★蝶の写真&私の「西南の役」資料改訂2023年11月17日 08:39:38

▲画像はフジバカマに集う蝶の写真4葉。1匹・2匹・3匹があり、フジバカマは家人が好まれているのだと言う。1匹の大きく見える写真は焦点が合っていない。理由はわずか50cmの距離からの撮影で、自動焦点設定のままだったためボケたのである。さらに3匹(すべてアゲハ)が舞い踊るので、私は手で捕えようと試みたが失敗した。
 撮影後に大雨となり、気温も低下し、あの蝶たちは顔をみせなくなった。奄美に飛んで行ったと思っているが。
▲私の「西南の役」資料のメインのワード2つを改訂した。そのファイル名等は以下の通り。

1★A4型西南の役第一部(本文編)◆その1(提供用)231111……268ページ
1★A4型西南の役第一部(本文編)◆その2(提供用)231111……174ページ
1★A4型西南の役第一部(本文編)◆その3(提供用)231111……268ページ
1★A4型西南の役第一部(本文編)◆その4(提供用)231111……408ページ
1★A4型西南の役第一部(本文編)◆その5(提供用)231111……145ページ
1★A4型西南の役第二部(本文編)◆その1(提供用)231111……272ページ
2★A4型西南の役第二部(本文編)◆その2(提供用)231111……202ページ
2★A4型西南の役第二部(本文編)◆その3(提供用)231111……260ページ
2★A4型西南の役第二部(本文編)◆その4(提供用)231111……311ページ
2★A4型西南の役第二部(本文編)◆その5(提供用)231111……286ページ
2★A4型西南の役第二部(本文編)◆その6(提供用)231111……259ページ

▲作り方は以下の通り。
①A5判の「1★101~423●本文編西南の役(提供用)190826」を起動する。
②「その2」以下を削除する。
③「1★A4型西南の役第一部(本文編)◆その1(提供用)231111」と名付けて先ずは保存する。
④ここで全部をA5からA4に変える。なお左右に2分割してまん中に線があるようにする。レイアウトそして段組みが出来上がる。
⑤「表紙」、「はじめに」、「使用した資料」、「本書の構成」は残して置く。
⑥「表紙」は段組みを外し、「西南の役第一部(本文編)◆その1」以下を書き替える。また「その1」の表紙も段組みを外す。
▲元々はA5判で、「第一部」と「第二部」にまとめてあり、膨大なページ数のものだった。これを印刷して使うことなど全く想定せず、スマホなどでも読めるようにと考えていた。ただ電子書籍出版は考えていたが。
しかし、私から提供された方が印刷して使うことも考えて、今回はワード資料をA4判に、そしてだれでも好きな部分を印刷・製本できるようにと分割・独立させた。私自身は自分用に全11冊を印刷業者さんにお願いしようかと考慮中である。

★ワード資料「その4」をめぐるトラブル2023年11月12日 21:37:54

▲「1★101~423●本文編西南の役(提供用)190826」はA5判で1429ページ。5つの区分に「その1」から「その5」まである。資料はそれぞれにはその「目次」が付けてある。ところが「その4」の資料は何故か目次が壊れている。「エラー! 定義されておりません」と。試しに「目次の更新」をすると、見事に復活した。ところがそれは5つ全部の目次である。何度か試みていろいろ工夫したが無意味に終わった。
 2日前に始めたこれらの資料を全てA4判に、しかも全部を「その1」から「その5」まで単独独立させていた。これがヒントになっての作業が本日の画像だ。
①「1★101~423●本文編西南の役(提供用)190826」の壊れている「その4」の全ページを先ず削除する。
(ア)そのため除去作業用に「画面」を画像のように小さくする。
(イ)十数ページをクリックして、「Del」キーで削除。何とも時間が掛かる。
(ウ)画像左のナビゲーションに見える、例えば「1日目‥‥‥」を左クリック、そして右クリックで一覧を見て「削除」をクリック。これで即効削除できた。これは今後も使えそうな技だ。
②最後に「1★101~423●本文編西南の役(提供用)190826」にできたところに単独独立している「その4」の全てをコピーしてここに入れ込む。
◎かくして、トラブルは解決できた。それにしてもネット情報は専門語を駆使しての説明で分かっているのは書いた本人だけか。それにアクセスすると必ず別なソフトへの案内へ導かれる。その画面が説明文を隠している。

★一番欲しかったこの種の蝶の写真2023年10月29日 05:24:26

▲今年はもう縁がないと思い込んでいた。飛来するがほぼ花に着くことはなく、目前をいつも猛スピードで過ぎていた。この日は本当に恵まれていた。私は2時間もの自転車行を終え、息も上がって、いつものように縁側へ出てホッと一息ついたところだった。窓越しに庭を眺めると、黄色の蝶と白色の蝶が舞っていた。そこへ本日の画像の1匹が飛来した。すぐ目の前の花に着陸した。窓を開け、網戸を動かしたがビクともしない。ニコンを準備する。先ずはすぐ撮影2枚。そして今度は焦点を合わせてじっくりと狙ってシャッター、延べ約3分間のチャンスを有効に生かせた。残念ながらポーズが今一つ好みではないのだが、それは今年においては欲というものだろう。多分今年一番のシャッターチャンスを与えてもらったのだから。
▲研究資料の不明地名のエクセルファイルを別に単独独立させた。AIを使って不明地名探しをすることだ。なおよく使う関係エクセルファイルをシートとして入れ込んだ(3シート)。相当重いファイルにはなったが、今のところ動きに無理はない。
試しに不明地名「江津学校」をAIに尋ねた。その原文。
▲十九日に到り煙焔俄に茶城に起り城東之人家悉く灰盡と為る、其騒擾実に筆記する能はす、聞くか如し池邊吉十郎等県命を受け建宮村に鎮撫局を設くと、依て同社を伴ひ建宮村に到り、親類某江津学校に在るを聴き行て之に接し、名義之在る所を聞く※江津学校(不明、熊本市中央区江津エヅ、国道57・県道103・加勢川・江津湖)【10102302】:(6)
※資料説明①十九日(1877年2月19日)②茶城(熊本城)③建宮村(熊本市東区健軍)
AIから得た情報は、熊本市の「江津」地域にある「私立の英語学校」だと。よしと調子に乗って、目的である「江津」の位置を尋ねた。答えは本州の某都市の地名であった。ガックリ。一応前半の「英語学校」だけは参考資料としてエクセルに打ち込んだが、大丈夫かな。英語学校は明治初期に第一級の高等教育機関として各地に作られていた。鹿児島では鹿児島市の旧城近くにあったはずだが、正確な位置が分からないので、仕方なくここも「不明」扱いにしてある。
▲本日の画像は蝶の写真4態をAIに尋ねるために作成した。幸いなことにWindows11にある「Copilot」がWindows10の「mouse機」にもあるのだ。そこで以前のブログのような答えを期待して尋ねた。期待に反して全て英文で帰ってきた。私のつたない語学力での理解では、分からないとの意味だったようだ。

★「いさぶろう・しんぺい号」&西南の役2023年09月23日 02:58:14

▲18日夜、テレビニュースにその名称が出た。JR肥薩線の特別列車が何でと思いながら眺めていた。いきさつはテレビが詳細に伝えてくれた。そして、明日9月19日朝9時16分に鹿児島中央駅を発して日豊本線を宮崎へ向かうと。これはほっとけないと考えた。時間的には25分から30分で我が姶良市中心部に来るだろうと考えた。
 当日朝9時16分に私は自宅を出た。第一ポイントは現在建設中の姶良市分室庁舎の道路向かいの線路付近である。見るといささか草木が邪魔である。そこで網掛川を越えて錦江(きんこう)駅方面に向かった。時計を見るとゆっくりポイント探しをする時間はないと感じた。180度引き返して今度は加治木駅に向かう。あの第一ポイントには2台車が止まっている。ライバルは避けるの哲学から、加治木駅方面に向かうが、カメラを下げた人がいる。もう一度大転回して再度網掛川へ向かう。最終ポイントは網掛川鉄橋の東側の土手に決めた。
画像の写真の時刻は10時13分。私の予想時間とは大きくずれた。ニコンカメラはうまく動き、連写数枚。取り終わった時、私の右指先にニコンのシャッターボタンがくっ付いていた。そっと元の穴に戻した。画像はPrintScreenしてペイントで作成した。列車の先頭の運行標示板には「団体」とあった。
▲西南の役、1877年9月24日の某氏の日記より。所属:奇兵十三番中隊、ただしこの人物は西郷隆盛直属の護衛兵となる。
9月24日八月十八日晴、今日午前第2時比官軍四方より一同時の聲にて炮聲大に轟き、勢ひ破竹の如く、自身儀は院中江苦居候に付、落城の上者殺せらるるは必然の事にて、決死に格護罷居候処、未夜も明さるゆへ、炮聲を聞計、味方ささえの炮聲も不聞、次第に炮聲も近つき、早暁に至り官軍城山え攻撃、自身病院へも攻込に相成、已に殺さるる賦に存居候に、病室四方より銃刀を以て突破せらるる、時に巡査隊の隊長と見認し人、一分隊位を引卒して入来、暴攻(行)不致候様との指令にて治り、院中の人員に問はるに降伏か否哉とて聞(促)され候、患者各降伏の返答候、其尽助けられ、西郷・桐野・村田其他先生衆即時討死の趣伝承し、諸塁台江配兵は、夜明に至り死残りし者は、銃器・刀を捨て、病院江迯込者もあり、城山江潜伏する者もあり、遂に縛せられ、或は顕出して降を乞ふ者もあり、岩崎内味方3軒の病室に自身入室の外、2軒に者院中江攻込、患者尽く殺害し、2室共に其尽火を放ち、死骸共に焼失せり、焼死人20人位の由、実に混雑なる事、記戴するに難尽、本日午前5時比より炮聲止み弥落城治(おさま)り、※自身病室に者賊病院の故、見物人数日幾千人為不知、誠に遺憾なる哉、即日より官より御引受け御賄等下り、人夫を立て病院不潔にあるを清潔に掃除等御手当に相成、外国人も3名検査として入来、病院門には護兵を置るる、官医等も検査に相成候て、直に療養被成下候事【20024235】:(1)※「自身病室に者」以降の文は25日以後の事実を記す。

★配列を学ぶ&西南の役2023年09月18日 10:18:49

▲画像は日経パソコン誌のこのシリーズの最初の1つを元に自分の学習用に作ったエクセルファイルの一部だ。幾つかのシートの仕上げがこれである。「値貼り付け」で「配列」を無効状態にして、「配列」を再入力をする練習をするためである。それもこれも我が「DELL機」と「mouse機」のエクセルが「2019年以前」(日経パソコン誌の用語)だからだ。
今もって「配列」のワザは理解できていない。そこでこのような学習用エクセルファイルをなお複数作ることが必要となる。
▲一応5回分の「配列」の記事を切り取り保管し、そのファイルも全てダウンロードし、記事と照らし合わせも終わった。中には多少ズレが誌面とファイルとの間にあり、少々手間が掛かった。
▲まもなく、9月24日が来る。西南の役が終わった日である。以下はこの日の状況を記したもの(「征西戦記稿」、私の「2★424~930●本文編西南の役(提供用)190826」より)。
●新撰旅団★岩崎谷の戦:(16)
▲①是に於て賊兵岩崎谷より私学校後の山上に登る、因て山上の官軍と之を夾撃す、時に5時55分なり
▲②既にして西郷隆盛等岩崎谷口に集合す、我兵之を乱射す、一賊の重傷を負ひ路傍に潜伏するあり、之を捕へ隆盛の所在を問ふ、賊指示して曰く「負傷して彼所に走る者即ち是なり」と
▲③安村中尉急に追躡し殆んど之を獲んとす、賊兵之を見て安村を狙撃し、為めに其腹を傷る、適々一賊あり、隆盛の首を刎ね携へ遁る
▲④石神助幹警部心得、安村に継て進み隆盛帯ある所の連発拳銃と其屍傍に在る一刀を得、安村を助けて退けり(其刀甚だ粗悪なり蓋し賊魁の帯びし者に非ず)
▲⑤賊魁既に斃ると雖も、余賊猶ほ岩崎谷口の塁に拠り殊死拒戦す、井上東一少尉は1分隊を率い岩崎谷の山麓より之を射撃し、遂に第四旅団兵と共に賊塁に迫り、桐野利秋以下数十名を殪し、本軍に還る
▲⑥是より先き他の諸分隊は城山及び岩崎谷の通路其他の要地に配布し、厳に警備をなせり
▲⑦死傷(安村中尉隊:傷5)(井上少尉隊:死2・傷9)、鹵獲(生擒:数十、山砲2、臼砲2、小銃・刀剣・弾薬若干)【30064212●巻64城山戦記】