★小字一覧打ち込みの成果は2024年05月23日 14:24:25

▲以下の不可(効果なし)・可(効果あり)は最初の市町村。
〇鹿児島市(不可57―可11)
〇蒲生町(不可2―可0)
○霧島町(不可5―可1)
○栗野町(不可3―可4)
○隼人町(不可1―可0)
以下14市町村までに於てはこのような状況。
▲以下は実は鹿児島県ではなく、宮崎県ではと変更した事例。
案内者は行々更へ高原の野平へ出、霧島山后平へ着し、霧島山を越えて白鳥嶽の下に泊す、昼夜兼行であった※高原(タカハル、高原町西麓、国道221・223・県道405・29)※野平(旧高崎町前田、県道413)※后平(不明、旧牧園町か)※白鳥岳(白鳥山1363m、えびの市末永、白紫池ビャクシイケ)【20009083】:(1)
※この日記を記した人物は、都城陥落以後の混乱の中で、帰宅を目指した。案内者を雇い、「高原町」ではなく「高崎町」の「野平」から、「后平」ではなく「後原」(高原町蒲牟田小字後原)、そして霧島山へ。「白鳥岳」を経てこの日は白鳥温泉に泊した。
「后平」を旧牧園町としていたため、地名が辿れず、国土地理院地図を見直す中で「宮崎県」となった。なお本人は翌日鹿児島県に入る。
 実は上記の「蒲生町」の未解明2地名はこの人物の記録にある。
▲画像は新購入のキャノンカメラでの写真。画像を読み込んで拡大→Print Screen→ペイントに入れ、画像名保存。

★直前のブログの修正として2024年05月18日 23:29:12

▲前ブログでの部分を再録し、※印以下で訂正・追加をしたい。
●キャノンで作成したPDF資料を見ながら量的には15行分位を選んでコピー(画像)。
※量的には50行余(1ページの左半分)を試みたが、勝敗半々。25行前後、つまり1ページを4分割する法が良い。
※PDFの語句を画像にする方法がDELL機とsurface機で少し異なる。
●これを「ペイント」に入れて縦横を調整して「JPEG」画像として保存する。
ファイル名は「○○市1」とした。この画像は当初は「ギャラリー」に保存された。
※画像は今はデスクトップに保存表示するようにした。画像数が増えた時は専用のフォルダーに入れて整理する。
※DELL機と違って、surface機の「ペイント」は自動的に画面に見えない、長い画像も可能だ。DELL機ではいろいろ画像に合わせて操作してから保存するのでいささか手間がかかる。
●画像を「OneNote」の「挿入」→「画像」→「ファイルから」を選び、「ギャラリー」にある画像名「○○市1」を指定する。
※今はデスクトップにある画像を指定する。
●そして読み込まれた画像を右クリックして、「画像からテキストをコピー」をクリックする。
※ここでの作業は変化なし。
●最後はワードに「○○市1」と表題して下の行に、Ctrl+Vでコピーする。
※DELL機・surface機共に数回続けると、全く得体の知れない文章が出てくる。これは読み込んだ行の最初の一文字を連続読み込んでいるようである。すぐ消してやり直すが、あきらめて機種交代もする。
※ワードに入れた語句は横に一列に繋がっており、これを1地名ずつ並べ替える作業がある。エクセルに縦一列に入れるためだ。
※そこで見つかる、あるミスの「誤と正」。
烏と鳥、大と犬、追と迫、協と脇、域と城、容と谷、梅と権。
これはOCRでは些細な事故だとあきらめて対応する心構えが必要だ。
▲今日現在の実績は鹿児島県の市町村39、総小字数34959である。作業上での悩みがある。それは前行末の語句と次行初めの語句が繋がるのか、別なのか、それが分らない時がある。角川では地名と地名の間に1字の空所があるが行末にそれがない場合は、次行の地名と1つにするか、分けて2地名とするか、判断を迫られる。だから時には地名「●●○○(●●と○○か)」とした。どうにもできないのが書にある漢字が出ていない時だ。ネットに「〇へんに□」と入れて情報を探す。見つからない時は「■(〇+□)と表現した。
▲画像はニコン(電源入らず)に代って新購入のキャノンでの初撮影画像の1枚。操作が全く異なるので戸惑っている。

★生成AIを使用して2023年07月29日 01:16:52

▲私が使用するのはマイクロソフトのEdgcのBingだ。
①以前私の西南の役研究上の課題である「不明地名」の「木挽町」について尋ねた。今回また同質問をお願いした。
〇質問:
明治初期、熊本城下にあった木挽町はどこにあったか。
〇AI回答:
木挽町は、熊本城下の中央区にあったそうです。また、古地図コレクションで公開されている明治期の地図によると、木挽町は現在の熊本市中央区の植木町付近に位置していたようです。
〇私の解釈:
「熊本城下」ではなく、「東京都中央区」に「木挽町」はある。また熊本の「植木町」は、「熊本市北区」である。ところで東京都に「植木町」があるかは調べていない。
②私は懲りずに、今も大いにAI様々である。以下はその成功例である。
〇質問:
明治初期に熊本県玉名にあった岡村の位置は?(数日前実施)
〇AI回答:
明治初期に熊本県玉名にあった岡村の位置は、現在の玉名市岡村地区にあたります¹。明治初年時点での玉名郡内の村は以下の通りで(この部分略)、岡村は含まれていませんでした。
〇不明地名「岡村」次のように変えた。
※岡村(岡オカ、玉名市玉名岡、岡バス停、県道6号・玉名大神宮)
▲画像は蝶。何枚も撮影したが、その中でこれを選んだ。飛び方に元気がなく、熱中症にでもなったか?

★奇妙な一致&地名解明は2021年06月27日 09:38:49

▲以下の2資料は1877年2月27日の高瀬の戦を描いている。西郷隆盛の弟西郷小兵衛はこの日戦死する。
①(略)西郷小兵衛・淺江真誠・相良長良等各々隊を率て遠く下流に遶り、大濱の洋を渡り敵の横面に出、呼譟進み撃つ、官兵敗走、火を繁根木・永德等の村落に縦ち、退て高瀬街及ひ葛原に拠り死を以て拒戦す、(略)
②(略)黄昏村田氏兵を収めて歸る、余迎て其戰状を問ふ、氏曰く「僕部下を分て二となし、一は本道より、一は大濱より敵の横面に出つ、敵軍潰走、繋根木、永徳寺を焼き高瀬街道、及葛原に據て拒戰す、(略)」
◎2資料は①は「西南之役懲役人筆記」、②は「日記・日誌」である。これがほぼ一致しているのだ。
それは、
①=「火を繁根木・永德等の村落に縦ち、退て高瀬街及ひ葛原に拠り死を以て拒戦す
②=「繋根木、永徳寺を焼き高瀬街道、及葛原に據て拒戰す」
全く違う人物の、全くちがう性質の文書がほぼ一致する筈はないのだが、この一致は「奇妙」である。その解決のヒントは②にある「村田氏」である。2文書は、村田新八の話を共通にして書かれたと解すれば理解できる。それもほぼ同時点でのことで、どちらかが一方の話を参考に記述したとは考えない。というのは「西南之役懲役人筆記」ではよく似た文章があるが、それは同一刑務所内でというのがほとんどだ、時に違う刑務所なのに似た文言があると、「証言一致」となり、私には有難い。
▲上の2資料の問題は地名解明に関してもある。
(ア)①の「永徳等」と②の「永徳寺」は以下のようにした。解決。
※永徳(永徳寺エイトクジ、玉名市永徳寺、高瀬川・繁根木ハネギ川)
※永徳寺(エイトクジ、玉名市永徳寺、高瀬川・繁根木ハネギ川)
(イ)①の「高瀬街」と②の「高瀬街道」は以下のように違うので、解決したい。今は「高瀬街」に収束すべきと考えている。
※高瀬街(タカセ、玉名市高瀬、国道208・県道4・6・菊池川・繁根木ハネギ川、高瀬大橋)
※高瀬街道(高瀬~木葉、国道208)
(ウ)残る難題は①・②共にある「葛原」である。
※葛原(不明、玉名市立願寺リュウガンジか、葛原山)
今回もまた懸命に探索したが、玉名市周辺には何の情報もない。しかも私が記した「葛原山」もないし、何故そう書き込んだのかも分からない。今はこれは「葛」の生い茂った「原」、つまり野原の1つではと思い始めている。

★エクセルへの不満&地名説明作業から2021年06月24日 10:48:29

▲エクセル不調となる。その時6ファイルを起ち上げていた。どれも入力、セル移動、コピー、貼り付けなど一切できない。少し時間経過して1ファイルが動くが続かない。諦めて再起動することにした。今までに保存行動していない5ファイルはそれまでの入力箇所の保存は諦めるしかない。
再起動すると全6ファイルが起動を待つが、私は無視して再度1つずつ起ち上げる。原因は私は分っている。エクセルはエンジンは1つで起ち上げる全ファイルを動かす。つまり「多くて力発揮できません」が正解。全ファイル毎にエクセルが個別に動けば、かかる現象は起きない筈だ。よくあるケースは、Aファイルで作業中の状態で、うっかりBファイルを起動しようとすると、起動ができないことだ。
▲以下は西南の役での西郷の動きを知ることが出来る資料(宮崎の人)である。
●西郷隆盛は二月廿二日進て熊本に至り、城南本庄柳鶴木村堅一郎の家を以て本営とす、後城の西南春日祠傍社司水永某の宅に移る、後又二本木町荒物屋某の宅に転す、四月十二日去て木山に至り、路を大矢田野十文字に取り、矢部浜町に至り、間道より椎葉山尾ノ前村に出づ、旧人吉領江代、黒比知を経て、須恵村より川舟にて人吉に着し、土手町永国寺に陣す、村田新八・池上四郎附属し、衛兵凡二小隊之を護す、於是復人吉を去て将に宮崎に赴かんとするなり
●資料の内容にはここでは敢えて触れない。以下の地名説明は一部のみ。
※本庄柳鶴(不明、熊本市中央区本荘町・本荘1~6丁目)
※春日祠(春日神社、熊本市西区春日3-4-8、県道227)
※大矢(小谷オヤツ、益城町小谷、県道26・206・木山川)
※田野(不明、西原村河原カワハラ)
※十文字(十文字越、御船町田代・西原村河原の境)
※尾ノ前村(尾前、椎葉村不土野フドノ上・下尾前、耳川)
※土手町(人吉市土手町、茂田川)
※永国寺(エイコクジ・ヨウコクジ、人吉市土手町、曹洞宗)
◎文中の「大矢田野」を今回以下のように解明した。
※大矢(大矢野原オオヤノハラ、旧矢部町金内、陸自大矢野原演習場)
※田野(田小野タオノ、旧矢部町田小野、県道152・御船川・上鶴川)
自信はあるが、少し気にいらないのは元の文「大矢田野十文字」は道順を考えれば「十文字大矢田野」とあるべきだからだ。まあ宮崎の筆者自身が歩いたわけでもない、伝聞を記したとすれば許されるのでは。またこの筆者には西郷の人吉から宮崎への退却の記録もあり、しかも自身途中で行き逢っていると書いている。このような西郷の動静の記録は極めて少ないので、私には有難い記録である。