★パソコン2台共にディスプレイで&画像2枚2020年12月12日 09:43:28

▲昼間はDELL機で作業する。今まではディスプレイを使わないために買ったDELL機だからそのまま使用していた。今回変更した理由は「西南記伝」のPDFが原因である。現認して打ち込みするには100%では縦行がきれいに出るが実に見辛い(小さい)。130%以上は欲しい。そうすると、見るために画面を常に上下させねばならない。他方mouse機は当初からディスプレイ(新:3年物)で使うことにしてあって、こちらは150%に拡大して使用できるので作業しやすかった。
▲そこで旧ディスプレイ(10年物)をDELL機で使おうとした。ところがこれは繋ぐには「HDMI」ケーブルのみだ。該当するのは新しいディスプレイだけだ。泣く泣くmouse機はそれを譲った。なお外付けキーボードはLogicoolの同じ物を使っているので、朝夕移動させることにした。今まではDELL機でいつもイライラさせられていたことがあった。それは通常「F8」を押して「かな」を「カナ」(半角)と変換することができるだ、DEEL機では、必ず「Alt」キーを押しながらでないとできなかった。それが今度は普通に「F8」を押すことでできる。
▲課題は2台共に同じキーボードを使っているので使うたびに持ち運びセットせねばならないことだ。そこで終に新品を買う決断をして某大電器店に行った。3000円前後から安くても2500円以上の品が並ぶ。目を疑った。何と820円(消費税込み)(サンワ製)が1つだけある。また「いつもの安物買い」と家人に言われるのを覚悟して即支払った。これが使って見ると実に使いやすい。mouse機で使うことにした。
▲再び36+3撮影に出かけた。狙い目は姶良市西端の重富だ。遠くの山々を見て、今日は見えると確信して開聞岳を撮影するポイントに立ち寄った。久しぶりに目にもはっきり見えた、今日はつきがある。すぐ自転車で急いで西へ移動する。私の今日の狙う撮影ポイントの所で列車の来る時間が近ずいた。そこで思川鉄橋で待ち受けることにした。少し早めにシャッターを切ってしまった。原因はポケットのスマホが鳴り出したからだ(人のせい?)。画像は両方をディスプレイに並べてプリントスクリーンして作成した。

★いつものことながらハガキ印刷ソフトは2020年11月15日 09:58:39

▲時期である。付き合いも減っており、相応するように年々賀状の数も減っている。かって150枚ぐらいを出していた頃とは違う。しかし、相変わらず印刷ソフトに頼っている。私にはその質が悪い、適さない。
①昔の年賀状には十二支揃えていたゴム印を押したものだ。今は選ぶに迷うぐらい十二支のゴム印(電子絵)が多種多様。
◎こんなものが何になる12個で十分。余計なことはするな。
②宛名に両名併記する。多くは亭主殿を立てて1行。その左脇に細君殿の名を記す。ところが私のソフトでは共に漢字2字なら、まあまあだが、漢字3文字だと、姓の横にまで出張って並ぶ。
◎腹が立つので、ついにはエクセルで作成してあったので、使おうとしたら、何故か郵便番号の設定がうまくできず、あきらめて印刷ソフトに従った。
③プリンターがキャノンとエプソンの各1台があるが、本年はエプソンを使っている。
◎何度使っても、先ずキャノンが優先され、即エプソンとはならない。オマケに「接続診断を」との注意まで出てくる。
④「印刷」と表示が3カ所ありどれからでもできるのであろう。
◎何故3ヶ所あるのか、ほかもいろいろ絶対使わない機能が多すぎる。
◎今時は、多くの人はこの時期にだけ使うのだから、もっと簡素化したソフトでいい。そういうソフトも使った経験があるから。
◎何で毎年バージョンアップする必要があるのか不思議である。
▲西南の役当時の日記資料を収集した。しかし私のその関係資料には追加しない。理由は西南の役の西郷軍側の資料ではないからだ。資料は西郷軍壊滅の日、1877年9月24日の記録である。
「●同廿四日曇後雨月暁四時相図砲声ス、夫ヨリ砲声盛ナリ、出張人数皆見物ニ出、早朝永安橋辺へ行候処、賊敗滅ノ報知アリ、故ニ皈ル、県令来ル、十二時後令同行、元浄光明寺へ行、死骸埋方、雨甚シ、夜入本皈ル、」
◎「出張人数皆見物ニ出、早朝永安橋辺へ行候」とある。皆今日が最後と知って見物に出てきた。記録の当人も橋まで行った。
▲どうやらいつもの蝶も見納めかと庭を眺めたら、いた。すぐニコンを掴んで、ガラス戸を開けた。途端に飛び立った。今日の画像は現在の最新画像である。

★地名解明作業続きと新踏切2020年10月06日 15:30:45

▲地名解明作業は一応の目的は達したが、今度は私が全く対応不能とお手上げの「✖」印1100件に無理を承知で取り組んでいる。最初取り組んだのはそのうちの「山名」に関するところだ。地理院地図を元に山の名に相当する高さの山を勝手に選び、ムリヤリ「○○山(186m、旧××町△△、県道□□□近く)」と書き直す作業である。しばらくやって「コリャだめだ」とこの作業はあきらめた。
 今は順序よくすべてを見て、なんとか「▲」印にするようにしている。その多くは「✖」印が「▲」印に替わるだけであるのが悲しい。
▲今日は最近完成した新しい踏切について記す。
画像にある踏切は「茶工場踏切」という。JR日豊本線姶良駅と帖佐駅の間の踏切の1つ。今まで向こう側とこちら側は金網で仕切られていた。その代わりに写真(上)の右(写り込んでいない)にあった、人が渡る狭い「茶工場踏切」があり、狭いのにやたら長い遮断棒(桿)があった。私はいつも元々はもう少し大きな踏切だったのだろうと想像していた。そして現在その元の姿に戻ったのだと思っている。以前よりより大きくなって。近くには現在は茶工場はないが、この写真撮影位置の後ろには生協、ダイソー、ユニクロなどが一体化している。私のお気に入りの自転車ルートでもある。
画像(下)に写り込んでいるのは特急列車。ズレを考えて少し早くシャッターを押した。

★DELL機急病に対応して2020年09月22日 23:59:42

花と蝶
▲困った、困った。一番頼りのまだ新品のDELL機が不調となった。
①遅い。ワードで打ち込むと文字が一呼吸おいて出現する。
②わざわざ少しでも確実に、速くと新しいWiFiルーターに替えたのに、Googleマップが動きが悪い。
③エクセルのあるファイルの打ち込みが突如凍り付く。しばらく別ファイルで作業すると回復している。別のファイルでは絶対起きない!!
まだまだあったが思い出せないくらいだから少々のトラブルだろう。
▲そこで急にピンチヒッターになったのがmouse機だ。ただ私のこの機は軽さで選んだので画面サイズが少々小さい。11インチ?かな。そこでいつも家ではデスクトップのように大きなディスプレイで、専用キーボードを付けて使っている。そこで昼間作業用の広縁には休眠中の古いディスプレイを移設、代りに使い慣れたディスプレイは自分の部屋に運び込んで使えるようにした。ただ毎日mouse機とマウスとキーボードの3品が一緒に行き来するのが手間であるが。
結果は大満足。2日で違和感なく作業できるようになった。そして全くDELL機に起きていた現象はない。
①両ディスプレイ共にワードの文字を「蛍光色」した時に色が薄い。黄色は白色に近く、緑と空色は区別ができない。操作する方法があるのかも知れないが。面倒なので。一般に白い画面が少し変色した紙の色になっている。段ボール色とまではいかないが。
②mouse機はテーブルの下の低位の小テーブルに載せ、そこへ電源・ディスプレイ・USB・外付けハードディスク等のケーブル関係をくっつけてある。移動の際は上記の「3品」だけでよい。
広縁には同種のケーブル関係が準備してある。
▲根を詰めてやっていた旅の記録の再点検もほぼ終わりつつある。気づかされたのは、平成という時代は昭和まで積み上げた歴史を破壊し尽くしたのではないかということだ。私が歩いた時まであった東海道などの古道の雰囲気は、Googleストリートビューで見ると消えているところが少なくない、いや多い。大工事で(そう言えばよく見たな工事風景を!!)道筋も変更され、目にとどめていた遺跡等・案内板・標識もなくなった所は数知れず。結局私は2006年・2007年に存在した事物を見ていたのであり、単にその記録者であったようだ。そしてそれを自認し誇る。あの江戸時代の旅の記録を残した方々に敬意を払いつつ。
※と偉そうに書いたが、見渡せば我が家の周囲もこの数年古民家が消え、新たにそこに4~5軒の片屋根の家が増えている。不思議なことに元の家の姿を思い出せない。
▲画像は黒い蝶。私はもう今年はみることがあるまいと思っていた。

★Picasaの基本画像が正しく並んでいない ▲2020年08月13日 18:23:17

旅歩きで撮りためた4000以上の画像を使って、旅歩きの記録を再確認している。最早自身の歩きの記憶などほぼ確実ではない。
この日は高岡町(現・宮崎市高岡町)から佐土原(現・宮崎市佐土原町)まで歩いたその第3日目の記録を見ていた。そこで記録に不審なところは画像で確認することにした。
●その画像は2002年と2006年の撮影順に整然と並んでいる。私の記憶では画像は全て「名前変更」で最初の画像は、歩いた年=2002」・「月=11」・「日=19」を元に、1番目の画像は「20021119001」で、最後は「20021119067」であるべきだった。
●調べて見ると私は第1日目から5日目まで(鹿児島から宮崎までのコース)では、全て同じ以上のような「名前変更」作業をしていない。第6日目から最後の第46日目の日本橋到着までは、少し表現が違うが基本的にそうなっている。
●宮崎県日向市の細島を目指して歩き始めたのは2000年(第1日目・第2日目)、次は2002年(第3日・第4日目)、さらに2003年(第5日目)と4年掛かっている。そして第6日目から第38日目までは2006年、第39日目から第46日目までが2007年。
●私が初めてデジカメを買ったのは2002年。だから2000年の2回の歩きは画像がない。すべては後年撮影に行ってあつらえたものだ。それなら2002年からはちゃんとできている筈である。
しかし違う。宮崎までの参勤交代路は誰の研究もなく部分的に地元の研究家のみが知っている。それが今のようにネットに出ている時代でもない。私は手探りで歩いた。一番の友は道路地図だ。つまり相当ミスが多く、2006年年末までに再度の歩き、写真撮りまくりに出かけた。これが画像(写真)の混在の原因だ。混在していても今まではPicasaを使用する時には順番に並んでいたから別に不自由はなかった。
画像の順番とPicasaでの順番とは別物と思っていなかったのは大きなカン違いであった。
●結局、今回の第3日目の写真には頭に「1001」からの番号を付けて、名前を書き換え、最後はPicasaの「files」を書き直して何とか上手くおさまった。残り4日分はそのままにしておくつもり。
▲画像はその書き直しの一部、「1001」から「1016」まで。ところで2002年以来のカシオ機は2006年第37日目の旅途中で落下、破損した。キャノン機に替えた。