★先ブログ「不明地名の解明に取り組む」の続きほか ― 2026年09月18日 09:05:14

▲前回アップした我ブログを見ていて気づいた。「大久保大尉の部下(第十連隊第二大隊第三中隊)」とある。この人物の名は「大久保利貞」。あの大久保利通の従兄弟で年齢は十数歳下である。軍人として後には「中将」の地位に昇り、退官後は霧島神宮の神職をされている。西南戦争ではかの田原坂の幾多の戦争に参戦、負傷の経験もある。この記録では精強の近衛隊の一員として活躍し、「二俣」・「横平山」・「那智山」・「轟村」・「滴水」の地名が見える。
▲「産道寺村」について、私は持つ全ての情報でついに見つけられなかった。そこで「AI」に聞くことにした。数次やりとりする中で、「産道」を「参道」と解釈してくれた。大小の寺院等があるとの見解からだ。そして最後に私は以下の言葉を「AI」に。「私はご見解をヒントに参道路(さんどうじ)と解釈させていただきます」と。「AI」からは「参道路(さんどうじ)」という解釈は、歴史的にも地理的にも非常に説得力があり、腑に落ちる結論です」と。
◎結論:※産道寺村(サンドウジ、参道路(道路名)、玉東町原倉、吉次峠)
「産道寺村」の「村」は「群(むれ)」とも解釈できるが、「地名箋」担当者が「村」の文字を付けたのではと考える。
◎その原文(平がなと句読点は私)
「第十四連隊の第三大隊は是日払暁部署を定め、第一中隊を以て上古閑村及び半高山下の賊塁を攻撃せしめ、第二中隊は産道寺村を経て其右翼に、第三中隊は吉次峠の迂回兵其目的を達するを機として衝突せしむ」
※第十四連隊の指揮者は乃木希典少佐、この直後中佐(ネット情報)。
▲本日の画像はPDF「官軍戦死者(靖国神社名簿)220421」の一部である。注目は上から4番目の人物(あえて氏名は隠してある)。所属は東京鎮台で歩兵第二連隊第一大隊第二中隊、出身は千葉、明治十年3月30日戦死、場所は菊池郡高務村。私は高「務」村はてっきり私のタイプミスかと思っていた。画像通り原本では「務」である。ただ「高務村」がミスで、「高塚村」が正しい。

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