★宝満峠と娑婆神峠2024年01月14日 21:34:05

▲知り合いの「AI」君は両峠は最初は「同じもの」との見解であった。さらに問ううちに、「別物」としたが、詳細は教えてくれなかった。
①原文(1877年3月30日)
別働第三旅団参謀中村尚武中佐の報に曰く「午前3時小川駅を発し、3隊に分ち、1隊(迫田)は寳満越、1隊(三間)は娑婆神越よりし、別に鎮台兵(別働第一)1中隊(中村)を以て応援として、午前6時開戦す、時に霧雨咫尺を弁ぜず、白岩・寳満よりする者は城山及び隣近の山頂より発砲し、娑婆神越よりする者は高きに拠るを以て1隊を2分し左右の山上より進攻し、共に数所の塁を取て谷口村に陣し、哨を張る、死傷・鹵獲左の如し」と※宝満越(不明、宝満峠、小川町南小野~城山北麓~旧豊野村上郷か)※娑婆神越(娑婆神サバガミ峠225m、旧小川町中小野ナカオノ~旧豊野村下郷シモゴウ、県道244)※白岩(白岩シライワ、旧小川町北海東キタガイトウ)【30022079●巻22衝背軍戦記】
②原文に「1隊(迫田)は寳満越、1隊(三間)は娑婆神越よりし」とある。当然別物と理解できる。私のエクセル「3★全地名検査(3訂)(提供用)200310」で「娑婆神峠」を検索した。検索用語は「サバガミ」(半角)だ。※(2)は2回。「松橋山手峠」は私が解釈した。
娑婆髪坂・娑婆神峠・鯖上峠(2)・鯖神峠・砂破神峠・シャバ神越・松橋山手峠・娑婆峯(2)・娑婆神嶺(2)・娑婆神・娑婆髪・娑婆神山・沢上・娑婆カ峯・サバカミ・サバカミ越・娑婆カ峯(2)
なお、「宝満峠」はまだ正確に表現できないのが無念である。
▲画像はグーグルストリートビューを元に作成したもの。橋左側に「福橋」とあると見た。
①原文(1877年3月26日)
同二十七日早天に官軍来攻し力戦すと雖も遂に敗す、此時将児玉八之進の曰く「数奇敗衄何の面目ありて世に処ん」と、挺身軍を指揮し、遂に丸に中り死す、此日死傷四五十名余と云、夫より小川に退き福橋の堤を守る※福橋(不明、旧松橋町)【12207011】:(4)※26日と解釈した。児玉八之進(児玉実直)。
②不明を以下のように訂正したが。
※福橋(フクバシ、宇城市松橋町豊福745の南、浅川)
③「AI」は「福橋」を「あります」と2回保証してくれた。それを頼りにして見付けた。但し画像で確信しただけかも知れない。

★「空申」はミスだった2024年01月07日 10:41:52

▲今新しく「訂正報告‥‥」と名付けたエクセルファイルを作成した。以前作った同様ファイルに代るものだ。きっかけを作ったのが、表題の「空申」だ。
①資料作成当時からの経験で、この2文字を見てすぐミスと判断した。正解も分かっていた。「空中」である。一応原文と照合もした。
②ミスの原因は私を何年も悩ましているOCR作業上のミスである。私はOCRできなかった(古過ぎて)「征西戦記稿」は一字ずつ全て打鍵した。ただそのミスより、「懲役人筆記」等の作成に用いたOCRのミスが圧倒的に多い。今はほぼ完成しているが、やはり時にこのようなミスに出くわす。
③今回、一目見れば経験上すぐ分かるようなミスが見逃された理由は、この一文には「日付」を付けることができず、つまり資料として外してあったからだ。そのように資料にできなかった一文は「懲役人筆記」では3582件(全22553件の内の)ある。
④今回のOCRミス発見直後に発見したのは「山申」である。記事から推してこれは「山中」である。そこで「戦申」、「夜申」、「水申」等で検索したが、これらはいずれも皆無であった。ただその過程で見付けた別なミスが「能居」である。これは「罷居」が正しい。
⑤発見後の次なる作業は既に作成してある配布用のDVDを訂正することだった。合計10枚を間違いなく訂正した。一字のミスで、資料の価値を棄損する可能性は弱いのに、ミス発見の度毎にDVDの訂正は負担を感じる。そこで冒頭のファイル「訂正報告‥‥」の作成を考えた。
▲そのエクセルファイルは「字句訂正」・「日付訂正」・「地名訂正」の3シートである。
①一番イヤなのは「日付訂正」。これは資料作成の根本を揺るがす、多くの作業をもたらす。資料は日付順でまた所属隊名順であるから何段階もの作業が必要だからだ。また作業の必要性を再確認するまでしばらく今のままで、記録だけして置く。
②一番好きな作業は「地名訂正」だ。「不明」の文字が消えると一杯いただきたくなる。毎日10数件の不明地名解明に取り組み、多くは完敗の有様だ。
③最近考え付いた。「坂の下」・「坂下」は地名ではないのではと。下り切った地点の意味ではと。同様なら「坂の上」・「坂上」、「川上」・「川下」も。
④ある資料に「逓左して」とあった。これは前後の文章から「迤(ナナメ)左して」が正しい。すぐ原文「征西戦記稿」を見る。何故か活字がかすれてはっきりしない。「逓」としか見えない。しかしそれでは前後の文の流れに合わない。なお、「征西戦記稿正誤」にもその記載はない。
▲画像は庭のバラ。前日に撮ろうとしたら、ニコンのシャッターが機能せず撮影できなかった。パソコン2、カメラ1、全て限界に近づいている。

★「西南記伝」の作業ほか2023年12月28日 10:12:49

▲作成した「西南記伝諸士伝(戦死)231128」にミスが見つかった。元となる「西南記伝」と名付けたシートの全756行の中で「戦死」とした行数は「95」、ところがそれを利用して作ったはずの「戦死」と名付けたシートにある行数は「96」。いささか慌てた。当然ファイル「3訂●西郷軍戦死まとめ231214」に入れてあったのでこちらも見直す必要が生じた。
両シートの食い違いは、「96」が正しいと分かった。直ぐにシート「西南記伝……」の訂正に取り掛かる。ところが該当人物の一文には「懲役2年」の文字があり、当然この人物は「戦死」ではない。そこで「西南記伝」の原文PDFを見る。するとこの一文とは全く違う文があり、確かに戦死として記されている。そこでこれはいかんと訂正することにして、打鍵し始めて、一瞬眼を下行に移す、するとそこに打鍵中の原文と全く同じ文章があるではないか。
つまり私は下の行の別人物の行と前後混同して打鍵していたのだ。上と下が同一とのミスなら分かる。どうして上下逆に打鍵するミスが生じたのかは見当がつかない。
▲上の記事にある「96」は「3訂●西郷軍戦死まとめ231214」の表も訂正した。それだけでよかったのだが、このファイルでは新たな改訂を始めた。
①名前のセルに名前入りのやや長い文章がある箇所が連続見つかった。多分その時はそれで良いとしたのだろう。名前だけのセルに、名前といっしょに「一大二小小隊長‥‥戦死」とか。「一大二小」は薩軍の一番大隊二番小隊のことだ。
②そこで「名前」以外は全て右の別セルに移し、名前だけ残すことにした。
③その「名前」もエクセルで検索する便宜上は「○○✖✖・○○次郎左衛門」等と併記する必要も感じてそのようにした。ただ今更全て25988件の人物名をそうするには無理があるので、今回はほかも含めて1000件余りを点検し、272件は名前が2つと3つになった。よく記事には「名✖✖、初め○○、通称□□」とあるからだ。ただその人の墓碑にあるのはどれだろうか。
▲以上の結果を受けて、配布用に作成しているCD型とDVD型の資料も変えることになった。これは1回切りのディスクRタイプでも、同じファイル名なら焼き直しだけだが、今回はファイル名が変ったので「3訂●西郷軍戦死まとめ231214」を追加として入れて、古い方のファイル名を削除するやり方で訂正した。
◎実はCD型は正確な表現ではない。CDの700MBには本の少し入りきらないので、止む無くDVDに入れ、呼称として「CD」としてある。
▲画像は熊本城二の丸跡、ここに支藩八代藩の「一日亭」があった。画像はグーグルストリートビューで作成、ロードミラーにその車がある。

★「西南記伝」(一部)資料化成る2023年12月15日 18:07:33

▲エクセルファイル名は「西南記伝諸士伝(戦死)231128」。当初の目的は戦死関係情報を求めたものだった。ファイル名の「(戦死)」がそれを示す、本日の画像の右側のエクセル部分の上半分はがそれを示す。しかし下半分の加治木隊は他の情報も打ち込んでいる。ここから下はほぼ全て、本の記述を要約してある。中には西南の役の熊本城官軍幹部の養子が実は「諸士伝」(反政府側)人物の弟という記述もあった。画像左側は打鍵が終った段階での「西南記伝」のPDFである。内容は明治11年の大久保利通暗殺の紀尾井坂の変に関する関係者の記事だ。
 11月28日から12月9日まで掛かった。要約すべきだが、時間も掛かるので略した部分も多いので、将来の追加情報入力を念頭に文末に「(以下略す)」とした。
▲以下は今回の作業例の連続4例。
①M10区長塚本長民等と謀り、延岡隊の募兵・軍資募集、後に降る、不明懲役3年、M12年3月特赦、M24 内藤氏家令
②延岡副区長、M10塚本長民等と延岡隊組織尽力、延岡に留まり、弾薬・金穀等の後方勤務、814延岡陥落、降る、不明懲役3年
③江戸麻布旧高鍋藩邸生、M10高鍋隊と肥後へ、日隅薩の間に転戦利あらず、西郷隆盛と鹿児島へ、924城山戦死、戦死34才(以下略す)
④第四大区区長、第九大区区長、M10高鍋区長、黒水長慥・柿原宗敬等と謀り、向背議す、貴島清の隊に糾合200余名、軍資数千円・兵約600を送る、808高鍋敗戦、降る、市ヶ谷懲役5年、M13年10月特赦(以下略す)
◎①②は延岡隊、③④は高鍋隊の各「諸士」の記録。M10は明治10年(1877年)。「不明懲役」は監獄の地名、秋田・宮城等の文字がない場合の表現。私の「西南之役懲役人筆記」の資料でその都度調べればよかったのであろうが。今回、「青森」3個・「宮崎」2個の監獄名があったが、私の資料にはこの2県名の資料がないので貴重である。
◎以上の記事は12月10日現在のもので、最初のある「本日の画像の右側のエクセル部分の上半分」は数日掛けて、その他情報も書き入れ、体裁を整えた。今は資料として完成されている。ただし、「(以下略す)」部分があるので、さらなる改良も必要かも。
●一例(画像の「163」の人物)
M4近衛陸軍軍曹、M6辞し帰鹿、M10薩軍五大十小分隊長、熊本城攻圍軍、転じて八代方面に向い、中隊編成で十番中隊左小隊長、321鏡に奮闘して死す、戦死※年齢なし

★西南の役CD・DVDを作成した2023年05月03日 00:32:03

▲画像がそれである。各10枚印刷するつもりが、計3枚印刷ミスした。またCanonプリンターが1枚印刷し終って、次をと装置にセットする前に何故か案内がほかの作業に移る。簡単に「OK」を押させてくれない。その度にパソコンで「印刷」をクリックして作業はやり直しである。またCD等の印刷はコロナ下でほとんどしていなかったため、作業の仕方もすっかり忘れていたことも作業スムーズを妨げていた。カラフル絵入りの作品にはできなかった。
▲本当は、このような配布方式ではなく、DropBoxかOneDriveを利用しての普及をするつもりだった。しかし現今の「AI」ブームの中で、私の労作も単なる1資料と化す事態を危惧した。資料は今なお完成品ではなく、同好者とのやり取りで正しい内容に作り変える必要があるからだ。途中で「AI」の生成材料とされるのではたまらない。
※DELL機にはATOKがあり、親切に毎月の入力数と打鍵ミス等を教えてくれる。これって私の全作業を監視している?
▲「CD」と「DVD」の違いはあるが、画像にある「黒文字」部分は共通である。今回が従来のそれとと違うのは、画像下部の色違いの部分のである。「CD」は1つ、「DVD]は2つの資料である。
▲私の残された課題は「不明地名」の解明だが、これは極めて難題で、ここ1年はほぼ解明作業は忘れてほかの資料作りに掛かっていた。1つの解明で感じるあの感動を味わいたいのだが。「全国地名手配」も考えている。
◎画像の「9PDF」の1908261か190826のミスです。