★いつものことながらハガキ印刷ソフトは2020年11月15日 09:58:39

▲時期である。付き合いも減っており、相応するように年々賀状の数も減っている。かって150枚ぐらいを出していた頃とは違う。しかし、相変わらず印刷ソフトに頼っている。私にはその質が悪い、適さない。
①昔の年賀状には十二支揃えていたゴム印を押したものだ。今は選ぶに迷うぐらい十二支のゴム印(電子絵)が多種多様。
◎こんなものが何になる12個で十分。余計なことはするな。
②宛名に両名併記する。多くは亭主殿を立てて1行。その左脇に細君殿の名を記す。ところが私のソフトでは共に漢字2字なら、まあまあだが、漢字3文字だと、姓の横にまで出張って並ぶ。
◎腹が立つので、ついにはエクセルで作成してあったので、使おうとしたら、何故か郵便番号の設定がうまくできず、あきらめて印刷ソフトに従った。
③プリンターがキャノンとエプソンの各1台があるが、本年はエプソンを使っている。
◎何度使っても、先ずキャノンが優先され、即エプソンとはならない。オマケに「接続診断を」との注意まで出てくる。
④「印刷」と表示が3カ所ありどれからでもできるのであろう。
◎何故3ヶ所あるのか、ほかもいろいろ絶対使わない機能が多すぎる。
◎今時は、多くの人はこの時期にだけ使うのだから、もっと簡素化したソフトでいい。そういうソフトも使った経験があるから。
◎何で毎年バージョンアップする必要があるのか不思議である。
▲西南の役当時の日記資料を収集した。しかし私のその関係資料には追加しない。理由は西南の役の西郷軍側の資料ではないからだ。資料は西郷軍壊滅の日、1877年9月24日の記録である。
「●同廿四日曇後雨月暁四時相図砲声ス、夫ヨリ砲声盛ナリ、出張人数皆見物ニ出、早朝永安橋辺へ行候処、賊敗滅ノ報知アリ、故ニ皈ル、県令来ル、十二時後令同行、元浄光明寺へ行、死骸埋方、雨甚シ、夜入本皈ル、」
◎「出張人数皆見物ニ出、早朝永安橋辺へ行候」とある。皆今日が最後と知って見物に出てきた。記録の当人も橋まで行った。
▲どうやらいつもの蝶も見納めかと庭を眺めたら、いた。すぐニコンを掴んで、ガラス戸を開けた。途端に飛び立った。今日の画像は現在の最新画像である。

★不明地名解明作業は県単位で進めている2020年11月05日 05:35:24

花と蝶2匹
▲現在、1400余あった不明地名総数は1395件、何とか解決できたもの288件、残り1107件が未解決のため依然作業中である。
①作業は県単位で行なうようになって作業スピードは上がった。これは解決スピードではないのだが。先ずいつも開いている地理院地図は同県であるので動かし易い。今はさらに市町村単位での作業をしている。より細かな範囲で見れる。
②その結果として多分同地名を示すであろうが、異なる字句の地名をいっしょに見て比較することができる。
例1:鳳満峠・宝満越・ホフマン越・方万越‥‥正確な名称と位置は不明。
例2:蜜柑ガ関・密柑ノ関・蜜柑ノ関・三カンノ関・蜜柑ヶ関‥‥正確な名称と位置は不明。
例3:雀ガ原・雀ヶ原・雀原と滑岡・滑ノ岡・滑ヶ岡‥‥共に正確な名称と位置は不明。
 残念ながら解決できていない。このように表現の違う重複事例は結構ある。
▲現在は熊本県を解明する作業中である。ここには不明地名のほぼ半数が含まれている。頼りとするのは、平凡社歴史地名大系、地理院地図、グーグルマップ、マピオン地図など。以下は最近の解明(?)具体例。
①サナキ(不明、球磨村)→サナキ(和奈木ワナキ、芦北町白石、県道272・球磨川・和奈木川)※正確な地図上の位置は分からない。
◎なぜ「サナキ」を「ワナキ」としたか。「サ」は「ワ」の間違いと解釈したからだ。
②坊城(不明、旧阿蘇町)→坊城(坊中ボウチュウ、旧阿蘇町黒川、国道57・県道111、坊中郵便局)
◎「坊城」は存在しない。「坊中」は実在する。
③大正解は人吉市の「紅取山」。今までどうしても解決できなかった。唯一は球磨川に架かる「紅取橋」だけだった。解決のきっかけはネット情報探索中に「紅取丘公園」と出てきたことであった。かくして、以下のようになった。
紅取山(不明、人吉市中神町、球磨川・紅取橋)→紅取山(356.2m、人吉市中神町、紅取丘公園・球磨川紅取橋)
◎ここは西郷軍が根拠として人吉防衛の一拠点としていて、この地名は11回登場する。その最初の一文(「征西戦記稿」5月31日)(未訂正)。
●先鋒(斥候を置く)進んで栗林村に至れば小流あり、賊其橋板を撤して僅に半に及ぶ、因て必ず近傍に潜むを知り、兵を縦て捜索するに果して前面中神村に在り、胸壁を村後の田畝に列築せり、又球摩川を隔て賊の紅取山上に伍を成し徃来するを見る、先鋒先ず橋を修む※栗林村(栗林クリバヤシ、球磨村渡ワタリ、国道219・球磨川・小川)※中神村(人吉市中神町、県道15・球磨川・紅取橋・天狗橋)※紅取山(不明、人吉市中神町、球磨川・紅取橋)
▲画像は花と蝶2匹

★成果が期待できない研究作業が続くが2020年10月21日 23:07:11

▲地名研究作業は宮崎県が終了した。「日付+不明」で済ますのが普通で、まったくうんざりする作業である。理由の1つは平凡社「日本歴史地名大系」の宮崎県部分が不完全なのだと結論する。収集数は熊本3643、大分3246、鹿児島2354に対して宮崎は1462。
●この日最大最高の成果が以下の通り。
○翌18日は飫肥内の板屋越と云山路を通り、梶山浦字雨木野と云部落に、副戸長時代徴兵係にて、松山某と云を徴兵召集の際熊本鎮台営所に連れ越せし其人の宅へ立寄りしに、久々振りとて焼酎杯請け、時刻を作りて夜中自宅門前に至たり、見るに門柱には新撰旅団陣営の帳り紙のあるを見て引返へし、近隣高橋正一方へ至たり、密かに起したれば、正吾にはあらすや、帰へらさるは君独りなりし、日々心配噂さして待ちし処なりし云々、同隊の人も最早皆々帰へりて、夫々自首せしにより、弥占重邦も先日比とかに帰りありし由なれとも面会はせす、何んでも川東石川方とかに居らるゝやに聞く、好き時に帰へりしなり、新撰旅団今朝も宮様が宮崎の方へ御立に付、護衛し(士)ら出発したりとのことを聞き安心帰宅す※板屋越(板谷越、旧北郷町北河内板谷、県道33、新矢立トンネル)※梶山浦(梶山、三股町長田上・下梶山、県道33・47)※雨木野(不明、三股町長田梶山の内か)※川東(都城市上・下川東、国道10・大淀川)【20028054】:(2)
◎この人物は8月7日宮崎県日向市近くで本隊とはぐれ、農民の助けを借りたりしてやっとここ三股町までたどり着いた。故郷都城はもう目の前である。これは日記(日誌)であるが、彼は懲役人としての筆記もある。
ここにある不明地名「雨木野(不明、三股町長田梶山の内か)」は「雨木野(天木野アマキノ、三股町長田、県道33・天木野バス停、長田峡・長田小学校)」と改訂した。この「長田」は大字である。「天木野」は当然小字であろう。というのは、この2つは平凡社辞典には出てこない。地理院地図で偶然「天木野」という文字が目に付いた幸運で生まれた成果である。問題がある。読みは「アマキノ」としたが「アメキノ」かも。信頼するバス停情報は「てんきの?」とする。三股町の情報を求めたが、「読み」はついに出て来なかった。理想的にはあの辞典に「長田村」の項目があり、その中に「天木野という小村も含まれる」の一文があるべきなのだ。
▲画像は地理院地図とグーグルストリートビューで作成した。

★成果が期待できない研究作業が続くが2020年10月21日 23:07:11

▲地名研究作業は宮崎県が終了した。「日付+不明」で済ますのが普通で、まったくうんざりする作業である。理由の1つは平凡社「日本歴史地名大系」の宮崎県部分が不完全なのだと結論する。収集数は熊本3643、大分3246、鹿児島2354に対して宮崎は1462。
●この日最大最高の成果が以下の通り。
○翌18日は飫肥内の板屋越と云山路を通り、梶山浦字雨木野と云部落に、副戸長時代徴兵係にて、松山某と云を徴兵召集の際熊本鎮台営所に連れ越せし其人の宅へ立寄りしに、久々振りとて焼酎杯請け、時刻を作りて夜中自宅門前に至たり、見るに門柱には新撰旅団陣営の帳り紙のあるを見て引返へし、近隣高橋正一方へ至たり、密かに起したれば、正吾にはあらすや、帰へらさるは君独りなりし、日々心配噂さして待ちし処なりし云々、同隊の人も最早皆々帰へりて、夫々自首せしにより、弥占重邦も先日比とかに帰りありし由なれとも面会はせす、何んでも川東石川方とかに居らるゝやに聞く、好き時に帰へりしなり、新撰旅団今朝も宮様が宮崎の方へ御立に付、護衛し(士)ら出発したりとのことを聞き安心帰宅す※板屋越(板谷越、旧北郷町北河内板谷、県道33、新矢立トンネル)※梶山浦(梶山、三股町長田上・下梶山、県道33・47)※雨木野(不明、三股町長田梶山の内か)※川東(都城市上・下川東、国道10・大淀川)【20028054】:(2)
◎この人物は8月7日宮崎県日向市近くで本隊とはぐれ、農民の助けを借りたりしてやっとここ三股町までたどり着いた。故郷都城はもう目の前である。これは日記(日誌)であるが、彼は懲役人としての筆記もある。
ここにある不明地名「雨木野(不明、三股町長田梶山の内か)」は「雨木野(天木野アマキノ、三股町長田、県道33・天木野バス停、長田峡・長田小学校)」と改訂した。この「長田」は大字である。「天木野」は当然小字であろう。というのは、この2つは平凡社辞典には出てこない。地理院地図で偶然「天木野」という文字が目に付いた幸運で生まれた成果である。問題がある。読みは「アマキノ」としたが「アメキノ」かも。信頼するバス停情報は「てんきの?」とする。三股町の情報を求めたが、「読み」はついに出て来なかった。理想的にはあの辞典に「長田村」の項目があり、その中に「天木野という小村も含まれる」の一文があるべきなのだ。
▲画像は地理院地図とグーグルストリートビューで作成した。

★地名解明作業&DELL機2020年10月02日 11:35:35

庭の蝶
▲不明地名1403の解明作業の中で「▲」と分類したものは「なお検討が必要」となっている。それを何とか「●」(「ほぼ完成」)に格上げする作業をした。どうしても無理だと思う地名が90残った。全く手が付けられない1090と合わせると不明地名は1180となった。その解明業は多くの方の協力があって可能となるであろう。ひたすら私の資料CD版を配布するしかない。
①以下はある事例、大胆(無謀)な発想で解明したものである。
文は「征西戦記稿」8月25日の記事。西郷軍は8月18日可愛嶽を突破、鹿児島へと向かっていた。官軍は追い付けず、行方に関する情報は錯綜していた。
▲②是日午前熊本鎮台兵報じて曰く「七山の賊、小原川に沿ひ、立石・田代・八重原諸町を経て将に山陰に出んとす」と、午後果して警報あり「賊兵山陰口を侵す」と※小原(オバル、旧西郷村小原、国道327・耳川・小原橋)※立石(旧西郷村立石、国道327・耳川・立石橋)※田代(旧西郷村田代、国道327・388・耳川・田代川)※八重原(旧東郷町八重原迫野内、国道327・小丸川・八重原大橋)
実は「小原」は「小原川(不明、‥‥‥‥)」となっていた。付近にそのような川はない。そこで私は原文と照合した上で、「小原川に沿ひ」の部分を「小原より川に沿ひ」と解釈を変えた。小原・立石・田代・八重原はいずれも大河の耳川に沿っている。文意通じる。そして原文には元々「より」の2文字があったのではとすら思っている。
▲DELL機の復活で困ったのがFirefoxである。今まで並べてあったネット情報は全て消えていた。対してGoogle Chromeはちゃんと元に戻った。確かゼンリンのバス停マップがあったはずと今に至るも見つからない。
▲画像はいかにも元気が尽きたような感じの蝶。約3分余りポーズをあれこれ作ってくれた。DELL機にあった画像縮小機能のネット情報も消えているので、プリントスクリーンしてペイントで作成した。