★生成AIを使用して2023年07月29日 01:16:52

▲私が使用するのはマイクロソフトのEdgcのBingだ。
①以前私の西南の役研究上の課題である「不明地名」の「木挽町」について尋ねた。今回また同質問をお願いした。
〇質問:
明治初期、熊本城下にあった木挽町はどこにあったか。
〇AI回答:
木挽町は、熊本城下の中央区にあったそうです。また、古地図コレクションで公開されている明治期の地図によると、木挽町は現在の熊本市中央区の植木町付近に位置していたようです。
〇私の解釈:
「熊本城下」ではなく、「東京都中央区」に「木挽町」はある。また熊本の「植木町」は、「熊本市北区」である。ところで東京都に「植木町」があるかは調べていない。
②私は懲りずに、今も大いにAI様々である。以下はその成功例である。
〇質問:
明治初期に熊本県玉名にあった岡村の位置は?(数日前実施)
〇AI回答:
明治初期に熊本県玉名にあった岡村の位置は、現在の玉名市岡村地区にあたります¹。明治初年時点での玉名郡内の村は以下の通りで(この部分略)、岡村は含まれていませんでした。
〇不明地名「岡村」次のように変えた。
※岡村(岡オカ、玉名市玉名岡、岡バス停、県道6号・玉名大神宮)
▲画像は蝶。何枚も撮影したが、その中でこれを選んだ。飛び方に元気がなく、熱中症にでもなったか?

★奇妙な一致&地名解明は2021年06月27日 09:38:49

▲以下の2資料は1877年2月27日の高瀬の戦を描いている。西郷隆盛の弟西郷小兵衛はこの日戦死する。
①(略)西郷小兵衛・淺江真誠・相良長良等各々隊を率て遠く下流に遶り、大濱の洋を渡り敵の横面に出、呼譟進み撃つ、官兵敗走、火を繁根木・永德等の村落に縦ち、退て高瀬街及ひ葛原に拠り死を以て拒戦す、(略)
②(略)黄昏村田氏兵を収めて歸る、余迎て其戰状を問ふ、氏曰く「僕部下を分て二となし、一は本道より、一は大濱より敵の横面に出つ、敵軍潰走、繋根木、永徳寺を焼き高瀬街道、及葛原に據て拒戰す、(略)」
◎2資料は①は「西南之役懲役人筆記」、②は「日記・日誌」である。これがほぼ一致しているのだ。
それは、
①=「火を繁根木・永德等の村落に縦ち、退て高瀬街及ひ葛原に拠り死を以て拒戦す
②=「繋根木、永徳寺を焼き高瀬街道、及葛原に據て拒戰す」
全く違う人物の、全くちがう性質の文書がほぼ一致する筈はないのだが、この一致は「奇妙」である。その解決のヒントは②にある「村田氏」である。2文書は、村田新八の話を共通にして書かれたと解すれば理解できる。それもほぼ同時点でのことで、どちらかが一方の話を参考に記述したとは考えない。というのは「西南之役懲役人筆記」ではよく似た文章があるが、それは同一刑務所内でというのがほとんどだ、時に違う刑務所なのに似た文言があると、「証言一致」となり、私には有難い。
▲上の2資料の問題は地名解明に関してもある。
(ア)①の「永徳等」と②の「永徳寺」は以下のようにした。解決。
※永徳(永徳寺エイトクジ、玉名市永徳寺、高瀬川・繁根木ハネギ川)
※永徳寺(エイトクジ、玉名市永徳寺、高瀬川・繁根木ハネギ川)
(イ)①の「高瀬街」と②の「高瀬街道」は以下のように違うので、解決したい。今は「高瀬街」に収束すべきと考えている。
※高瀬街(タカセ、玉名市高瀬、国道208・県道4・6・菊池川・繁根木ハネギ川、高瀬大橋)
※高瀬街道(高瀬~木葉、国道208)
(ウ)残る難題は①・②共にある「葛原」である。
※葛原(不明、玉名市立願寺リュウガンジか、葛原山)
今回もまた懸命に探索したが、玉名市周辺には何の情報もない。しかも私が記した「葛原山」もないし、何故そう書き込んだのかも分からない。今はこれは「葛」の生い茂った「原」、つまり野原の1つではと思い始めている。

★エクセルへの不満&地名説明作業から2021年06月24日 10:48:29

▲エクセル不調となる。その時6ファイルを起ち上げていた。どれも入力、セル移動、コピー、貼り付けなど一切できない。少し時間経過して1ファイルが動くが続かない。諦めて再起動することにした。今までに保存行動していない5ファイルはそれまでの入力箇所の保存は諦めるしかない。
再起動すると全6ファイルが起動を待つが、私は無視して再度1つずつ起ち上げる。原因は私は分っている。エクセルはエンジンは1つで起ち上げる全ファイルを動かす。つまり「多くて力発揮できません」が正解。全ファイル毎にエクセルが個別に動けば、かかる現象は起きない筈だ。よくあるケースは、Aファイルで作業中の状態で、うっかりBファイルを起動しようとすると、起動ができないことだ。
▲以下は西南の役での西郷の動きを知ることが出来る資料(宮崎の人)である。
●西郷隆盛は二月廿二日進て熊本に至り、城南本庄柳鶴木村堅一郎の家を以て本営とす、後城の西南春日祠傍社司水永某の宅に移る、後又二本木町荒物屋某の宅に転す、四月十二日去て木山に至り、路を大矢田野十文字に取り、矢部浜町に至り、間道より椎葉山尾ノ前村に出づ、旧人吉領江代、黒比知を経て、須恵村より川舟にて人吉に着し、土手町永国寺に陣す、村田新八・池上四郎附属し、衛兵凡二小隊之を護す、於是復人吉を去て将に宮崎に赴かんとするなり
●資料の内容にはここでは敢えて触れない。以下の地名説明は一部のみ。
※本庄柳鶴(不明、熊本市中央区本荘町・本荘1~6丁目)
※春日祠(春日神社、熊本市西区春日3-4-8、県道227)
※大矢(小谷オヤツ、益城町小谷、県道26・206・木山川)
※田野(不明、西原村河原カワハラ)
※十文字(十文字越、御船町田代・西原村河原の境)
※尾ノ前村(尾前、椎葉村不土野フドノ上・下尾前、耳川)
※土手町(人吉市土手町、茂田川)
※永国寺(エイコクジ・ヨウコクジ、人吉市土手町、曹洞宗)
◎文中の「大矢田野」を今回以下のように解明した。
※大矢(大矢野原オオヤノハラ、旧矢部町金内、陸自大矢野原演習場)
※田野(田小野タオノ、旧矢部町田小野、県道152・御船川・上鶴川)
自信はあるが、少し気にいらないのは元の文「大矢田野十文字」は道順を考えれば「十文字大矢田野」とあるべきだからだ。まあ宮崎の筆者自身が歩いたわけでもない、伝聞を記したとすれば許されるのでは。またこの筆者には西郷の人吉から宮崎への退却の記録もあり、しかも自身途中で行き逢っていると書いている。このような西郷の動静の記録は極めて少ないので、私には有難い記録である。

★不明地名の作業に戻る2021年06月07日 21:54:42

▲数ヶ月振りに不明地名解明作業に戻った。先ずはある程度解明済の地名を、作成資料に入れ込む作業をすることにした。不明地名等1400未満のうち318件を一応解明済みとしてある。今回の入れ込み作業で、不明地名の作業は一応の終結としたい。
▲作業例。
①本町(不明、人吉市)→→→ 本町(人吉市九・五・七・二日町など、球磨川右岸)
②揚家敷(不明、竹田市) →→→揚家敷(武家屋敷、竹田市会々アイアイ、竹田殿町ほか)
③鷹ノ巣山(不明、五木村甲) →→→鷹ノ巣山(1137.2m、五木村乙、国見山の南方)
④魚棚(不明、竹田市) →→→魚棚(店名、竹田市古町、古町の魚屋か、本町の加島屋、浪華屋も店名)
◎以上4例が正しいかどうかは地元の方々にご判断いただきたい。
▲車で出かけようとした家人が、車の中を見てあわてている。何とダッシュボードの上に雀がひっくり返っている。家人の予想では、後ろの跳ね上げ方式のドアを上げたままにしていたから、雀が飛び込んでぶつかったのだと。雀はガラスが分からなかったのだろうか。夾むもので少し触る。少し動いた。どうやら脳震盪か。そこで外に出して家の草を袋に入れてあるので、その上に置いた。なお少し動く。猫やカラスが近くにいないようなので、そのままにして置く。時間が経過して、帰宅した家人が見たら雀の姿がないと。私も見に行く。どうやら元気回復して飛び去ったらしい。お礼の一言もなく、まあ大したお世話もしなかったからな。
▲画像は、珍しく蝶が2匹並んでいる。あわてて撮影したのでうまくは撮れなかった。

★2回目の不明地名解明作業終わる2020年11月09日 23:57:25

▲6月15日段階で1402件あった不明地名は最終的に1391件になった。最後2件を重複していたので削除しての結果である。
①1391件の内訳は、
大分県91件、宮崎県438件、この両県に重複するもの6件、熊本県609件、鹿児島県243件、福岡県4件。
地名総数は11501件であり不明地名は12.1%に相当する。これでは私の負けである。まだまだ解明作業は続けて行くつもりである。
②今回の作業の中で、特に鹿児島県は所有する角川の「角川日本地名辞典」も用いることもあったが、頼りにはならなかった。私をイラつかせたのは「資料編」の「小字一覧」である。先ず目次がない。そして「市」はちゃんと並べてあるが、「町」・「村」は並べかたに一貫性がなく、メチャクチャな配列である。それでも苦労して探し付けて「小字」の一覧を見て、そこにあればいいのだが、何故かない。もっともあった場合でも「絵地図」ではないので、位置推定もできない。ほかの県は図書館に行けば閲覧可能だが、コロナ騒ぎの今は動きが取れない。
③意外に役だったのは今やどの市町村も作成している防災・避難地図などだった。小字が並んでいる時は「当たり」となる。また川名・橋名は橋の橋梁工事一覧で見れるので大いに助かった。
④悩みは「読み」である。漢字の情報までは行き着いたが、さあ何と読むのだろうかと。役に立つのはヤフー地図の古いタイプだが今はない。
⑤バス停はその付近の小字を名称としているものが多い。地図ソフトでは「マピオン」が役立つ。グーグルマップが次位となる。バス停ソフトでは読みが付いているものがある。
⑦今回の作業で後半特に多用したのが、「地理院地図」である。地図に小字もそれなりに書かれている、探す小字名を記入して検索すれば全国のその地名が出る。以前はそれを最初から全部見て選んでいたが、ある時県単位(市町村も可)に絞って検索できることに気づいてから大いに利用させてもらった。
⑧最後の手段はひとつである。私の全資料のCDを無料配布して、かわりに不明地名の情報をいただくことだ。
※必ず使う平凡社の歴史地名大系での検索結果。「西南戦争」と入力して「本文」検索した場合、大分16件、宮崎34件、熊本121件、鹿児島64件、福岡3件。
▲画像はJR九州の新しい列車「36+3」。写真画像をプリントスクリーンして一部切り取ったもの。