★研究作業から、天保12年2月16日の歩き2022年12月01日 01:21:52

▲西暦では1841年4月7日火曜日である。この日歩いた距離は画像の通り。
 作業中の記録ではこの日は小田原から保土ヶ谷まで移動している。画像のグーグルマップでの計算ではこの間の距離は50.4km。小田原、大磯、平塚、藤沢、戸塚、程ヶ谷(保土ヶ谷)まで。私の記録では、小田原~平塚19.5km・30,823歩。平塚~戸塚20.08km・31,738歩。平塚~保土ヶ谷8.07km・12,744歩(神奈川まで歩いている距離の一部)。合計47.65km。
私の2日と半日分を一日で移動している。先のブログに書いたようにほぼ駕籠での移動であったのであろう。
▲パソコン関係について。
①最近はmouse機での終了時は完璧である。力任せで終わらせることはしていない。
②過日、デスクトップ上のファイルを携帯ハードディスクのショートカットにコピーしようとしたら、出来ずに逆に画面全体が氷ついた。仕方なくハードディスクを外したら、急に元に戻った。問題はその次の日だ。そのハードディスクを繋いだらものすごい騒音を発した。すぐに収まったが何がいけなかったのか。
③USB64ギガ上で作業して保存する。見ると保存されていない。一度閉じて、しばらくして開くと保存されている。その時間差は何なのか。

★mouse機崩壊か2022年12月05日 09:36:53

▲画像はmouse機のキーボードの写真である。実は本体のキーボードから入力できず、サインインできない。そこでいつも使っている。小型キーボードでサインインして起ち上げた。ヤマダの係員がその技術でmouse機のキーボードを点検して見せてくれたのが今日のこの画像だ。不鮮明は、スマホで撮影、それをさらにキャノンデジカメで撮影、さらにDELL機でPrintScreenして作成したので止む無くこのようになっている。画像の「白部分」のキーは反応しない、使用できないもの。「青部分」は何とか使用できるもの。
 ヤマダに運んで行った目的は、例の「終了」時点で機能せず、電源を強引に押すので困っていると相談するはずだった。そこで行くまえにと自宅で起動しようとして「サインイン」の数字を打ち込めないのに気づいた。Mouse機のキーボードを使うことはここ2年余ほとんどなかった。だから痛んでいることを知るべくもなかった。まさに目が点となる驚きであった。
 ヤマダの係員は、修理はほぼ無理であろうと言う。私も同感である。2016年購入では無償期間はすでに終っている。結局、小型キーボードで動く間は使い込むことにして引き上げた。診断料は無料にしてくれた。
▲研究作業は江戸から帰る人物の移動日記の点検中である。彼の記録は初めて通る道と見たものの記録であるが、案内人(伊勢神宮・高野山など)や使用した駕籠かきの言辞を記している。そこで時には以下のような作業が生じる。
①紙屋:正しくは神谷。これは「かみや」という読みの場所を地図上に探してみつけた。割合楽な作業である。
②カムロ:地理院地図上で最近は地名難読なものに「かな」が付いている。
③カタカ:地理院地図を辿る中で、「鹿高」の文字を見つけた。この漢字2文字で検索すると出ている。最近は読みを教えてくれる。
④その他苦労して見つけたのが、「かひど」→「垣内」、「はた」→「八太」。
 私から江戸まで往復して豊富な資料を提供してくれてこの人物に一つだけ言いたい。「あちこち見ずに早く帰りなさい」と。

★パソコン&もろもろ2022年12月17日 19:19:12

▲自室のベッドの向きを東西から南北へ変えた。パソコンは北位置にある子供使っていた勉強机に置いた。そこで長く使ってきた自作のパソコン机はお払い箱となり別室に移動させた。子供達が使っていた木製の2段ベッドの材を利用して作った自慢の品だったのだが。
ところが1両日過ごして、何か使い勝手が悪い。今回はベッドの足元の位置に座ってパソコンを使う。今まではベッド横にあったので使い易かった。特に寝る時に音楽を流すので、起き上がって動いてマウスで操作するのでは何とも使いづらい。
そこで再度考慮して、以前のようにベッドの横に別台(棚)を置き、ディスプレイとキーボードを載せ、パソコン(mouse機)本体は棚の一段目は引き出しだから、その下の二段目の棚板に載せた。そして使い始めたら、何故か時々画面が消える。しかしあれこれする間もなく、すぐ元に戻る。その繰り返しだ。棚の関係でパソコンは完全には開けないのでギリギリ開いていたことが原因だった。そこで棚板を3センチ程下にして、パソコンの開きを少し大きくした。すると消える現象はなくなった。
▲mouse機は別キーボードで快調に動くが起動時に異音を出す。どうやら携帯ハードディスク等を繋ぐことと関係すると思い、完全に起動してから、USB2個ともども繋ぐようにした。しかし今はそれでも異音がある。ただ以前よくあった、終了できない現象は、今はほとんどない。
▲研究作業では旅の記録は重複もあるが、その地名等はエクセル上で3000行を超えている。うち315行余が地名解明できていない。今それを減少させるべく見直し中である。以下は今作業中の部分の後半部分。安政2年9月13日(1855年10月23日月曜日)。
元宿「桐ノ木」中シハ山中市ハ橋マイキスキテ藤川宿へ着朝立ヨリイロイロト間物タヘ候故腹モフトリ此處ニテ昼飯仕廻人馬継少シ行テ左ニ西尾トイフ道吉良等エノ道有天文拾一年八月十日今川義元織田信秀ト合戦アリシ處トイフ其ヨリカンバサキニシバラク立場「セラタ」高ハシ大平川小橋大平茶屋エ立場ヤスム其ヨリスジカイ橋カケノ郷此ノ所ハ岡崎宿出迦立場ヨフヨフ夜入四ツ過岡崎ノ泊宿マデ着ナリ
◎「桐ノ木」は「桐の木」で今は消滅した地名とのこと、「セラタ」で作業はストップしている。どのマップ情報にも出ていない。平凡社の辞典も触れていない。苦労も実らず「不明」にした。
▲画像は我が家のバラ。なお今やもう蝶は飛んでいない。画像はキャノンのカメラで撮影した。ニコンは遂に起動すらしなくなった。

★ニコン・mouse機ほか2022年12月23日 00:12:16

▲先のブログで「ニコンは遂に起動すらしなくなった」としていたが、床に放置していたニコンを何気なく、起動ボタンを押した。何と起動したではないか。そして慌ててパチリ。ブログに上げたい復帰記念写真だが、部屋の様子が分かるのでヤメた。それから触っていないので怖くて起動できない、また壊れているのではと。今回の画像の開聞岳は珍しくはっきりと見えた。ただ撮影した機材はキャノンのデジカメである。もしニコンならもう少し鮮明になっていたと思う。
▲mouse機は「終了」はほぼ通常の仕方で可能な状態が続いている。ただ起動時に異音が出るのは続いている。本体のキーボードの機能がほとんど壊れているので、外付けキーボードで使用している。こっちも起動ボタンがいつ機能しなくなるのか、気にしながら、最後の日まで付き合う覚悟だ。バッテリーと電源は予備まで買い揃えてあるのだから。
▲地名の作業はお手上げ状態が続いている。当初300を越える「不明」のうち100近くは絶対解明不可能と分かった。それは旅の記録に宿泊したり、休憩したりした旅籠やお休み所の経営者の名前があるからだ。○○屋△△兵衛さんも代々継がれているので何代目かも分からない。これらを除くと残り200余りを解明すべきだが、なかなかである。
 島津斉彬は私の記録した史料上では、江戸に向かう2日目に「妙見ケ嶽」を通過する。何故か帰国の際はこの記録はない。これが私が知る範囲ではいかなる資料にも出てこない地名だ。岩波の地名辞典には「小字」として「妙見岳」とあったが、地図形式ではないので「位置」は特定できない。結果、貴重な記録の精査ができないのが残念至極である。特に我が鹿児島の地名なのにと悔やむのみ。
●八月廿四日、晴、六ツ過より出勤、御供前、①一六ツ半前御立、苗代川:一里九町五拾八間 ②妙見ケ嶽御立場:一里十一丁三拾三間 ③市來湊御仮屋御休:一里壱丁拾間 ④五反田御茶屋御小休:一里拾三町五拾三間 ⑤木場御茶や御小休:一里半四町四拾間 ⑥向田御仮屋七ツ時御着(下略)
◎①~⑥は便宜上私が書き込んだ。嘉永5年8月24日(1852年10月7日水曜日)。