★戦没者資料に3資料を追加した2023年04月27日 10:55:00

▲作成完了した西南の役戦死者名簿に新しく3資料を追加した。つまり1~14までの資料の下に「15」の「城山西郷軍」290名(仮称:元資料不明ながらも最後の部隊編成)、「16」の「城山籠城軍」466名(仮称:県図書館「鹿児島籠城記」)、「17」の「西南之役懲役人筆記」1518名(「西南戦争第二巻・第四巻」)を追加した。特に「17」は戦没者はいない、戦後を懲役人として刑に服した人々が命令されて戦闘等を記したもので、戦没者資料にふさわしくない。しかし私は「15」と「16」の資料にある人名のうち、「17」にその名がなければ、戦没者と仮定できると考えた。
①「15」の290名のうち「16」と重複する人など数名が「17」と重複した。つまり戦没者ではないことになる。
②「16」は数名の人を除いて皆が「17」に、それも何故か「東京府」の市ヶ谷(現在防衛省)に収容された「懲役人」。中には私が日記から「戦死」として名簿に書き込んだ人物(戦中に行方不明となり戦死と見なされていた)もある。
▲上記の作業過程で、
①「16」の人物名A・B・C・Dを元にフィルターすると必ず「東京府」の人物名A・B・C・Dとなるのである。つまり「16」の人物名は「東京府」の懲役人名と並び方が一致する。時にはC・A・B・D等の場合もあるが。
②そこで、私は「16」の人名は、「東京府」の懲役人の名簿から作成されたものであり、決して城山に集結した時の名簿ではないと考える。資料の「籠城」なる語句を私が勝手に誤解していたのだ。
③「15」の「城山西郷軍」の290名の一部幹部を除いて、ほとんど懲役人としては登場しない。9月24日を含めた戦死人員は72名。残りの218名のその後は不明。
◎懲役人の配置があった府県名全てに「西南之役懲役人筆記」が残っているわけではないので正確な記述はできない。
▲画像は今年初めてのまともな(?)蝶の写真。シャッターが外れるニコンで撮影した。

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