正しい名前は④である。そこで「西南之役懲役人筆記」の資料に名前を打ち込み検索すると、彼は戦死することなく隊長という立場で懲役人として刑に服している。その記録には上記の4つの文にはない地名があり、彼の隊の活動が見えてきた。結局4つの不明地名は以下のようになった。例を①にすると、「※ユス尾(葛八重クスノ゙ハエ、五木村葛の八重、葛の八重集会所、宮目木谷)」。迫田の文に「轡ノ羽」とあり、そこに「(葛八重、五木村)」の編纂時の説明が付けてあったことが大ヒントになった。迫田の原文の「くつわのは」は「くずのはえ」と解釈されていたたのである。五木村葛の八重は五木村の南端にあり、彼等はここを去り、人吉へ向かうが、6月1日終に官軍が人吉を占領する。迫田は大畑(おこば)の病院にあったが、まもなく療養のため帰郷する。
※平野正助は幹部、原田彌兵衛は原田種秋(延岡長井村で降服、懲役人)。
▲画像は家人自慢のカサブランカ。何となく映画のあの美人に似てるような。