★資料「地名箋」の改訂&ミス謝罪2024年03月30日 11:08:11

▲「征西戦記稿」の附録である「地名箋」のエクセル資料を改良した。原本の読みを並べて50音順に並べてあったが、それは多くは私が作成したもので、原本では一部にのみ読みが記されていたのだ。そこでそれらのうち原本にあるものは全てそこにあるままの読みに戻す作業をした。
 まあ中にはそうもいかない例外、平凡社「日本歴史地名大系」の表記に合わせたものなどもあるが。
①多かったのは今と異なる文字の使い方。
「カワ」は原本では「カハ」、「ジ」は「ヂ」、「ズ」は「ヅ」など。
②50音順に並べて順番を附したりした、私の独自な列(箇所)等は全て削除した。より原本に近づけた。
③作業の過程で総数6288が6310に増加した。つまり22件の作成モレが見つかった。恐らくまだあるのではと思うが、今すぐ再度6000以上を点検することはしたくない。
④私の資料の内の4ファイルにあったエクセルシート「地名箋160604」は全て「地名箋240318」とした。
▲このブログ上の1月14日の記事を採録し、お詫びする。
画像はグーグルストリートビューを元に作成したもの。橋左側に「福橋」とあると見た。
①原文(1877年3月26日)
同二十七日早天に官軍来攻し力戦すと雖も遂に敗す、此時将児玉八之進の曰く「数奇敗衄何の面目ありて世に処ん」と、挺身軍を指揮し、遂に丸に中り死す、此日死傷四五十名余と云、夫より小川に退き福橋の堤を守る※福橋(不明、旧松橋町)【12207011】:(4)※26日と解釈した。児玉八之進(児玉実直)。
②不明を以下のように訂正したが。
※福橋(フクバシ、宇城市松橋町豊福745の南、浅川)
③「AI」は「福橋」を「あります」と2回保証してくれた。それを頼りにして見付けた。但し画像で確信しただけかも知れない。
◎訂正すべき点は、上記②にある「※福橋(フクバシ・・・・・・)」は完全に間違い。「AI」を盲信してのミス。当然この時の画像で橋名を「福橋」と読んだこともミス。原文の「小川に退き」とあるので、「福橋」は旧小川町(現在は宇城市)の砂川にあった橋と考えるべきでした。私の資料上では「※福橋(不明、旧松橋町)」のままにしておきます。
▲画像は日木山のJR踏切から見た精矛(くわしぼこ)神社参道の桜の現況。桜の満開は我町では今日か明日か。