★久しぶりにブログを書く2020年09月19日 23:05:06

蝶(9月9日)
▲8月26日以来である。特に書きたい話題もない。特に2007年に終えた私の旅の記録の書き直しに集中していたことが大きい。それがもうすぐ終わる目途が立った。目標は毎日旅の記録1日分を終えることだったが、コロナのお蔭でそれが可能だった。誰も訪ねて来ないし、自分もストレス解消に往復1時間半の自転車行を繰り返すだけ。店もほとんど寄らず、人にも会わず、ひたすら電動アシスト車を漕ぐのみだった。実はこれが楽しかった。大敵は雨であるが、夏の雨はミスとシャワーと割り切っている。ただいつぞやは、雨の中、少々だろうとたかをくくって出かけたら、とんでもないドシャ降りで、肌まで水に濡れた状態で帰り着いた。
▲私の作業中に私のパソコンは嫌がらせを繰り返した。
①ワードは、私が修正部分を考えていよいよ打ち込む時、急に「自動保存」を始める。終わるまで私はイライラ。終わって毒づく。それはなんと何故か日本語入力(右下に出る「あ」)が出来なくなる。これはいつもではなく何らかのタイミングで起きる現象。そこで居並ぶファイル名を、2つぐらいクリックすると、画面右下に「あ」が出る。それからワードに戻る。解決は簡単である。「自動保存」をストップすればよい。でもそれは迷う。
※今、「まよう」と打ち込み、「変換」したら、「●要」と出た。すぐ「迷う」に替えた。誤変換の親切なご注意が来た。監視されている?
②エクセルはあるファイルの場合、時々応答しなくなる。固まっていて矢印キーで動かない。入力もできない。ただマウスでセルのクリックはできる場合もある。そこでほかのエクセルファイルを動かしてから戻ると回復している。
③ときどき入力が文章中でできなくて、画面の左上に小窓ができて、そこに打ち込むことになる。知らないうちに元に戻っている。
▲間もなく9月24日が来る。明治十(1877)年西郷隆盛終えんの日である。私の資料から一文を。
9.第四旅団★最後の塁攻む:(9)
①賊尚ほ一塁(鮫島元吉の邸前に在る者)を保つ、援隊の森林中に在る者之を包撃す、賊益々窮す、此際西郷隆盛の屍(頭顱なきもの)を路上に得たり※鮫島元吉(鹿児島市城山町12番、JR日豊線)
②此時賊四圍の攻撃を受け、悉く谷口の一塁に聚り抗戦す、我兵之に死する者亦尠からず、此塁や形偃月を成す、狭小にして衆賊を容るるに足らず、衆賊蜂擁集銃剣戞撃肘臂支吾し、人々自ら闘ふ能はず
③是に於て兵を分ち塁上の邸趾より銃槍を以て迫り吶喊して衝突す、継て諸軍四面より至り銃口を攢めて一塁を注射し、終に之を鏖殺す、賊皆二三弾の傷痍を負はざるなし、賊魁蓋し此に斃る
④阪元少佐等屍を撿して桐野を得、尋て又村田新八・桂久武・池上四郎・別府晉介・邊見十郎太・高城十次郎・郷田正之丞・山野田一輔・岩元平八郎・蒲生彦四郎・石塚長左衛門等以下40余名を得たり(賊魁の屍は悉く其首を刎たり)
⑤諸軍乃ち凱を奏す、時に7時30分なり【30064205●巻64城山戦記】
◎この日山縣参軍以下の幹部は主要人物の首実検をする。そして城山には見物人も入り込み、療養中の兵士は大変困惑したと日記に残している。
▲蝶はコロナには関係ないのか。今もまだ時々飛んでくる。写真は9月9日、我が家の庭で。

★新しい作業は平成の歩き旅の記録の訂正2020年08月09日 23:14:15

▲西南の役の未解明1090余にまだ未練は残ったままだ。新しい作業が宮崎までの旅の記録なので、偶然の出会いがあるかもと思いつつ。
 参った。作業に必要な4つのPDFフォルダー(先頭に1・2・3・4が付く)のうち2つが見つからない。「1・2」だ。意外に早く「1」が見つかった。しかし「2」は朝から何度か探してついに、「ここに入力して検索」で大捜索。「4」が見つかっただけ。夜に入り再度捜索開始。作業中のフォルダーの中に変な名前のフォルダーがある。「移動先」で始まるフォルダーだ。ここで思い出した。「3」と「4」を作業するのにジャマだとしてこのフォルダーを作り、この中に「1・2」関係諸資料を入れ込んだのだった。
 かくして作業の体制は出来上がった。
▲西南の役資料は一応終ったので、成果資料を同志諸氏と共有したいと思いDropboxの「共有」を試みた。ネット情報を元に行うが、何とも分かりにくい。いつも思うが、何で人が分かるように記事が書けないのか。結論はいつも同じ。理系人間が記事を書くからだ(持論)。負け惜しみではあるが本当に分からない。「共有」をクリックで終わりにしてくれ。実は数年前遠くの家族に資料を印刷して送る代わりにこれを用いて送付していた。ただどうやってそう出来ていたのか覚えてはいないが。
 代わりにOneDriveで試みた。こっちが「共有」が簡単のような感じがしたが、まだ挑戦はしていない。理由はDropboxの無料容量が2ギガに対し、OneDriveは5ギガだ。だから私はUSBカード代わりに使っているのでこちらは自分用に残して置きたいのだ。Googleのドライブは無料は15ギガでこれはもう10ギガ使っている。これは使いづらい。マイクロソフトを嫌っているような感じである。
▲知人のメールが見事な文字化け。仕方なくメールソフトを使うことになり、Outlookを初めて使用することに。受信・送信情報を打ち込んで何とか使うことに。私はWebメール主義者なのに。次はオンライン会議を作ることに挑戦したい。ひょっとして「共有」は不要に?。
▲未練たらしく1877年7月28日の官軍別働第二旅団の行動記録より。
●是に於て我軍已に悉く漆野・一之瀬・陣之尾の賊を破り、長駆して綾に入り、第四方面兵大平山に拠て哨兵を布く、第二方面兵其左に連絡し川に拠て防守す、第五方面兵又其左三ノ宮より割付山に至るまで守備す※大平山(綾町南俣、県道353・内山川)※三ノ宮(不明、綾町南俣か)
◎「三ノ宮」は私は地名と思い込んでいた。これがネット情報をやり繰りする中で以下の正解を作成できた。
※三ノ宮(三宮ミツノミヤ大明神社、現在は綾神社、綾町南俣)
ほかの地名の説明がないのは、同日付けの先行記録にすでにあるから。
▲画像は私が一番綾に近づいた時の画像(2006年)と2019年のストリートビュー画像との合成。私の旅歩きの3日目に相当する。実は歩いたのは2002年11月19日で、画像は2006年後半を再度歩き直した時のものである。歩き直しは止むを得なかった。当時は情報は道路地図だけであった。

★地名説明改訂作業報告2020年08月07日 17:27:35

▲未解明地名は1407から少し増減していたが、最終的には「1404」となった。今回の作業で、「ほぼ完成」グループ140、「なお検討が必要」グループ174、「不明地名」グループ1090となった。
①地名はその字句のみ必要なのではなく、その現位置が分からなければ完全とは言えない。だから角川の辞典の後に並ぶ「小字」一覧も完全な参考資料ではない。鹿児島市のように字絵図があれば何とか見当が付く場合があるのだが。
②今回の私の孤独な作業の中で何回も挫折させられたのは「征西戦記稿」という官軍資料に出ている地名である。どこの「大字」・「小字」でもない地名が実に多い。山の名など確かめもせずに地名に「山」と付け足したレベルだ。この本には「地名箋」という参考資料も含まれているが、悪いが役に立たない、それに採録されてすらいない例が多い。何のための資料かとガックリさせられた。
③九州はダム王国(?)ではないだろうか。今のところそのダム下に消えた集落名、大字・小字名など記した資料にアクセスできていない。残念である。
▲作業事例を以下に記す。
◎1877年7月29日
然る処同所綾の雨ガ台の吾か塁官兵に攻破せられ、官兵既に我背に廻るに付同所を退く、其節本営は日向国佐土原に転営、我隊同所河渕に番兵致居候処※綾(綾町北俣麓、県道26・40・360・綾北川・綾南川・本庄川)※雨ガ台(不明、綾町か)【10605412】:(2)
●雨ガ台(天ヶ谷アマガタニ、旧野尻町東麓、国道268)
※「谷」は私の発音では「タイ」。これがヒントとなった。田舎の名も無き小川を「谷川(タイゴ)」と読んでいた。
◎1877年7月29日」
其後高岡郷(鹿児島県下)桑畑村の原にて戦敗れ(日不覚)、綾郷の(同県)川向へ陣を取る(爰にて戦なし)※桑畑村(不明、綾町入野上畑か)【11402617】:(3)
●桑畑村(上畑ウワバタ、綾町入野字上畑、県道26・本庄川)
※これは聞き間違いによると考えた。かかる1字違いは解明作業のヒントになる。
◎1877年8月2日
8月2日、已に黎明忽ち喇叭の声前岸松林の中に起る、我軍之を乱射す、此時官兵已に後林に伏し、吶喊斉く起て我軍を夾撃す、相距る僅に三二十歩、皆謂「別軍誤て我を撃つ」と、疾呼之を制す、而して銃撃益急なり、乃官軍の伏兵たる事を知り、松樹に拠て暫く之を防ぐ、且戦且退く、衆皆守、而して遂保たず事機迫る、濱田泰理来て兵を退かん事を告ぐ、濱砂某戦死す、衆皆塁を棄て四散す、(中略)乃荊棘の中に伏して丸を避けんと欲す、而して銃声耳辺に迫る、又起て畦畝を過ぎ一溝を得(溝底沮洳)、匍匐してゆく、弾丸無数前後を夾み、飛泥面に被る、左折して一松林に入らんとす、官軍亦之に屯す、乃転じて右し荒野を行く事凡五六丁許にして、忽ち一村に出づ(後之を聞けば乃向井原村是也)(下略)※向井原(不明、新富町か)【20036105】:(2)
●向井原(向原ムコウバル、新富町新田ニュウタ、藤山川、向原第1遺跡)
※偶然高速道関係の発掘作業報告書にアクセスできた。ほぼ地図上で確認できたので解明できたとした。
▲画像は蝶。

★全ては1地名を表すのだが2020年08月02日 00:18:27

▲以下はその1地名を彼等はどんなに表現しているかの実例である。
①龍野越
一同7月13日本営より指令有、須木郷内山へ曳揚、高山龍野越之嶮地を守兵斥候無怠、四五日過て※内山(旧須木村内山、県道401・浦之名川)※龍野越(不明、立野越か、旧須木村下田か)【11600435】:(1)
②立野越
其後屢戦と雖とも互に勝敗なし、然に七月中旬過飯野口敗軍にて彼の方面の味方野尻の内天ヶ谷と申処迄引退、我守場のみ敵地へ闘入し難守相成候に付、退て須木の内煤原より立野越へ亘り戍を付居候処※野尻(旧野尻町東麓、国道268・県道29・戸崎トサキ川・城之下ジョウノシタ川・岩瀬川)※天ヶ谷(アマガタニ、旧野尻町東麓、国道268)※立野越(龍野越か、不明、旧須木村下田か)【10600422】:(1)
③龍ノ越
翌日午前7時頃より官軍攻撃に味方敗軍する故、奈崎越・龍ノ越の守兵綾・紙屋に引揚く、此時小隊長永嶺信清、分隊長自分炮丸に当り手負す※奈崎越(奈佐木峠、旧須木村奈佐木、県道401)※龍ノ越(龍野越・立野越、不明、旧須木村下田か)※綾(綾町北俣麓、県道26・40・360・綾北川・綾南川・本庄川)※紙屋(旧野尻町紙屋新町・旧町、国道268・神谷川・米川内川)【10100421】:(1)
④立越・立ノ越
時に官兵来りて正義八番中隊・干城遊軍二中隊守る所之立越を攻む、敗して内山村へ退くや否や、我隊は応援として中隊長橋本諒輔自ら率いて之れに趣く、途中敵兵へ行合ひ、午前10時頃より午後2時頃迄烈しく戦半はなるとき、我小隊を分ち敵の背後へ廻り、突出して数十発を打出すに官軍破れて走る、我兵立ノ越台場迄追打大勝利を得たり、夜に入て我隊及ひ正義八番中隊敵塁に対して連戦す、振武十五番中隊は本台名崎越へ帰営守兵をなす※立越(立ノ越・立野越・龍野越か、不明、旧須木村下田か)※内山村(旧須木村内山、県道401・浦之名川)※立ノ越(立越・立野越・龍野越か、不明、旧須木村下田か)※名崎越(奈佐木峠、旧須木村奈佐木、国道265・県道401)【12285032】:(3)
⑤辰ノ越
同廿日辰ノ越へ官軍襲来に付援兵として押出す様指令に依り応援副力候得共、即味方敗走にて其夜日向の綾郷迄引揚※辰ノ越(龍野越・立野越、不明、旧須木村下田か)【10500413】:(1)
◎以上のどれが正解か分からないし、場所も特定できていない。だから「不明」で処理してある。これらの記録から「奈佐木」から「立ノ越」へ、そして「内山」へ。やがて「綾」・「紙屋」へ退いて行くことが分かる。そこで画像の地理院地図のある地名にヒントを得た。「立の尾谷」でる。これは地名ではなく、川の名称(「谷」)と考える。「立の尾」は鹿児島弁では「たっのお」か「たっの」(「尾(お)」は省略される)。
そこで今考慮中の説明1例は、
※立ノ越(立の尾谷を越す坂、旧須木村内山、県道401・立の尾谷)

★研究作業報告2020年07月25日 02:51:02

▲最近始めた新しい方法がある。私の「不明地名調査用」エクセルファイルにはその地名が何という市町村に属するかの欄がある。今まで頭から順番に修正作業をしていたが、これを変更した。例えばA県のB町の不明地名を扱う。次にC県のD町のそれを扱う。その度に平凡社地名辞典も地理院地図も変えねばならない。今まではそれは当然と受け止めていた。
 そこで大転換である。県名・市町村単位にまとめて作業を始めることにした。気がついたのは実は不明地名には「兄弟姉妹」がいたのだ。「花園」と「花園村」は同じで、同じように「杉ノ本」と「杉之本」は「杉元」と同じ地名なのだ。かくして極めて効率よい作業になった。それでは成果もと思うが、これは相変わらず、うまくは行かない。
①「花園」と「花園村」の例。「花園」を例挙とする。
●同30日柏田守塁破るるを以て、全軍道を異にして佐土原・廣瀬等に退き、保北川を夾みて守る、我隊は上流竹渕を守る、此時、守線は上み米良口より祇園・花園・竹渕・佐土原・廣瀬等を経て下も海岸に至る、此際全軍弾鉛に乏しく、錫・銅を以て之を補ふ、錫・銅も亦尽く、鍋・釜の鉄を鋳し之を支ふに至る、又海岸の農民を募集し、木砲を造らしめ以て預め備えをなす※柏田(宮崎市瓜生野ウリュウノ、県道9・26・大淀川)※広瀬(旧佐土原町下田島シモタジマ、国道10・県道14・326・石崎川)※保北川(穂北川・一ツ瀬川、西都市穂北)※竹渕(新富町新田ニュウタ、県道18・一ツ瀬川)※米良口(西都市三納ミノウの尾泊、米良街道)※祇園(西都市右松、国道218・一ツ瀬川・祇園渡ワタシ)※花園(不明、西都市穂北)【20040121】:(4)
◎※花園(ハナゾノ、新富町新田ニュウタ字花園、県道312)。これはこの資料から「花園」が「祇園」と「竹渕」の間にあると分かったことだ。そしてネット情報から「花園」が「新田」の小字と分かった。ここはある遺跡だった。
②「杉ノ本」は懲役人の資料、「杉之本」は官軍資料(「征西戦記稿」)、「杉元」は土地勘のある人物の日誌の資料である。
●同第一方面は田中少佐2中隊半を以て越野尾村に整列し、午前4時一は小原一は碝石を捜索し、連絡を両村に取り守線を張らんとす、進む事1里余越野尾峠に至て賊に会し相戦ふ1時間許、長谷川操少尉試補1小隊半を以て右に迂廻し、賊の側面を撃つ、正面の兵之に応じて進み、賊を破り北るを追ふて之を杉之本に蹙む※越野尾村(コシノオ、西米良村越野尾、国道219・一ツ瀬ダム)※小原(児原コバル、西米良村越野尾、一ツ瀬ダム)※礇石(サレ、西米良村越野尾)※越野尾峠(不明、西米良村越野尾)※杉之本(不明、西都市か)
◎※杉之本(杉元・杉ノ本、西米良村越野尾、児原コバルと礇石サレの間、一ツ瀬ダム)。これは官軍資料(「征西戦記稿」)である。3つの地名は同じ地名である。どれが正解か分からないので併記した。地図上の位置は分からない。ただ「小原(児原)」と「礇石」の間にあると推測できる。地理院地図に共にある。ストリートビューで確認できなかった。多分一ツ瀬ダムに沈んでいるのかも。
▲画像はモンシロチョウ。