★奇妙な一致&地名解明は2021年06月27日 09:38:49

▲以下の2資料は1877年2月27日の高瀬の戦を描いている。西郷隆盛の弟西郷小兵衛はこの日戦死する。
①(略)西郷小兵衛・淺江真誠・相良長良等各々隊を率て遠く下流に遶り、大濱の洋を渡り敵の横面に出、呼譟進み撃つ、官兵敗走、火を繁根木・永德等の村落に縦ち、退て高瀬街及ひ葛原に拠り死を以て拒戦す、(略)
②(略)黄昏村田氏兵を収めて歸る、余迎て其戰状を問ふ、氏曰く「僕部下を分て二となし、一は本道より、一は大濱より敵の横面に出つ、敵軍潰走、繋根木、永徳寺を焼き高瀬街道、及葛原に據て拒戰す、(略)」
◎2資料は①は「西南之役懲役人筆記」、②は「日記・日誌」である。これがほぼ一致しているのだ。
それは、
①=「火を繁根木・永德等の村落に縦ち、退て高瀬街及ひ葛原に拠り死を以て拒戦す
②=「繋根木、永徳寺を焼き高瀬街道、及葛原に據て拒戰す」
全く違う人物の、全くちがう性質の文書がほぼ一致する筈はないのだが、この一致は「奇妙」である。その解決のヒントは②にある「村田氏」である。2文書は、村田新八の話を共通にして書かれたと解すれば理解できる。それもほぼ同時点でのことで、どちらかが一方の話を参考に記述したとは考えない。というのは「西南之役懲役人筆記」ではよく似た文章があるが、それは同一刑務所内でというのがほとんどだ、時に違う刑務所なのに似た文言があると、「証言一致」となり、私には有難い。
▲上の2資料の問題は地名解明に関してもある。
(ア)①の「永徳等」と②の「永徳寺」は以下のようにした。解決。
※永徳(永徳寺エイトクジ、玉名市永徳寺、高瀬川・繁根木ハネギ川)
※永徳寺(エイトクジ、玉名市永徳寺、高瀬川・繁根木ハネギ川)
(イ)①の「高瀬街」と②の「高瀬街道」は以下のように違うので、解決したい。今は「高瀬街」に収束すべきと考えている。
※高瀬街(タカセ、玉名市高瀬、国道208・県道4・6・菊池川・繁根木ハネギ川、高瀬大橋)
※高瀬街道(高瀬~木葉、国道208)
(ウ)残る難題は①・②共にある「葛原」である。
※葛原(不明、玉名市立願寺リュウガンジか、葛原山)
今回もまた懸命に探索したが、玉名市周辺には何の情報もない。しかも私が記した「葛原山」もないし、何故そう書き込んだのかも分からない。今はこれは「葛」の生い茂った「原」、つまり野原の1つではと思い始めている。

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