★ニコン・mouse機ほか ― 2022年12月23日 00:12:16
▲先のブログで「ニコンは遂に起動すらしなくなった」としていたが、床に放置していたニコンを何気なく、起動ボタンを押した。何と起動したではないか。そして慌ててパチリ。ブログに上げたい復帰記念写真だが、部屋の様子が分かるのでヤメた。それから触っていないので怖くて起動できない、また壊れているのではと。今回の画像の開聞岳は珍しくはっきりと見えた。ただ撮影した機材はキャノンのデジカメである。もしニコンならもう少し鮮明になっていたと思う。
▲mouse機は「終了」はほぼ通常の仕方で可能な状態が続いている。ただ起動時に異音が出るのは続いている。本体のキーボードの機能がほとんど壊れているので、外付けキーボードで使用している。こっちも起動ボタンがいつ機能しなくなるのか、気にしながら、最後の日まで付き合う覚悟だ。バッテリーと電源は予備まで買い揃えてあるのだから。
▲地名の作業はお手上げ状態が続いている。当初300を越える「不明」のうち100近くは絶対解明不可能と分かった。それは旅の記録に宿泊したり、休憩したりした旅籠やお休み所の経営者の名前があるからだ。○○屋△△兵衛さんも代々継がれているので何代目かも分からない。これらを除くと残り200余りを解明すべきだが、なかなかである。
島津斉彬は私の記録した史料上では、江戸に向かう2日目に「妙見ケ嶽」を通過する。何故か帰国の際はこの記録はない。これが私が知る範囲ではいかなる資料にも出てこない地名だ。岩波の地名辞典には「小字」として「妙見岳」とあったが、地図形式ではないので「位置」は特定できない。結果、貴重な記録の精査ができないのが残念至極である。特に我が鹿児島の地名なのにと悔やむのみ。
●八月廿四日、晴、六ツ過より出勤、御供前、①一六ツ半前御立、苗代川:一里九町五拾八間 ②妙見ケ嶽御立場:一里十一丁三拾三間 ③市來湊御仮屋御休:一里壱丁拾間 ④五反田御茶屋御小休:一里拾三町五拾三間 ⑤木場御茶や御小休:一里半四町四拾間 ⑥向田御仮屋七ツ時御着(下略)
◎①~⑥は便宜上私が書き込んだ。嘉永5年8月24日(1852年10月7日水曜日)。
▲mouse機は「終了」はほぼ通常の仕方で可能な状態が続いている。ただ起動時に異音が出るのは続いている。本体のキーボードの機能がほとんど壊れているので、外付けキーボードで使用している。こっちも起動ボタンがいつ機能しなくなるのか、気にしながら、最後の日まで付き合う覚悟だ。バッテリーと電源は予備まで買い揃えてあるのだから。
▲地名の作業はお手上げ状態が続いている。当初300を越える「不明」のうち100近くは絶対解明不可能と分かった。それは旅の記録に宿泊したり、休憩したりした旅籠やお休み所の経営者の名前があるからだ。○○屋△△兵衛さんも代々継がれているので何代目かも分からない。これらを除くと残り200余りを解明すべきだが、なかなかである。
島津斉彬は私の記録した史料上では、江戸に向かう2日目に「妙見ケ嶽」を通過する。何故か帰国の際はこの記録はない。これが私が知る範囲ではいかなる資料にも出てこない地名だ。岩波の地名辞典には「小字」として「妙見岳」とあったが、地図形式ではないので「位置」は特定できない。結果、貴重な記録の精査ができないのが残念至極である。特に我が鹿児島の地名なのにと悔やむのみ。
●八月廿四日、晴、六ツ過より出勤、御供前、①一六ツ半前御立、苗代川:一里九町五拾八間 ②妙見ケ嶽御立場:一里十一丁三拾三間 ③市來湊御仮屋御休:一里壱丁拾間 ④五反田御茶屋御小休:一里拾三町五拾三間 ⑤木場御茶や御小休:一里半四町四拾間 ⑥向田御仮屋七ツ時御着(下略)
◎①~⑥は便宜上私が書き込んだ。嘉永5年8月24日(1852年10月7日水曜日)。
