★2回目の不明地名解明作業終わる2020年11月09日 23:57:25

▲6月15日段階で1402件あった不明地名は最終的に1391件になった。最後2件を重複していたので削除しての結果である。
①1391件の内訳は、
大分県91件、宮崎県438件、この両県に重複するもの6件、熊本県609件、鹿児島県243件、福岡県4件。
地名総数は11501件であり不明地名は12.1%に相当する。これでは私の負けである。まだまだ解明作業は続けて行くつもりである。
②今回の作業の中で、特に鹿児島県は所有する角川の「角川日本地名辞典」も用いることもあったが、頼りにはならなかった。私をイラつかせたのは「資料編」の「小字一覧」である。先ず目次がない。そして「市」はちゃんと並べてあるが、「町」・「村」は並べかたに一貫性がなく、メチャクチャな配列である。それでも苦労して探し付けて「小字」の一覧を見て、そこにあればいいのだが、何故かない。もっともあった場合でも「絵地図」ではないので、位置推定もできない。ほかの県は図書館に行けば閲覧可能だが、コロナ騒ぎの今は動きが取れない。
③意外に役だったのは今やどの市町村も作成している防災・避難地図などだった。小字が並んでいる時は「当たり」となる。また川名・橋名は橋の橋梁工事一覧で見れるので大いに助かった。
④悩みは「読み」である。漢字の情報までは行き着いたが、さあ何と読むのだろうかと。役に立つのはヤフー地図の古いタイプだが今はない。
⑤バス停はその付近の小字を名称としているものが多い。地図ソフトでは「マピオン」が役立つ。グーグルマップが次位となる。バス停ソフトでは読みが付いているものがある。
⑦今回の作業で後半特に多用したのが、「地理院地図」である。地図に小字もそれなりに書かれている、探す小字名を記入して検索すれば全国のその地名が出る。以前はそれを最初から全部見て選んでいたが、ある時県単位(市町村も可)に絞って検索できることに気づいてから大いに利用させてもらった。
⑧最後の手段はひとつである。私の全資料のCDを無料配布して、かわりに不明地名の情報をいただくことだ。
※必ず使う平凡社の歴史地名大系での検索結果。「西南戦争」と入力して「本文」検索した場合、大分16件、宮崎34件、熊本121件、鹿児島64件、福岡3件。
▲画像はJR九州の新しい列車「36+3」。写真画像をプリントスクリーンして一部切り取ったもの。

★地名説明改訂作業報告2020年08月07日 17:27:35

▲未解明地名は1407から少し増減していたが、最終的には「1404」となった。今回の作業で、「ほぼ完成」グループ140、「なお検討が必要」グループ174、「不明地名」グループ1090となった。
①地名はその字句のみ必要なのではなく、その現位置が分からなければ完全とは言えない。だから角川の辞典の後に並ぶ「小字」一覧も完全な参考資料ではない。鹿児島市のように字絵図があれば何とか見当が付く場合があるのだが。
②今回の私の孤独な作業の中で何回も挫折させられたのは「征西戦記稿」という官軍資料に出ている地名である。どこの「大字」・「小字」でもない地名が実に多い。山の名など確かめもせずに地名に「山」と付け足したレベルだ。この本には「地名箋」という参考資料も含まれているが、悪いが役に立たない、それに採録されてすらいない例が多い。何のための資料かとガックリさせられた。
③九州はダム王国(?)ではないだろうか。今のところそのダム下に消えた集落名、大字・小字名など記した資料にアクセスできていない。残念である。
▲作業事例を以下に記す。
◎1877年7月29日
然る処同所綾の雨ガ台の吾か塁官兵に攻破せられ、官兵既に我背に廻るに付同所を退く、其節本営は日向国佐土原に転営、我隊同所河渕に番兵致居候処※綾(綾町北俣麓、県道26・40・360・綾北川・綾南川・本庄川)※雨ガ台(不明、綾町か)【10605412】:(2)
●雨ガ台(天ヶ谷アマガタニ、旧野尻町東麓、国道268)
※「谷」は私の発音では「タイ」。これがヒントとなった。田舎の名も無き小川を「谷川(タイゴ)」と読んでいた。
◎1877年7月29日」
其後高岡郷(鹿児島県下)桑畑村の原にて戦敗れ(日不覚)、綾郷の(同県)川向へ陣を取る(爰にて戦なし)※桑畑村(不明、綾町入野上畑か)【11402617】:(3)
●桑畑村(上畑ウワバタ、綾町入野字上畑、県道26・本庄川)
※これは聞き間違いによると考えた。かかる1字違いは解明作業のヒントになる。
◎1877年8月2日
8月2日、已に黎明忽ち喇叭の声前岸松林の中に起る、我軍之を乱射す、此時官兵已に後林に伏し、吶喊斉く起て我軍を夾撃す、相距る僅に三二十歩、皆謂「別軍誤て我を撃つ」と、疾呼之を制す、而して銃撃益急なり、乃官軍の伏兵たる事を知り、松樹に拠て暫く之を防ぐ、且戦且退く、衆皆守、而して遂保たず事機迫る、濱田泰理来て兵を退かん事を告ぐ、濱砂某戦死す、衆皆塁を棄て四散す、(中略)乃荊棘の中に伏して丸を避けんと欲す、而して銃声耳辺に迫る、又起て畦畝を過ぎ一溝を得(溝底沮洳)、匍匐してゆく、弾丸無数前後を夾み、飛泥面に被る、左折して一松林に入らんとす、官軍亦之に屯す、乃転じて右し荒野を行く事凡五六丁許にして、忽ち一村に出づ(後之を聞けば乃向井原村是也)(下略)※向井原(不明、新富町か)【20036105】:(2)
●向井原(向原ムコウバル、新富町新田ニュウタ、藤山川、向原第1遺跡)
※偶然高速道関係の発掘作業報告書にアクセスできた。ほぼ地図上で確認できたので解明できたとした。
▲画像は蝶。

★全ては1地名を表すのだが2020年08月02日 00:18:27

▲以下はその1地名を彼等はどんなに表現しているかの実例である。
①龍野越
一同7月13日本営より指令有、須木郷内山へ曳揚、高山龍野越之嶮地を守兵斥候無怠、四五日過て※内山(旧須木村内山、県道401・浦之名川)※龍野越(不明、立野越か、旧須木村下田か)【11600435】:(1)
②立野越
其後屢戦と雖とも互に勝敗なし、然に七月中旬過飯野口敗軍にて彼の方面の味方野尻の内天ヶ谷と申処迄引退、我守場のみ敵地へ闘入し難守相成候に付、退て須木の内煤原より立野越へ亘り戍を付居候処※野尻(旧野尻町東麓、国道268・県道29・戸崎トサキ川・城之下ジョウノシタ川・岩瀬川)※天ヶ谷(アマガタニ、旧野尻町東麓、国道268)※立野越(龍野越か、不明、旧須木村下田か)【10600422】:(1)
③龍ノ越
翌日午前7時頃より官軍攻撃に味方敗軍する故、奈崎越・龍ノ越の守兵綾・紙屋に引揚く、此時小隊長永嶺信清、分隊長自分炮丸に当り手負す※奈崎越(奈佐木峠、旧須木村奈佐木、県道401)※龍ノ越(龍野越・立野越、不明、旧須木村下田か)※綾(綾町北俣麓、県道26・40・360・綾北川・綾南川・本庄川)※紙屋(旧野尻町紙屋新町・旧町、国道268・神谷川・米川内川)【10100421】:(1)
④立越・立ノ越
時に官兵来りて正義八番中隊・干城遊軍二中隊守る所之立越を攻む、敗して内山村へ退くや否や、我隊は応援として中隊長橋本諒輔自ら率いて之れに趣く、途中敵兵へ行合ひ、午前10時頃より午後2時頃迄烈しく戦半はなるとき、我小隊を分ち敵の背後へ廻り、突出して数十発を打出すに官軍破れて走る、我兵立ノ越台場迄追打大勝利を得たり、夜に入て我隊及ひ正義八番中隊敵塁に対して連戦す、振武十五番中隊は本台名崎越へ帰営守兵をなす※立越(立ノ越・立野越・龍野越か、不明、旧須木村下田か)※内山村(旧須木村内山、県道401・浦之名川)※立ノ越(立越・立野越・龍野越か、不明、旧須木村下田か)※名崎越(奈佐木峠、旧須木村奈佐木、国道265・県道401)【12285032】:(3)
⑤辰ノ越
同廿日辰ノ越へ官軍襲来に付援兵として押出す様指令に依り応援副力候得共、即味方敗走にて其夜日向の綾郷迄引揚※辰ノ越(龍野越・立野越、不明、旧須木村下田か)【10500413】:(1)
◎以上のどれが正解か分からないし、場所も特定できていない。だから「不明」で処理してある。これらの記録から「奈佐木」から「立ノ越」へ、そして「内山」へ。やがて「綾」・「紙屋」へ退いて行くことが分かる。そこで画像の地理院地図のある地名にヒントを得た。「立の尾谷」でる。これは地名ではなく、川の名称(「谷」)と考える。「立の尾」は鹿児島弁では「たっのお」か「たっの」(「尾(お)」は省略される)。
そこで今考慮中の説明1例は、
※立ノ越(立の尾谷を越す坂、旧須木村内山、県道401・立の尾谷)

★研究作業報告2020年07月25日 02:51:02

▲最近始めた新しい方法がある。私の「不明地名調査用」エクセルファイルにはその地名が何という市町村に属するかの欄がある。今まで頭から順番に修正作業をしていたが、これを変更した。例えばA県のB町の不明地名を扱う。次にC県のD町のそれを扱う。その度に平凡社地名辞典も地理院地図も変えねばならない。今まではそれは当然と受け止めていた。
 そこで大転換である。県名・市町村単位にまとめて作業を始めることにした。気がついたのは実は不明地名には「兄弟姉妹」がいたのだ。「花園」と「花園村」は同じで、同じように「杉ノ本」と「杉之本」は「杉元」と同じ地名なのだ。かくして極めて効率よい作業になった。それでは成果もと思うが、これは相変わらず、うまくは行かない。
①「花園」と「花園村」の例。「花園」を例挙とする。
●同30日柏田守塁破るるを以て、全軍道を異にして佐土原・廣瀬等に退き、保北川を夾みて守る、我隊は上流竹渕を守る、此時、守線は上み米良口より祇園・花園・竹渕・佐土原・廣瀬等を経て下も海岸に至る、此際全軍弾鉛に乏しく、錫・銅を以て之を補ふ、錫・銅も亦尽く、鍋・釜の鉄を鋳し之を支ふに至る、又海岸の農民を募集し、木砲を造らしめ以て預め備えをなす※柏田(宮崎市瓜生野ウリュウノ、県道9・26・大淀川)※広瀬(旧佐土原町下田島シモタジマ、国道10・県道14・326・石崎川)※保北川(穂北川・一ツ瀬川、西都市穂北)※竹渕(新富町新田ニュウタ、県道18・一ツ瀬川)※米良口(西都市三納ミノウの尾泊、米良街道)※祇園(西都市右松、国道218・一ツ瀬川・祇園渡ワタシ)※花園(不明、西都市穂北)【20040121】:(4)
◎※花園(ハナゾノ、新富町新田ニュウタ字花園、県道312)。これはこの資料から「花園」が「祇園」と「竹渕」の間にあると分かったことだ。そしてネット情報から「花園」が「新田」の小字と分かった。ここはある遺跡だった。
②「杉ノ本」は懲役人の資料、「杉之本」は官軍資料(「征西戦記稿」)、「杉元」は土地勘のある人物の日誌の資料である。
●同第一方面は田中少佐2中隊半を以て越野尾村に整列し、午前4時一は小原一は碝石を捜索し、連絡を両村に取り守線を張らんとす、進む事1里余越野尾峠に至て賊に会し相戦ふ1時間許、長谷川操少尉試補1小隊半を以て右に迂廻し、賊の側面を撃つ、正面の兵之に応じて進み、賊を破り北るを追ふて之を杉之本に蹙む※越野尾村(コシノオ、西米良村越野尾、国道219・一ツ瀬ダム)※小原(児原コバル、西米良村越野尾、一ツ瀬ダム)※礇石(サレ、西米良村越野尾)※越野尾峠(不明、西米良村越野尾)※杉之本(不明、西都市か)
◎※杉之本(杉元・杉ノ本、西米良村越野尾、児原コバルと礇石サレの間、一ツ瀬ダム)。これは官軍資料(「征西戦記稿」)である。3つの地名は同じ地名である。どれが正解か分からないので併記した。地図上の位置は分からない。ただ「小原(児原)」と「礇石」の間にあると推測できる。地理院地図に共にある。ストリートビューで確認できなかった。多分一ツ瀬ダムに沈んでいるのかも。
▲画像はモンシロチョウ。

★研究作業報告2020年07月20日 22:54:26

▲画像は国土地理院地図に見つけたミス。「奥球磨」が「奥球麿」になっている。
▲研究作業では相変わらず、成果は少ない。もう何回も解明を試みているから至極当然と割り切っている。手を付けようがないので、多くは「2020/7/181:28」などのその年月日と時間を文字で表し、お手挙げを示すのみ。少しでもと市町村の大字小字の情報を集めている。角川各県の地名辞典にはその一覧表があるが、今時ネットでアクセスできない資料はアウト。私も書いた一人なのだが。1400以上の不明地名解明作業はまだ半分にも行かない。それもほとんどは解明不明のまま。その中で以下の作業事例を1つ。
以下原文。
①同20日晴●一午前7時比中屋敷村守付兼に付、3合程引拂、吉花村江着泊す、其夜3合程上山に臺場を築相詰居候処、翌21日午前3時比猶引拂之段報知有之、所々に迫り小河内村江引拂、午後7時過に着泊※中屋敷村(水俣市宝川内ホウガワチ、宝川内川)※吉花村(不明、水俣市宝川内か)※小河内村(小川内コガワウチ、旧大口市小川内、小川内川)【20042087】:(3)
◎「2」で始まる番号は日記・日誌の資料である。
「吉花村」が「不明」であった。平凡社辞典、国土地理院地図ほかでも検索できない。最後に、ネットに「芦北町 吉花」で検索を試みた。期待に反してヒットした。「吉花」バス停があると出た。そこから始めてネットを駆使してついに解明できた。
※吉花村(ヨシハナ、水俣市宝川内ホウガワチ本屋敷、吉花バス停・吉花観音堂)
ここの大字は「宝川内」、小字は「本屋敷」、では「吉花」は何?。現地に行かねば分からないのだろうか。